worthless day


懐柔などされるものか。
固く閉ざした自己の内側で、身を強張らせた。総てをかなぐり捨てた自分が執拗に外界を厭う。呪詛を吐き散らかし、心底でなくしたモノの輪郭をなぞった。
喪われたモノと去っていったモノ。そしてそれを埋める代用品のような彼女。遠い昔に失った安寧など、もういらない。私には必要ない。

――だけど、どうか。
せめて彼女には安寧を。







「なるべく早く戻るから、ここで待っていてね」

塔の前で着地したサザンドラの背から下りる。彼の言う通り、確かにほんの小一時間程度で着いてしまった。飛んでいる最中は空気や風が痛いほど冷たかったが、移動が楽なことを考えれば大したことはない。
喉を鳴らしながら額を寄せてくるサザンドラを撫でる。……よく、凶暴だ、粗暴だと言われているポケモンだが、こうして触れ合ってみると案外人懐っこいようにも思える。もちろん私はサザンドラを見たのは初めてだ。個体の性格や、育て親にもよるのだろうか。彼はこのサザンドラは臆病だと言っていたのを思い出す。
ポケモンと言っても、一概に図鑑に書かれてあることが総てではないのだろう。

「あ……そうだ」

漆黒の毛並みに覆われた体躯を撫でながら、首に巻いてあるマフラーを外す。次いで外したマフラーをサザンドラの首にぎこちなく巻いた。ずいぶんと不格好な巻き方になってしまった。しかし嫌がる素振りを見せなかったので、今一度額を撫でながら言葉を紡ぐ。

「外は寒いから、マフラー。ちょっとは寒さがましになったかな。あなたのご主人様みたいに風引いたら大変だものね」

おどけたように笑いながら言うと、サザンドラは肩を突っついてきた。そして塔の傍らで体を丸める。早く行ってこい、ということだろう。その姿を見届け、小走りでタワーオブヘブンの中に入った。


父は昔から、旅とか、冒険とか、とにかく各地を巡ることが好きだった。私の記憶している限りでも、父はほとんど毎日のように家にいなかった。年に数回、私の誕生日や年末に帰ってきていたくらいだ。だが、別段それを疎ましく思ったことはない。幾つになろうと各地を巡り、お土産やたくさんの話を聞かせてくれる。私はそれが楽しみだったし、母もまた、そんな父を誇りに思っていた。

ただ、旅を共にしていたパートナーを失って以来、父から以前のような活気が消えてしまった。
今日はそのパートナーのポケモンの命日なのだ。
その子の墓標は、塔の最上階にある。階段で上るというのが少し辛い。しかしこれもほぼ毎年ある習慣になりつつあるから、最近ではだいぶ慣れた。

冷たい石畳に囲まれた螺旋階段を上って行く。冷え切った空気に足音が溶け、透明に反響した。
マフラーを外したからか、首もとから入り込む外気に体が震える。
途中何人かの人とすれ違いながら、目的の階に着いた。

この塔に来る途中、少し負担になると分かりながらも、サザンドラにフキヨセシティに寄ってもらって、花を買った。持ち合わせのお金があまりなかったせいで、大した花は買えなかったが、ないよりはましだろう。寒さに凍えるように小振りに咲いた花は、セロハンに包まれ身を寄せ合っている。辿り着いた墓標の前にそれをゆっくりと供えた。

「もう、生まれ変わって、パパに会えたかな」

墓標に刻まれた文字を指でなぞる。冷たさが染み渡った石碑の無機質さに目を細めた。……冥福を祈りに来たのだ。せっかくだから、鐘を鳴らしていこう。そう思い、再び螺旋階段を上り始めた。

そしてあと3段で屋上、という時だ。鐘の音が辺りに響き渡った。どうやら先客がいたらしい。
――冷たく澄んだ音だ。鼓膜を震わせ、脳内に浸透する音は静かに波紋する。透明な音。透明であるのに混沌としていて、空虚で、深い寂寥感を孕んでいた。
私が家に帰ったとき、聞いた音だ。あの時の。

階段を上りきる。いっそう冷たい空気が全身を軋ませた。同時に明るい声が鼓膜を叩いた。

「あ、ノトさん」
「!」

聞こえた声に、反射的に顔はそちらを向く。ちょうど鐘の前だ。人影が3つ佇んでいた。1つは、赤みの強い亜麻色の髪と空色の瞳の女性、フキヨセシティのジムリーダーであるフウロちゃんだ。あと2つは見慣れない少年と青年だった。少年の方は、栗色の髪で帽子を被った十代半ばくらいの子。青年の方も帽子を被っているが、長く癖のある柔らかそうな緑色の髪が印象的だった。
……今鐘を鳴らしていたのは青年のようだ。青年のシャドーブルーの瞳が向けられる。何故かそれに、奇妙な既視感に襲われた。

