***




「それは至極、面白い」

薄い唇が綺麗な弧を描いた。緑青の瞳が細められ、その視線は静かに私≠射抜く。言い逃れはできない。白い匣の中で、黒と千歳緑を纏う人は笑った。そしてゆっくりとした口調で問う。

「君はどちら側の人間なのです」
「私は…」

私≠ヘ。ただ、そう、償うためにここに来た。あちらとかこちらとか、私≠ノとって仕切とはひどく曖昧なものだ。どちらかの色に染まらなければならないというのなら、私≠ヘきっと何色だなんて認識することなく染まってみせるだろう。そんなものがあるなら私≠ヘどこまでも無色透明な存在として場所を変えられる。私≠ヘ彼≠ノ会いに来ただけだ。会って償うのだ。

「でも彼≠ヘ君を忘れてしまったのでしょう」
「……」

忘れてしまった。彼≠ヘ私≠知らない。彼≠フ中で私≠ヘ真っ白な存在だった。色も形も音も、白く抜け落ち忘却に融けてしまったようだ。少しだけ、寂しい。しかし私≠ヘ覚えている。彼≠フ色も形も音も。覚えている。

「どうです?少し遊びませんか?」

緑青の瞳が笑った。その人の指先は一枚の写真を摘まんでいる。そこには私と彼≠ニ、ユキワラシとデルビルが写っている。まだ幼いときの写真だ。一体どこでそんなものを拾ったのか、あるいは私≠ェ不注意だったのか。それを手に持ったその人は至極楽しそうに問いかける。

「彼≠ヘちょうど1時間前、シンオウに向かいました」
「!」

背を悪寒が這い上がる。心当たりがあった。真っ先に浮かんだのは彼≠フ母親だった。もう、逝ってしまうのか。ただでさえ鬱々としていた気分が余計に暗く沈んだ気がした。目の前の人が君が彼≠ニ出会った地ですね?と付け足して口にしたが、さほど気にとめるほどのことではなかった。そんなこちらの様子を無表情に眺めて、その人は言葉を続ける。

「君もシンオウに行きなさい」
「!」
「そして彼≠ニ対等な人間として再会してきなさい」
「何故ですか」
「面白そうではありませんか」
「……」
「再会してきなさい。そして追想させるのです。」
「その後は…」
「また、彼≠ェ君を忘れてしまうのか試してみましょうよ」

そんなことに一体何の意味があるのだろう。私≠ノは分からなかった。しかし目の前の人は無表情から一変してとても楽しそうだった。きっと、ゲーム感覚なのだろう。どちらにせよこの人の言葉は上司命令だ。私≠ヘただ頭を垂れて、急ぎシンオウに向かった。

その後、私≠ヘ夜行列車で彼≠ニ再会した。



***



「貴女の正体はこんなにも身近にあったわけですね」

バンッと荒々しい音と共に腕を壁に突き立てる。走っていたせいで息が荒い。どうにも喉がひきつり呼吸が上手くできない。ひゅうひゅうと掠れた音を鳴らす喉に唇を噛んだ。手のひらから伝わる壁の無機質な冷たさが、少しずつ体の熱を冷ましていった。
己の体と壁の間に、自分よりも頭一つ分小さな体を挟み撃つ。見開いた眼の虹彩が、驚愕に色を亡くしていった。走っていたせいで体温も息も上がっているはずなのに、彼女の顔は上気するどころか体温を失ったように白い。一体どんな心中で今そこに立っているのか。恐怖か、後悔か、悲哀か、憎悪か。何一つ分からない。彼女を理解することができない。
それによる僅かな戸惑いを誤魔化すように、目の前にある虚無の瞳を睨んだ。情けないほど、ただの虚勢に過ぎない行動だった。しかし同時に糸の切れた人形のように、彼女の体はその場に崩れ落ちる。壁に身を預け、ぺたりと座り込んだ。反射的に一歩離れる。そしてその顔を見れば、瞳には一気に疲労が浮かび上がった。一瞬だけの沈黙が訪れる。音もなくやって来た自分たちのポケモンが、離れたところでこちらを見ている。
それに僅かに眼を伏せた後に、ゆっくりと口を開いた。

「言い逃れは、できませんよ」
「……」

今目の前にいる女は。
幼少時に会い、シンオウで接触した女だ。シンオウから帰ってきた私を迎えに来た団員の女だ。ただ彼女を見据えて答えを待つ。
彼女は答えない。代わりに疲労に満ちた瞳をこちらに向けた。

