「君は少し派手に動き過ぎですよ」
すみません。でも、少しでもあの人に償いたいのです。

私の咎めるような言葉にそう返した彼女≠ヘ、今にも透けてしまいそうなほど小さく笑って背を向けた。傍らでは真っ白な振り袖を翻しながらユキメノコが鳴く。ユキメノコはクルリと彼女≠フ周りを一周して空気に溶けるように消えた。そんな自分のポケモンの遊びに付き合うように彼女 は両手を頭上に掲げる。ちょうどその両の手のひらに収まるように、透き通った薄青の小さく丸い氷のようなものが2つ現れた。ユキメノコの目だ。キロリと動いたそれはクスクス笑いながら彼女≠見る。そして宙に霧散している塵が凝縮していくように、頭や胴、振り袖の部分が目を軸に現れた。頭上に掲げた彼女の両手は、ちょうどその頬を優しく包み込む形になる。私には消えたように見えたポケモンの姿が、彼女≠ノはわかるのか。ぼんやりとユキメノコと戯れる女性を眺めながら、私は再度忠告を口にした。

「…期限が過ぎれば彼≠ヘ君のことなど忘れてしまうでしょう」

その言葉に彼女≠ヘ笑う。私はそれで満足だと。



***



ジョウトに戻り二週間が過ぎた。組織の計画は着々と進み、それに比例して忙殺される日々が募っていく。三人の幹部は皆任務のため出払い、私はひたすら来るべき日のため計画を練り上げる。彼らに比べて幾分か楽に思える仕事だが、集中もできない時のそれはひどく消耗した。椅子に深く腰掛け宙を眺める。睡眠をとっても休息をとっても、体内に根を張った疲労は抜けない。深く吐息をついては俯いた。そしてデスクの上に山積みになった報告書へと視線を移す。
適当に一束手にとっては文字の羅列を目でなぞった。確か、先日ランスが失敗したというヤドンの井戸の報告書だ。たかが十やそこらの子供に負けたのだという。彼にしては珍しい失態だった。途中まで読んで目を通すのを止め、目を瞑る。
何をしても身が入らない。集中できない。
シンオウでのことが幾度となく脳裏で再生され、そのたびに疑問と不気味さにかられた。それに拍車をかけるように、戻ってきた時に見た女の団員も嫌に思考に引っかかる。二つが関連してるとはあまり思いたくない。しかし否応なしに日ごと風化していく記憶は、曖昧になればなるほど奇妙な虚無感を誇示した。
思考を巡らし、私は考える。彼女の名前は何だったのかと。何故、そこだけ思い出せないのかと。…いや、そもそも自分の意志で忘却したのだ。今更になって思いだそうとするのは、ただの矛盾だ。

「……」

顕著になっていく自分の浅ましさに、ひどい嫌悪感が去来する。思い悩むのならいっそのこと忘れてしまえ。だがそれでは虚無感が目立つ。ならどうすれば楽になるだろう。彼女にもう一度会えばいいのだろうか。分からない。まるで母のために働いていた頃の繰り返しだ。サカキ様に拾われるまで、幾度となく疑問と嫉妬、苛立ちは頭の中で渦を巻いていた。どうすれば楽になれるのか。一時期は母との心中すら考えた。だがそんなことで命を絶つなど、惨めで安っぽい真似事はしたくなかった。生きたいのか。死にたいのか。違う。問題はそこではない。
ただ、私は…

「失礼します」
「!」

不意に開いたドアに、思考は中断される。俯いていた顔を反射的に上げれば千歳緑の色を視界がとらえた。どこか険が滲んだ表情は、相変わらずだ。用があるのかと問いかければ、ランスはチョウジの調査報告書だと書類の束を私に差し出した。それはラムダとアテナが担当だったはずだ。思い尋ねると、彼は厄介な人間が嗅ぎ回っていて迂闊に動けないから自分が使わされたのだと言う。言い終わると同時に不快に歪んだ顔を見るに、よほど気に入らなかったのだろう。次いで午後には一度二人が戻ってくると付け足した。

「厄介な人間ですか…ひとまず実験が成功したのなら、あのアジトは用済みでしょう」
「アジトは問題ではありませんよ。問題はその人間です。」
「また子供だと?」
「いえ、嗅ぎ回っているのは男だとか。ドラゴン使いとか聞きましたね。」
「……」
「下手に襲撃される前に退去させるか…あるいは迎え撃つか。」
「電波装置はラムダが細工をしています。鍵がなければ団員を全滅させてもどうにもできませんよ。彼らに任せましょう。」
「…わかりました…」

特に異議を口にするでもなく、ランスは頷いた。その目は終始変わらず剣呑に揺れている。話が終わったからか、彼は部屋を出るべく背を向けた。しかしふと何を思ったのか、彼は振り返り口を開く。そして表情に乏しい顔で言葉を紡いだ。

「ああ…そうでした。ずいぶんと疲れた顔をしてますね。あちらで雪女にでも取り憑かれましたか。」
「!」

彼にそぐわない、不可思議な発言だった。しかしシンオウのことを思い、心臓が跳ね上がる。必死に平静を装っては、思わず眉をひそめ、口を開いた。

「何の比喩ですか?」
「さあ?」
「……」
「ただ、キッサキでは雪が多く遭難者が出るそうだと聞きましたから。」
「……」
「導を失って、迷うのではと思っただけですよ」
「…お前にしてはずいぶんと抽象的な発言ですね」
「抽象的?まさか。吹雪の中真っ白な風景で迷わないはずがない。私が言ってるのはそれだけのことですよ」
「……」

口元だけ笑みを形作り彼は笑う。違和感を感じた。それに何故、彼は私がキッサキに行ったと知っているのだ。私はシンオウに行くとしかここを出るとき伝えなかった。
曖昧だった何かが、急速に輪郭をとらえ始める。
何か知っているのか。
頭に根を張る懐疑の念に心臓が嫌に早いテンポで鼓動を打つ。探り合うような互いの視線に、空気が一気に冷えていった。長い空白を置いて、口を開こうとする。しかしそれは別の来訪者により遮られた。

「ランス様、準備が整いました」
「!」
「わかりました」

開けっ放しのドアの向こう側から、女性の声が響く。ひどく抑揚に欠けた声だ。彼の部隊の部下だろうか。ちょうどランスの影に隠れてしまい、顔は分からない。しかし私の存在に気付き、彼女は深く頭を下げた。

「ああ、そうだ。彼女ですよ」
「!」

不意に、ランスが思い出したように口にする。一瞬何を言っているのかと眉をひそめれば、彼はどこか愉しげに言った。

「シンオウから帰ってきた貴方を迎えに行った下っ端ですよ。アテナから連絡を受けた団員が勝手に別の団員に連絡をしたおかげで齟齬が生まれていたようです」

彼女、とは今頭を下げている女の団員のことだろう。そうですかと一言返せば、彼女が顔をゆっくりと上げた。

同時にその顔に、息を飲む。


「…やはり、貴方は取り憑かれているようですね」

ランスが笑う。
彼の隣に立つ女の団員の顔は、シンオウで会った彼女のものだった。







20100403




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