▼歩道橋と理想郷

あの日以来、学校帰りにランス君と共に回り道をしながら帰るというのが、習慣になりました。とは言っても、特に何かをするわけでもありません。日によっては一言も喋らずに遠回りをするだけ、ということもありました。話したとしても、ほんの2、3程度の1文にも満たない短い会話のやり取りだけです。
しかし私には、その沈黙がとても心地良いものでした。
今では昔のように、ランス君に対して変に気を張ることも、恐怖を抱くこともありません。私たちは純粋に友人であったのだと、独りよがりな思い込みを私はしていました。

放課後のチャイムが鳴る。2人で帰路を遠回りする。会話はありません。思うままに私は前にある背中の後を追いました。しかし彼は、遠回りでも必ず通る道がありました。それはあの日、初めて回り道をした日にやって来た歩道橋です。
歩道橋に来て、特に会話をするわけでもなく、ただぼんやりと俯瞰の風景を見下ろすのです。その歩道橋には、日が暮れ始まり、辺りが暗くなり始めた頃を狙って訪れていました。
ちょうど暗くなると、歩道橋からは建物の明かりや車のランプの明かりが綺麗に眺めることができます。
黒い海に沈んだネオンの星は、無機質で人工的で、存在感ばかりが誇示されていました。
子供ながらも、その光景の虚しさに、多少は思うことがあったのでしょう。
雑踏も、雑音も、排気ガスも、私たちの存在を綺麗に無に返してしまいます。私たちがそこに立っていたながらも、まるで見えていないように通り過ぎていく人の波に、幽霊になった気分でした。空気に溶けていくような己の体に、叫びだしてしまいたい衝動と、まるで澄み渡っていくような錯覚を抱きました。

私はそんな得体の知れない感情を携えながら、彼の横顔を盗みます。彼のビリジアンの瞳は、どこまでも暗く、深く、ひたすら景色を見下ろしていました。
そして5分、或いは10分。気の済むまで眺めたのか、彼はゆっくりと歩き出します。歩道橋の階段を下り、家路への道へと足を向かわせます。私はただ、それに黙ってついて行きます。

彼の背中を追う。思えばそれが当時の私にとって、唯一無二の生を実感できる時でした。学校には私たちを脅かす危険因子があります。家では、両親に学校であることを気取られないよう気を使うばかりで、安らぎなどありません。だから2人だけの帰路が、私にとって一番呼吸が楽にできる瞬間でした。



▼エンドロールから消えた名前

その日も私たちは、学校帰りに歩道橋の上にいました。
保健室の先生は、あの日を境に彼に近付かなくなったと聞きます。いえ、正式には、あの後事故に遭って、入院してしまったのです。新しい先生がやってきましたが、私は保健室に行くのははばかれました。もちろん体調を崩すということはめったになかったので、さほど神経質になることでもありませんでした。

私はただ黙って、景色を眺めている彼の横顔を見ました。
彼は一体どんな思いなのでしょう。何よりも今までのことがあります。私は頭の中のどこかで、あの先生も彼がやったのではないのかと、一瞬でも思いました。
しかし必死にその考えを除外し、思考を中断させます。

すると彼はもう景色を眺めるのに気が済んだのでしょうか。いつもより早く、動き出しました。私もそれに我に返り、彼のあとを追います。ですが彼は、不意に足を止めたのです。一体どうしたのでしょう。体をずらし、彼の表情を伺うと、強張っているのがわかりました。
視線の先には、男性がいます。
年は、40代前半でしょうか。ひどく嫌悪感に満ちた目で、こちらを、いえ、ランス君を凝視しています。背筋を嫌なものが這い回り、私は無意識に後退しました。

「ランス」
「!」

男性が彼を呼びました。同時に、彼の制服の胸元を無造作に掴み上げたのです。

「! ランスく……」
「お前のせいで!」
「!」
「またお前がやったんだろう? ハッあの女の子供だな。お前はオレが気付いてないとでも思ってるのか?」
「……」
「お前はどうせあの女が浮気相手と作った子供だ。可哀想だと思って今まで育ててやったのに」
「何を」
「てめえがオレの新しい女片っ端から潰してんだろ。この間もだ。あいつのおかげで学校に行けてるってわかってんだろ。なのにお前、殺そうとしたな?」

ガンッと荒々しい音を立てて、男性はランス君を歩道橋の手すりに打ちつけました。彼は小さく呻き、表情を歪めます。しかし男性は尚も彼を殴ろうと拳を振り上げました。私はとっさにそれを止めようと、男性の腕を掴みます。しかし簡単に振り払われては、その場に無様に倒れるだけでした。彼が私の名前を呼ぶのが聞こえます。ボールの中から、心配したムウマが出てきました。

「お前は自分で女を作って呑気にお遊びか?」
「彼女は、ただの同級生です」
「薄気味悪いガキが……!」

男性が彼の髪を掴み上げ、再び拳を振り上げました。痛みに歪む彼の顔が見えます。私は、ほとんど反射的に男性を彼から離すように突き飛ばしました。
いくら子供の力といえ、予想外の事態に身構えていなかったからでしょう。バランスを崩し、男性は彼から離れました。

そして大きく傾きます。次いで断続的に鈍い音が響きました。男性が視界から消えます。何が起きているのか、わかりませんでした。

「……シンクさん」
「!」

彼に名前を呼ばれ、肩が震えました。ムウマが小さく鳴きます。男性は、歩道橋の階段の下に横たわっていました。コンクリートに赤い水溜まりが広がります。同時に悲鳴が響きわたりました。

それを合図に、ランス君は私の腕を掴んで、逃げるようにその場から走り出しました。







20110205




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