※いろいろと注意。
※勝手な解釈と捏造が含まれます。



目蓋の裏側には死神がいる。




▽或る女の症例

夢を見るんです。
毎晩、毎晩、同じ夢を見るんです。
私はどこか、暗い、たぶん、水の中、そう、水の中に沈んでいくんです。
ゆっくりゆっくり落ちていって、身体は動かないんですけど、意識だけはっきりしていて。
苦しくはありませんでした。
呼吸?
呼吸は、そこまではわかりません。
ただ、水泡が音を立てて水面に上がっていくことはわかるんです。
意識してるわけではないんですけど、肺にもどんどん水が貯まっていって。
身体がたぶん重くなっていってる。
水面がどんどん遠ざかっていく。
最初は明るく揺れていた光の束も、暗澹とした水圧に覆われていました。
そうして気が付くと、私はたぶん、水底に立っているんです。
その頃になると、身体の隅々に水が浸透していて、私はぶくぶく醜く膨れているんです。
……水太りがこんなのだったら勘弁したいです。
ぶよぶよの、肉の塊みたいになって、ふやけていて。
指先なんかは、もう原型を留めていないんですよ。
なんだか海月の足みたいになってて。
辺りは暗い青で覆われていて、そんな空間が途方もなく続いているのに、何故か私には、小さな箱の中に閉じ込められているような気がしたんです。
ああ、まずいってそこで思うんですよ。
だって、水でどんどん身体中が膨れていくんですよ?
箱の大きさまで膨れちゃったら、きっと、溢れちゃうじゃないですか。
……え?
ああ……確かに、そうですね。
なんで、溢れたらダメだと思ったんだろ……。
そう、それで、私は底から抜け出したくて上を見上げるんです。
もちろん、夢とはいえそんなことをしても浮き上がれるわけではないんですけど。
それからなんとかして水面に顔を出そうと、私は方法を考え出すんです。
そこで、なんだか、思い出して。
え、ああ、思い出すって言っても、何を思い出したのかは、目が覚めるとわからなくて。
それで、思い出して、歩き出すんです。
確かに、水底を歩き出すって、変な表現かもしれません。
普通なら、泳ぐ、が正解ですよね。
水底を歩いていくと、誰かがいるんです。
男の人でした。
黒髪の、まだ若い男性です。
私、たぶん、その人を知っているんです。
懐かしい。
はい、確かに、知り合いだと思います。
そうですね、この言い方は、少しおかしいかもしれません。
でも、知り合いなんですけど、知らないんです。
はい。
……いいえ。
違います。
こんなこと言うと変なんですけど、昔、仲の良かった男の子がいて。
いえ、彼氏とか、そういうんじゃないんです。
彼、好きな子いたし。
それで、その子が、その人な気がして。
でも、それだとおかしいんですよ。
その子、13歳で戦争で亡くなってるから。
確かに今生きてたら、その男性くらいの年だと思います。
でも、変でしょう?
だって13歳で亡くなった子の大人になった姿なんて、わかるはずないじゃないですか。
でも、私には、その人がオビトくんに思えてならなかったんです。
あ、オビトくんっていうのは、その亡くなった男の子の名前で。
……さあ、どうでしょう。
でも、もしそれがオビトくんなら、オビトくんは私に会いに来てくれたのかな、なんて。
冗談です。
オビトくんには好きな子がいたし。
……皮肉にも、オビトくんが亡くなって少しして、オビトくんの好きな子も戦争で死んだらしいんですけどね。
私は人づてに聞いただけです。
彼女とも、友達でした。
だから、葬儀くらい出たかったな、なんて。

なんだか、私だけ生き残ってしまったみたいで、寂しいですね。



▽在る男の場合

その夢を見るようになったのは、イズナが亡くなりひと月経った頃だった。
眼もようやく馴染んできたころでもあり、戦場に復帰した時期でもあった。
一時は失明したこの目玉が、こうして光を取り戻したのは弟の献身的な決意の賜物であった。
しかしあの子はそれがきっかけとなり、命を落としたのだ。
両目を俺に差し出し、盲目となり、しかしうちはの誇りを貫くために戦場へと飛び出していった。
戦死は、一族のために生きた、名誉ある死だ。
この戦乱の世で、全うに生きた証だ。
しかし、弟を喪ったことで穿たれたこの空白は埋まることを知らない。
あの子は両目を差し出した時、目となって俺と共に生きると言った。
俺が生きる限り、自分自身も生きるのだと、そう笑っていた。
思えば、その言葉自体がすでに己の死を迎えようとしているものだった。
次の戦に出ると言ったあの子が、自殺を覚悟したも同然だと何故気付かなかったのか。
眼を失ったうちはの末路など、知れている。
――絶望していたに違いない。
己の生に苦しんでいたに違いない。
何故、兄として気付かなかったのか。
考えればわかることだ。
両目を抉るなど悍ましいことを、誰が好き好んで選ぶというのか。
その痛みと恐怖を、自ら覚悟したあの子は、いったいどれほど悩んだのだろう。
そんなことに今更気づくなど、なんと浅はかなことか。
俺を恨んだだろうか。
俺を憎んだだろうか。
死の間際ですら、優しく笑んだあの子の顔が心臓を抉る。
……夢の中では、 無数の目玉が、俺を見ている。
責めるように、呪うように、悔やむように、俺を見ては瞬いているのだ。
その視線に応えるように、俺の目玉は眼窩から抜け出してしまう。
そしてごぼごぼと水音を立てて金魚鉢の中に沈んでしまうのだ。
俺はそれを追いかける。
すると不思議なことに、金魚鉢の中へとこの身体は簡単に沈んでいってしまった。
目玉はいつの間にかイズナの姿に変わっており、水の奥底に沈んでいく。
海のようなところだろうか。
海など、内陸国である火の国では見たこともない。
だが、イズナは確かにその奥底に沈んでいった。
俺の体は、それを追うように沈んでいく。
辺りは真っ暗だった。
時折波に揺られて視界が歪む。
身体は動かぬ。
しかし意識ははっきりしていた。
おもむろに手を伸ばせば、重い水圧が指先に絡まるだけであった。
やがて底に辿り着いたところで、俺はいくつもの人影を見る。
イズナ。
いや、あの子だけではない。
父上。
母上。
ヒカク。
死んでいった同胞たちが背を向け、立っていた。
俺は彼らに追いつきたいのだが、どうにも追いつかない。
すまない。
すまない。
ごめん。
ごめんな。
謝罪が口から水泡と共にぼろぼろとこぼれる。
しかし水圧がまとわりつくこの身体は、うまく動かすことができぬ。
やがてその人影たちは皆歩き出した。
俺に背を向け、遠ざかっていく。
俺は其処でいつも目を覚ます。

嗚呼、俺だけが、生き残ってしまった。



▽少年の手記

父上も、母上も、この手にかけました。
許嫁も、友人も、殺しました。
そんな顔をしてしない?
そうですね。
ですが、貴女には、そう見えるだけでしょう。
オレは確かに殺しました。
オレが殺したんです。
血の匂いも、肉を断つ感触も、手に絡みつく粘ついた体液も、覚えています。
悲鳴も、子を庇って助けを請う女の声も、裏切ったと呪詛を吐く声も、覚えています。
頭にこびり付いて離れないんです。
毎日毎日、夢に見るんです。
川のような、湖のような、沼のような、そんな暗い水の底から、たくさんの手が伸びてくるんです。
小さな手。
大きな手。
皺が刻まれた手。
白魚のような手。
骨ばった手。
痩せ細った手。
肉が付いた太った手。
たくさんの手に、全身を引っ掻かれて、引っ張られて、抓られて、掴まれて。
オレは、水の中に沈んでいくんです。
引きずり込まれていくんです。
それが、ひどく恐ろしい。
オレの体はどんどん底に向かって引きずられていきます。
どんなに抵抗しても、手は離れません。
……はい。
そうですね。
手は、殺した人たちのものかもしれません。
髪が引きちぎられて、肉が削ぎ落とされて、足がもがれて、腕が折られて。
オレの身体はどんどん崩れていくんです。
暗くて深い水底に辿り着いたところで、オレは頭蓋骨だけになっているんです。
空っぽの眼窩から、水泡が虚しくすり抜けて弾けて消えます。
底は真っ暗でした。
誰もいないのに、たくさんの人の気配がして。
たくさんの声が、オレを責めたてるんです。

何故、お前だけが生き残っているんだと。


▽サバイバーズ・ギルト、或いは生き残り症候群について

戦争や災害、事故、事件、虐待などの不幸に遭いながらも、奇跡の生還を遂げた人がしばしば陥る。
特に周りの人々が亡くなったのに自分が助かったことに対して、感じる罪悪感のことである。
先日組織に入ったうちはの少年にはこの傾向が強い。
ペインや小南からは注意して見てくれと頼まれたが、私は些か納得しがたい節がある。
話を聞いた限り、毎夜悪夢に魘されているらしい。
そこまで気に病むのなら、何故そんな決意をしたのだろう。
彼のそれは、罪悪感よりも強迫観念に近いものがあった。
自分は責められなければならない。
憎まれなければならない。
恨まれなければならない。
何が彼をそうさせるのかはわからない。
しかしそれでも「死ねない」と口にした彼は、さながら生き地獄に身を置いているのだろう。
私がかつて、戦争で友人を亡くした際も毎夜亡くした友人の夢を見た。
夢とはその人間の深層心理を抽象化したものである。
ならば、喪ったその人の夢を見るということは。
そこまで考えて、私は背後に響いたノックの音に我に返った。

「nameさん? 起きてます?」

返事をする前にドアが開き、奇抜な色をした螺旋状の仮面が姿を現した。
表面上はゼツの部下だと聞いたこの男は、最近よく見かける組織の一員でもある。
無遠慮に部屋の中に入っていたその仮面に息を吐きながら、椅子から立ち上がった。

「なに、イタチくんがまた手首でも切ってた?」
「いつもの事じゃないっすか」
「ちょっと、自傷してたら止めてって言ってあるでしょ」
「いやいや、あれは止めたって無理っすよ」

死にたがってんだし。
笑いを含んでいったその言葉に、眉をひそめる。
否定はしないが、組織に入った以上、役に立ってもらわなければ意味がない。
ただ入って犬死されては困るのだ。
溜め息を一つ吐き、少年のもとに向かうべくドアに向かった。
同時にそれを阻むように、彼は私の前に立つ。

「トビくん邪魔」
「ええ、酷いなあ」
「イタチくんの様子見行かなきゃならないからどいて」
「nameさんはイタチさんが大好きっすね」
「それはそっちでしょう」

片目を覗かせる空洞を覗きこむ。
暗がりで真っ赤な目玉が鋭く光った。

「……目玉のストックは多い方がいい」
「悪趣味だね」

オビトくん。
皮肉を込めてそう吐き出すと、どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。
伸びてきた手が、首を絞め上げる。
酸素の供給が断絶され、つい顔を歪めた。

「あまり、調子に乗るなよ」
「はいはい」

かすれた声で返す。
途端に解放された気道に、酸素が一気に肺に流れ込んだ。
どっと押し込む空気の波に、激しく咳き込んだ。
私を突き飛ばし、その場から姿を消した彼の影を目で追った。
……すっかり変わってしまった。
そんなことを思いながら、うちはイタチのもとに向かった。


▽或る男の遺志

父も母も、オレが生まれて間もなく戦争で死んだ。
リンも死んだ。
ミナト先生も死んだ。
カカシも変わった。
nameも罪人に落ちた。
オレの世界が、崩れていく。
沈んでいく。
窒息していく。
だというのに。

オレだけが、こんな世界に生き残ってしまった。



20130212


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