▼モノクロームの中にて

斜め前を歩く背中は、広くて薄いものでした。
白い蛍光灯は神経質に点滅し、褪せた色合いで辺りを照らしています。
冷えたアスファルトを踏みしめる音だけが、その空間のBGMでした。
会話はありません。
彼から口を開くということは考え難く、また私にはそんな勇気がなかったからです。
ただ歩いていく。
それだけでした。

しかしそんな淡々とした状況に反し、私の頭の中はグチャグチャでした。
明日からの学校生活、ランス君、先生。
並べた単語は泥ついた感情を纏って意識に浮上します。
少なくとも私は、クラスでは既に玩具の対象でしょう。
先生にも親にもそんなこと情けなくて言えません。
それに先生の中には、ランス君と何か関わりがある方がいるのです。
思うと怖くて、職員室にすら入りたくありません。
ランス君は。
彼はきっと、平気なのでしょうから。
だから、今回私を助けてくれたのは偶然の産物なのでしょう。
考えるほどどうしたらいいのかわからなくなります。
ガラガラと崩れていった私の平穏は、どうすれば戻るのでしょうか。
唯一家庭だけが、何も知らず、ゆえに何も変わらず私を待っているのです。

足元だけを見つめていた視線を上げますと、白い首筋が視界に映りました。
ネイビーグリーンの髪が影を落として、そこだけモノクロームに見えます。
しかし不意に赤い痣のようなものが見えて、慌てて視線をそらしました。
心臓が変な鼓動を打ち続けています。
カバンを握る手に力が入って、黒い波紋が胸中に広がりました。

「……シンクさん」
「!」

不意に、響いた声に体が強ばりました。
目の前ではランス君が足を止めていて、肩越しに私を見ています。
名前を呼ばれたという事実に、ジワリと熱が広がりました。
それにどうしたらいいかわからず、つい視線を泳がすと、彼は間を置いて片手を私に差し出しました。
その手にはポケギアが握られています。

「番号、教えてくれませんか」
「!」
「無理にとは、言いません」

無表情のままでも、言われた言葉に再び心臓が大きく鼓動しました。
慌ててカバンからポケギアを取り出します。
指先が微かに震えました。

「……あとで連絡します」
「う、うん」

互いの番号を電話帳に登録して、彼はそれだけ告げると再び背を向けました。
そして曲がり角が見えたところで、彼はそこを真っ直ぐ、私は曲がって家に向かいました。
思い返すと、帰路が途中まで一緒ということに私は初めて気付いたのです。



▼謀に笑う声

「こんばんは」

受話器の向こう側から聞こえた声に、手のひらが汗ばみました。
彼から電話がかかってきたのは、ちょうど夕飯を済ませた時です。
それまで神経質にポケギアを私は気にしていました。
もちろんそれは、私が単に小心者だからですが。
しかしあまり気にし過ぎていると、家族の目に不自然に映ってしまいます。
そうなりますと、必然的に家族を避けるように部屋に閉じこもってしまうのです。
そんな私に、母は具合が悪いのかと心配してくれたのですが、私は曖昧に答えを濁してやり過ごしました。
今日くらいそう振る舞っても、明日普通に振る舞えば問題ないと、思っていたからでしょう。

「今、電話しても大丈夫でしたか」
「うん」

一体、どんな話なのでしょうか。
彼が目の前にいるわけでもないのに、ひどく緊張しました。
中途半端に手をつけた課題をそのままにして、机から離れます。
時計の針は、夜の八時を過ぎていました。

「昼間」
「!」
「倒れたとき、ポケモンを出そうとしましたよね」
「……! う、うん」

クスリと、笑う声が聞こえました。

「何を、しようとしたのですか」
「え?」
「ポケモンを出して、何をしようとしたのですか?」

その一言に、思考が止まりました。
同時にフラッシュバックのように昼間の光景が蘇ります。
大きく鼓動が飛び跳ね、心臓から送り出される血液と共に、黒い泥ついた感情が全身に広がったのです。

「何を、しようとしたのですか」
「あ……の……」

何を=H
ゴトンと動いた心臓に、一瞬だけ目の前がぐらつきました。
脳内ではあの時の笑い声が再生されます。
何が楽しいのでしょう。
何が面白いというのでしょう。
沸き上がるように浮かぶ問は、弾けて得体の知れない感情へと変化します。
泥ついた、どす黒い、焼けるような。
嗚呼、きっとこれが。

―――憎、い?


「わた、し」

何を、思ったのでしょうか。
辿り着いた一つの感情は、あまりにおぞましいものでした。
背筋に怖気が這い上がり、血の気が引いていくようです。
指先が震えて、ポケギアを握る手に力が籠もりました。

「いえ、君を責めてるわけではありません」
「……」
「ああ、そうだ。シンクさんが持ってるポケモンは何ですか?」
「む、ムウマ」
「ムウマですか。ゴーストタイプですね」
「うん」
「シンクさん」
「?」



滅びの歌なら、一度に彼ら全員に報復できますよ



それだけ彼は言いました。
まるで音を無くしたように、沈黙が訪れます。
一瞬言われたことの意味がわかりませんでした。
しかしそれが意味するところを解した途端に恐怖が背を這い上がります。
呼吸すら忘れて宙を凝視していた私は、無意識に机の上にあるボールに視線を向けました。

すると受話器の向こうから、いえ、だいぶ遠いところのような気もしますが、別の人間の声が聞こえてきました。
ランス君の家族でしょうか。
若い男性の声でした。
私はそれに我に返りました。

「すみません。今日はこれで失礼します」
「う、うん」
「では、また明日」

プツンと通話が切れます。
切れる直前に、「ランス」と彼の名前を呼んでいる声が再び聞こえました。
ずいぶんと若い男性の声だったので、もしかしたらお兄さんなのかもしれません。

私は着信履歴に残った彼の名前を見詰め、ムウマが入ったボールを握り締めました。







20100718




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -