▼ヒトの成れの果て


「貴女のご家族には、事故に遭いかけたと連絡させていただきました」
「……」

目の前にいる少女は、薄く小さな肩を震わせました。小さな体をさらに縮め、強ばらせ、彼女は膝を抱えます。擦りむけた膝が、赤く滲んでいました。
――幸い今日は、サカキ様が留守でした。だからこそランスのワガママが通じたというものです。30分ほど前、何かから逃れるようにこの少女とランスはここにやって来ました。
偶然ドアを開けたのが私だから良かったものの、他の団員だとしたら大騒ぎになっていたでしょう。とにかく彼にしては珍しく焦っていた様子でした。また、彼が連れてきた彼女も何か精神的にショックを受けていたのか放心に近い状態でした。……彼女がランスの言っていたともだち≠ネのでしょう。何かあったのかくらい容易に察しがつきます。
追い返すのも躊躇われ、人目には触れないよう、私の部屋まで2人を連れてきました。

そしてここに来て15分程度経った頃でしょうか。ランスの携帯が鳴り響き、彼は電話の相手と淡泊な会話をしていました。会話の内容は、よく聞こえなかったのでわかりません。まるで鉱物のように無機質な目をした彼の顔に、怖気に近いものを感じました。

「……アポロさん」
「!」

名を呼ばれ、私は彼へと緩慢な動作で視線を向けました。部屋の片隅で虚ろな顔をしていた彼の瞳が宙を見つめています。私は首を傾げ、眉をひそめました。彼はゆるりとこちらを見て、口を開きました。

「父が死にました」
「!」
「歩道橋から、転落して頭を打ったんです」
「……お気の毒に」
「いえ……」

煮え切らない返答をし、彼は再び視線を宙に戻しました。同時に、先ほどまで口を噤んでいた少女が声を発しました。

「わたし、が」
「!」
「私が、悪いんです。私……私が、私、が、悪い」
「?」
「私があの時、突き飛ばしたから、だって、あの人暴力を、だって、私が、私のせいで」
「貴女は」

――ああ、そうか。
2人が逃げてきた理由が頭の中で組み立てられていきます。歩道橋。父。転落死。逃げてきた。暴力。突き飛ばした。2人。
それはある意味、不可抗力のようなものです。もしくは正当防衛。
ですがそれを目の当たりにして逃げてきたというのだから、彼にも年相応の面があったのでしょう。
彼女はガタガタと震えながら、ひたすら懺悔を繰り返しています。
するとランスがゆっくりと彼女の前へと歩を進めました。そして彼女の視線を掬うように身を屈め、彼女の顔を覗き込みます。

「違いますよ」
「!」

少女の肩が大きく震えました。

「あれ≠ヘ私が殺しました」
「ち……ちが……私が……」
「貴女は何もしていません」
「私が、私が突き飛ばした。私が、私が殺し……」
「貴女は、悪くありません」
「私が……!」
「シンクさん」
「!」

彼が彼女の震える両手を握りました。そして再度、言い聞かせるように繰り返します。

「私が殺しました」

見開いた彼女の瞳は、溢れそうな水膜に覆われています。彼は彼女の震える手から、何かを抜き取りました。どうやらモンスターボールのようです。

「では、私から貴女に罰を架しましょう」
「ばつ……?」
「私は、父を殺した貴女を許さないことにします」
「!」
「しかし、貴女がそれを償えば許しましょう」
「許す……?」
「ええ、ですから、許すまでの間、貴女のムウマは私が預かっておきます。貴女を許したときに、ムウマを返しましょう」

疎ましくさえ思っていた父でしょうに。彼の言葉を聞きながら、私は内心で嘲りました。
しかしそう言い聞かせてまで、彼は彼女を救いたかったのでしょう。繰り返し繰り返し、彼女に「貴女のせいではない」と、矛盾を紡ぎ続けました。

「だから、陽向で生きてください」と。

それから30分もしないうちに彼女の両親が迎えにきました。親に連れられ、帰っていく彼女は相変わらず怯えた様子です。
その親子の姿が見えなくなったころ、ランスは言いました。

「私もこれで犯罪者です。これなら組織に入れるでしょう? アポロさん」



▼或る少女の贖罪

そしてその日以来、ランス君は姿を消しました。学校ではいろいろな噂が流れました。細かいことは覚えてないのですが、ほとんどが嫌な噂だったと思います。
私はその日から何かに怯えるように、罪悪感のみをずるずると引きずって生きてきたと思います。
しかしランス君が消えてちょうど1ヶ月ほど経った頃です。
私はあの日会った、彼がアポロさんと呼んでいた人に、学校帰りに会いました。
いえ、正確には、あの人は私に会いにきてくれたのです。立ち話も何だからと、近くのカフェに行くことになり、そこでランス君について聞くことができました。

「シンクさん、とおっしゃいましたか」
「はい」

ティーカップの縁を指でなぞりながら、アポロさんは言いました。淡い千草色の髪が、柔らかく揺れます。

「ランスは以前、貴女のことを友人だと話していました」
「!」
「実際のところは当人しかわかりませんが……少なくとも気にはかけていたのでしょう」
「……そう、ですか」
「貴女は」
「!」
「ランスをどう思っているのです」

唐突な質問に、私は息を呑みました。どう答えたら良いのかわからなかったのです。友人かもしれません。ですが私は。
答えに窮していると、彼は小さく苦笑しました。そして笑みを仄かに残したまま、口を開きました。

「ランスのことは、忘れた方がいいでしょう」
「!」
「貴女のためです。彼はもう、貴女とは違う世界で生きていくことを選びました」
「……!」

告げられたことを理解するのに、間がありました。しかしそんな私を黙殺し、アポロさんは席を立ちます。

「突然すみませんでした。貴女と少し、話がしてみたかっただけですから」

去っていく背中を見ながら、私は思案します。私はランス君にとって、一体どんな存在だったのでしょう。今ではそれを知るすべはありません。

あれからもう、10年がたちました。







20110209





×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -