その日の空は、泣き出してしまいそうな重苦しい鉛色だった。

告別式は11時から始まった。多くの参列者に埋もれながら、私はその片隅で流される。もともと、亡くなった父の代理として参列しただけだ。思い入れのない他者の葬儀ほど、無機質に見えるものはない。導師の読経や焼香中も、天気予報の昼過ぎから雪だということばかり気にしていた。……雪に降られては、電車が止まってしまう。仕事先には、有給で3日ほど取ったが、それでもできるだけ早く帰りたい。
そんなことを考えながら、遺影の前に立つ。若い女性だった。なんでも、企業の若社長の奥方だそうだ。不運の事故に遭い、跡継ぎも産めずに逝ってしまったらしい。彼女の家族もさぞかし報われないだろう。
そんな不謹慎なことをつらつらと考えていたが、出棺前の喪主の挨拶で私は深く反省した。

昨日電車で会った青年が、どうやら喪主らしい。思わぬ巡り合わせに、私はその瞬間だけ葬儀に真面目に集中した。あの指輪はエンゲージリングで間違いなかったのか。彼の顔色が悪く見えたのも納得した。うちはマダラ、という固有名詞を持った青年を、まるでドラマに出てくる悲劇の主人公を思うがごとく気の毒に思った。
喪主の挨拶の際、司会者が彼にマイクを渡したが、彼は一言も発さず、マイクを補佐であるらしいヒカクという人物に預けて式場を出て行ってしまった。会場は一時的にざわついたが、若い男女の悲劇的な愛の結末を美化するように、参列者の中から「ショックよね」「まだ若いのに」「結婚式もまだだったんでしょう」などと悼むような安い言葉が漏れていた。
そのまま式は流れ、それ以降の出棺や火葬場への移動などは任意だった。私はもちろん出るつもりはなく、そのままホテルに向かうためのバス停に向かった。

途中、耐えきれなかったとでも言うように、ついに雪が降り出した。牡丹雪だ。空から剥がれ落ちるように視界に散らばる無数の白に、吐息が凍える。バッグから取り出した折り畳み傘を差し、空を切り取ったその狭い空間で身を縮めながらバス停を目指した。
きっと、積もるだろう。
電車のダイヤが狂うのが目に見え、思わず深く息を吐き出した。



バス停が見え、足を止める。雪が積み重なる傘は重みを増す。路面も白い薄化粧が施され、音もなく肌に触れる雪が透けて消えた。
先客がいるようだ。
見えた黒い影に戸惑いながら、バス停に近付く。
しかしその先客の姿が完全に見えた時に、思わず瞠目した。

――うちはマダラだ。

何故喪主がこんなところにいるのか。火葬場は逆の方向だ。道に迷った、ということはまずないだろう。理解するには辻褄が合わない状況に、眉をひそめた。
すると彼はこちらの気配に気付いたのか、ゆっくりと振り返る。黒い瞳と目が合った。

「……お前」
「こんにちは。火葬場は逆の方向ですよ」
「参列者の中にいたのか」
「ご愁傷様です。父がお世話になりました。本日は父の代役として参列させていただいた次第です」
「……」

興味はまるでなさそうだ。そらされる視線は、ゆっくりと舞い降りる雪の軌跡を追う。
しかしこれでは火葬場で騒ぎになっているはずだ。火葬は死者との別れの儀式であるのに、喪主であり伴侶であるこの人がこんなところにいなければならない理由はない。最後に顔を見届け、骨を拾い、納骨する。親族ならば、確実にやらなければならない。
……愛する人が灰になったところなど見たくない、というのもあるのかもしれないが。

火葬場は逆方向ですよ、と今一度告げた私に、彼は吐き捨てるように言った。

「オレには関係がない」
「……」

その言葉の意味をどう取るべきか、私は思索した。彼は白い息を吐きながら、バスの時刻表を確認している。ここに来るバスは循環線だ。15分置きには次が来る。しかしこのバスもやはり火葬場の近くには行かない。傘を持つ手が悴んできた。バッグと傘を入れ替え、持ち直しながら眉をひそめた。

「あの」
「なんだ」
「火葬場には、行かないんですか」
「オレが行って何になる。葬式なんて生き残った人間が死を受け入れるための儀式だ。死者を弔うものではない」
「でも、仮にそうでも、あなたが愛した奥様でしょう」

別れがたくはないのか。問いかけると、彼は嘲笑するように薄い唇を歪めた。
傘に積もる雪の重みが指に食い込む。冷たい外気も相まって、手のひらには鈍い痛みが走った。

「誰が愛した」
「え……?」
「そんな覚えなどない」

遠くを眺めるように、彼は吐き出した。雪のように冷たく透き通るような、刃物にも似た言葉だった。
ただ無機質なほど白い彼の横顔が、マネキンのようにそこにある。深い漆黒の髪に、雪が触れた。溶けずに残る白に、異様な虚しさを覚えた。
なんて残酷な告別式だ。
私はかける言葉も見つけられず、傘を握る手に力を入れる。同時に彼が傘を持っていないことに気がついた。

不意に地鳴りのようなエンジン音が鼓膜を揺する。
鉄の塊がゆっくりとこちらへと近づいてきた。ドアが手招くように開く。
彼を見るが、彼はバスには脇目もくれずにもと来た道を戻り始めた。雪は少しずつ降る量が増えてきている。手に持った傘を強引に彼に渡し、バスに乗り込む。席に腰を下ろし、バスが発進したところで窓の向こう側を見た。私が与えた傘をさした彼が、雪の中に霞んでいった。



20121219


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