「貴女は、」
「ごめんなさい…」
「……!」
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
「……」
「ごめんなさい…ごめんなさい、ごめんなさい…」

彼女は顔を両手で覆い、まるで壊れたプレーヤーのように同じ言葉を繰り返した。彼女の謝罪の理由は、自分自身が一番わかっている。胸中にザワザワとした奇妙な感情が広がった。彼女の謝罪をBGMに、過去の映像の一部が脳裏に再生される。何故だかひどく虚しい気分になった。


***


結論から言うのならば、幼い時分、私は彼女に嫉妬していた。片親の自分と違い両親が揃い、また彼女はよく母親といたからだ。私にはないものだった。幸せそうな家族の絵も、親との思い出と呼ばれるものも、彼女にあって私にはなかった。無い物ねだりだったのだ。
そして彼女はまた私の母によく懐いていた。彼女は私の家によく遊びに来ていたから。母と彼女が二人でいる様は、幼い子ども心からか許せなかった。彼女は私以上に母と親子らしかったのだ。髪の色、表情、しぐさ、笑い声。髪の色が似ていたのは偶然だろう。私は皮肉にも髪の色が父に似ていたようだ。だがそれでも他人の彼女の髪色が母に似ているのが何故か気に入らなかった。子どもらしい彼女と、そうではなかったらしい自分。
彼女は笑顔で、私から在るべき場所を奪っていった。

しかしそれでも当時交友らしい関係が続いていたのは、年相応の感情を持っていたからだろう。友人と呼べるのは彼女一人だった。母が仕事で外出している時は毎日のように訪れた。真っ白な雪をザクザクと踏みしめる足音を聞くたび、私はためらいなくドアを開けた。
そして彼女は私に会うたび問いを口にした。

何故詰まらなそうな顔をするのか。
何故笑わないのか。
寂しくはないのか。
何が楽しいと思えるのか。

それらの問いが、私には苦痛だった。分かるはずだ。家の事情も、環境も、立場も違うのだ。その相違点が理由だと、少し考えればわかるはずだろう。だというのに問いを口にする彼女が大嫌いだった。

そして、あの日。いつものように私を訪れた彼女。彼女はその日、父親にもらったというユキワラシを連れてきた。自慢気に話す彼女に、私は同時期に拾ったデルビルを見せた。彼女は相変わらず笑顔で、嬉しそうにしていたのを覚えている。ただ、そう、きっかけが些細だった。あるいは限界だったのか。そしていつものように「一緒にいてくれる子がいるのだから笑えばいいのに」と笑う彼女に、私の許容量が限界を迎えたのだ。何故その言葉が引き金だったのかは知らない。だが今になって考えてみれば、それは私ではなく私の母にも当てはまる言葉だったからだ。母は私がいようといまいと、父が失踪してから笑うことを止めてしまった。私がいても、母は楽しくも何ともない。そう言われた気がしてならなかったのだろう。私は彼女に呪詛を吐いた。

お前なんか消えてしまえ

翌日、彼女は消えてしまった。ジョウトに引っ越したのだ。前日は挨拶をするために来たのに、私の言葉に彼女は何も言えず、ただ涙をこらえて謝罪と共に帰っていった。

そして私はその記憶に蓋をした。


***


ゆっくりと身を屈め、彼女と視線を合わせた。顔を覆っている彼女を腕を掴み、そっとどける。青ざめた顔はただ呆然と宙を眺めていた。謝罪を口にしていた唇は音を止め震えている。
昔抱いていた負の感情など、今はない。
あるのはそれに気付きたくなかったという嫌悪感だけだ。奇妙な虚しさだけが広がる。同じくらい不自然に静かだ。ずっと胸中にあった痼りは消え、今は明瞭に全てが見える気がした。

彼女は一体いつからこの組織に入っていたのだろう。
何故、ここにいるのだろう。
家族はどうしているのか。
何が目的だったのだろう。
ただ浮かんでくる疑問に色をなくした瞳を見た。

「少し…話をしましょうか」
「……」

静かな空間だった。ゆっくりと持ち上げられる瞳がこちらを捉える。いつの間にか濡れていた瞳に、奇妙な罪悪感がよぎった。ゆっくりと彼女の腕を引き立ち上がる。
…キッサキの病院でとはまるで真逆だ。
小さく苦笑して、もう一度彼女を見る。どこか憂いを孕んだ瞳が細められた。そしてあの時と同じように、彼女は私の名前を呼んだ。





20100418




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -