▼贖罪の覚悟は未だ定まらず

「……変な病気は持ってません」

保健室のドアを開けながら、彼は言いました。
教室から私を連れ出した彼は、迷わず保健室へと向かったのです。
今は職員会議の時間ですから、もしかしたら保健の先生もいないかもしれません。
しかし構わず彼は中へと入りました。

泣きじゃくっていたせいで顔がボロボロになっている私は、その情けない顔で彼の背中を見ます。
彼の言葉を一度確認するように頭で反芻しました。
一瞬何を言われてるのか理解できなかったのです。
しかしよく考えたら、彼は根も葉もない噂を立てられていました。
この発言はそこからきた私に対する配慮なのでしょう。
私は袖で顔を拭いながら、謝りました。
しかし何故謝るのかと怪訝な顔をする彼に、拭ったはずの涙がまた溢れてきます。
込み上げてくる嗚咽を必死に飲み下しながら、私は彼の後に続いて保健室に入りました。
……やはり保健室の先生もいないようでした。

中に入ったところで、私はどうしたらよいのかわからずその場に立ち尽くしました。
彼は慣れてるような雰囲気で、保健室の引き出しや棚を漁っています。
次いで私に視線を向け、適当に腰掛けるように促しました。

「倒れ込んだときに、ぶつけたのでしょう。」

言いながら突然腕に走るヒヤリとした感覚に、小さな悲鳴が咽を鳴らします。
腕に貼られたものは真っ白な湿布です。
ツンとする匂いが鼻孔を突きました。
同時に体のあちこちにジンジンとした痛みが走り出します。
それに一瞬だけ顔を歪めると、彼も少しだけ眉をひそめました。

「痛みますか?」

別段驚く言葉ではないのですが、私は思わず目を見開いて彼を見ました。
ビリジアンの瞳が私の反応に丸くなります。
今思えばですが、私は彼に感情がないだとか、そんな考えを抱いていたのでしょう。
どんなに一人でいても平然としていた彼に、私はやはり誤解していたのです。
長い間を置いた後に、私は彼に平気だと返しました。

そして一度ぐるりと保健室を見回した後に、彼へ視線を戻します。
すると私が言わんとしていることがわかったのか、彼は目を細めながこう紡ぎました。

「……ここの先生も彼女と同じですよ」
「!」
「だから別に勝手に使っても、私から言えば大丈夫です」

どういう意味なのでしょう。
理解できずに首を傾げる私に、彼は感情が抜け落ちたような顔をしました。

「……見たでしょう、君」
「……」
「夜の、学校で」
「!」

それは、あの夜のことでしょうか。
それは、あの夜と同じようなことをした人が、まだいるということでしょうか。
否定したくて、たまらず彼を見ますが、彼はただ黙ってこちらを見ているだけです。
途端に込み上げてくる不快感に、吐き気に近いものが胸中を満たしました。
私はきっとこの時、ひどい顔をしていたに違いありません。
彼は失望しきったような、呆れたような顔で私を見ていたのです。

彼は私を助けてくれたというのに、私はなんて酷い対応をしたのでしょう。

たまらずに俯き手のひらを握ると、不意に、ガラリと音を立てて保健室のドアが開きました。
体をビクつかせながらそちらを見ますと、保健室の先生である女性がいらっしゃいました。

「あら、どうしたの」

目を丸くして尋ねてくる先生に、私は一瞬だけ返答に戸惑います。
そんな私を一瞥したランス君は、当然のように言葉を紡ぎました。

「彼女と廊下でぶつかってしまって、怪我をさせてしまったので湿布をいただきました」
「そう、大丈夫?」
「あ……はい」

穏やかな笑顔のまま再び尋ねられ、ぎこちなく頷きました。
そしてランス君へと視線を向けました。
しかしその時の彼の顔色は、少し前とは比べものにならないくらい悪かったのです。

クラスの人間に何を言われようと、何をされようと、顔色一つ変えなかった彼が、一体どうしたのでしょう。
急に不安になりました。
そろそろ下校時間にもなりますから、具合が悪いならもう帰った方が良いかもしれません。
散々躊躇った挙げ句、口を開こうと決意したのですが、タイミングが悪く先生が先に言葉を発しました。

「ランス君、顔色が良くないわね。」
「! そんなことは……」
「少し休んでいきなさい」
「……! いえ、僕は」
「無理は禁物よ。少し休んでから帰りなさい」

どこか強引にも見えました。
それに疑問を抱いたのですが、既に用が済んでしまった私は、先生により退室させられてしまいました。
退室する際に一瞬だけ見えたランス君の表情が、どこか辛そうに歪んでいました。

ドアが閉まると同時に聞こえた鍵を閉めるような音は、気のせいだったのでしょうか。



▼少女、或いは少年の深謀

そのあと、教室に戻るにも戻るのが怖かった私は、ひたすら時間が過ぎるのを待ちました。
下校時間と言えど、教室に残って無駄話をしている生徒がいるのは当たり前だったからです。
階段を上ったり下りたり、踊場で立ち止まったり、意味もなくトイレに行ったり。
極力一目を避けて時間を潰しました。
本当は荷物はすでにランス君が持ってきてくれたので、帰ろうと思えばいつでも帰ることができたのです。

しかし私は、やはりランス君が気掛かりだったのでしょう。
彼を待つために教室に戻ろうとしました。
戻ってくるという確証はありませんが、何となく、教室で待っていれば来る気がしたのです。

それからしばらくして、各教室の電気が消え始めたころ、私はようやく教室に戻りました。
教室の中は既に電気が消えていて、誰かがいる様子がなかったからです。
物音一つしない教室に入り、私は自分の席に座りました。
廊下から差し込む白い蛍光灯の光だけが、その空間の輪郭を保っていました。

「まだ」
「!」
「帰ってなかったのですか」

不意に、聞こえた声に私は教室の入り口に視線を向けました。
薄暗い空間で、ビリジアンの瞳が仄暗く光っています。
ランス君です。
私が返答に戸惑っているのを無視して、彼は自分の席からカバンを取りました。
……私の荷物を持ってきてくれたのに、彼は自分の荷物は持たなかったのです。

一人でおどおどとしながら、彼の横顔をそっと盗み見ました。
嗚呼、やはり顔色が悪いのです。
再び不安を思い出して、私は無意識に口を開いていました。

「ランス、君」
「……」

何ですか。
瞳が向けられました。
一瞬だけ心臓が跳ね上がります。

「大丈夫……?」

たっぷりと間を置いて、やっと口に出せたのがその一言でした。
ランス君は一瞬だけ目を丸くして、しかしすぐに伏せました。
閉ざされていた彼の口元が、不意に歪みました。
伏せられた瞳が何か暗い感情に揺れています。
次いでガンッとけたたましい音が響いて、私は息を呑みました。

「ハッ……気分は最悪ですよ」
「……!」

カバンを机に叩きつけ、彼は吐き捨てるように言いました。
こちらを睨み付けるように見ている瞳に、背筋に氷塊が滑り落ちます。
震えだした手を、無理やり押さえ込むように握り締めました。

「ごめん、なさい」
「何故謝るんですか」
「え……?」
「どうせ、見下しているのでしょう」
「何を」
「彼女たちのように、まるで使い捨ての玩具くらいにしか、私を見ていないのでしょう」

不意に彼の白い手が伸びてきました。
制服の襟を乱暴に掴み上げられました。
気道が締められ、全身が震えました。
訳が分からなかった私には、意味のない謝罪をすることしかできません。
恐怖のあまり涙を目に滲ませて、壊れたように「ごめんなさい」を繰り返しました。

「……っ」

するとつまらない私の反応に呆れてしまったのか、彼は乱雑に手を離しました。
彼の瞳がやけに、悲しそうだったのを覚えています。

「……帰りましょう」
「!」

大きく呼吸したあとに彼は言いました。
背を向け、私が来るのを待つように立ち止まっています。
私は一瞬だけ躊躇って、しかしカバンを抱えて彼の後を追いました。

一体彼に、何があったのでしょうか。





20100704




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