「こんにちは、お久しぶりです。ノトさん。お墓参りですか?」
「うん、そう。あ……あの」
「あ、この子たちね。私のジムの勝者……って言っても、1年以上前のね。またまた近くに来たから誘ったんです」
「そう、なんだ」
「こっちがトウヤ君、でこっちが……あ、えっと、N、君」

どこか躊躇うように青年を紹介した彼女の姿に、疑問がよぎる。しかしそれも「はじめまして」と握手を求めてきたトウヤ君にかき消された。

「はじめまして、ノトです」
「トウヤ君すごいんですよ。アデクさんに勝っちゃったんだから」
「! じゃあチャンピオン?」
「まあ、そうなんだけど、辞退しちゃったんだよね。ね?」
「あはは」

フウロちゃんに話を振られ、トウヤ君は乾いた笑いを零した。次いで彼は隣にいるN君を肘で突きながら、苦笑混じりに言葉を続ける。

「こいつ、探してたんで」
「? えっと、2人は友達?」
「ええ、まあ」
「ケンカか何かしたの?」
「!」

問いかけるなり、トウヤ君は目を丸くした。探したということは、N君が姿を消したということなのだろう。単純に考えて、ケンカでもして嫌な別れ方をしてしまったのかと思った。だが、この反応を見る限り違うようだ。思わず首を傾げると、フウロちゃんが遠慮がちに口を開いた。

「ノトさん知らない? 1年以上前の……プラズマ団の」
「? 何かあったの?」

――N君が、どこか安堵したように吐息を零した。
トウヤ君とフウロちゃんは戸惑うような仕草を見せた後、笑って「ならいい」と話題を打ち切る。日頃家から出ないせいか、時事にはどうにも疎くなってしまう。何となく謝罪を口にすると、彼らは苦笑した。

「さてと、じゃあそろそろ僕たちは行きます」
「あ、うん」
「ほら、N、行くぞ」

どこか引きずられるようにして、N君はトウヤ君と共に鐘の台から降りた。その姿を見届け、私も鐘を鳴らそうと段差を上る。そして吊された綱を手に取り、引いては鐘に打ち付けた。音が辺りに鳴り響く。

「ノトさんの音は、いつも何だか温かい」
「そうかな?」
「うん。でも」
「?」
「何だろう。最近何か、ありました? 何だか今日は悲しそう」

顔を覗き込んでくる彼女に、少したじろいだ。心当たりがないわけではない。だが、鐘を鳴らしただけでそこまでわかるとは思わなかった。曖昧に答えを濁し、私もまた帰る意図を告げる。
そして適当に挨拶を交わした後に、鐘の台からゆっくりと降りた。サザンドラが待ってるのだから、早く行かなければ。
しかしそう思っていた矢先、突然突風が吹き上がる。冷たい風が全身に突き刺さった。反射的に身を縮めると聞き覚えのある、獣の唸りが耳朶を打つ。
目の前にはサザンドラがいた。

「迎えに来てくれたの?」

マフラーを不格好に首に巻き付けたサザンドラが鼻先を寄せてくる。わざわざ屋上まで飛んできてくれたのか。額を撫でると喉を鳴らした。
傍らにいるフウロちゃんが、目を見開く。

「ノトさん、そのサザンドラ」
「あ、えっと、そう、友人の。友達が早く行きたいならって貸してくれたの」
「あ、そうなんだ」
「うん、じゃあ私帰るね」
「気をつけて」

手を振りながら、サザンドラの背に乗ろうと彼女に背を向ける。

――同時だった。

不意に肩に圧力がかかる。心臓が跳ね上がり、一瞬だけ呼吸が止まる。
サザンドラが、怯えるように大きく体を震わせた。

「君……」
「え……?」

緑色の髪が視界に映る。シャドーブルーの瞳が私を射抜いた。去ったと思っていたのだが、とっさに引き返してきたのだろうか。僅かに息が上がっている。

「N、君……?」
「どうして、君がそのポケモンを持っているんだ」
「え?」

――サザンドラのことだろうか。

「えっと、これは友達が」
「知ってるんだろ」
「!」

肩にかかる圧力が増す。青い瞳がどこまでも底無しの暗い感情を宿して、私を映した。彼の細い指が、容赦なく皮膚に食い込む。

「君は、知っているんだろ」
「なにを」
「とぼけるな。それはゲーチスのサザンドラだ」
「!」
「君は、彼を知っているんだろう?」

あなたは、そう言いかけた時だ。突然体が宙に浮く。首を使って器用に私を掬い上げたサザンドラが、羽音を立てて飛び上がった。彼の手が離れる。地が一気に遠退いた。

「待って!」

N君の悲痛な声が聴覚を突き刺す。しかしそれに気付かないのか、サザンドラはまるで逃げるように空を切った。全身にかかる冷たい風圧に、必死に黒い体躯にしがみつく。何が起こっているのか、よくわからなかった。ただ、予定よりもずっと早く家に着いた。
サザンドラは怯える様子を引きずったまま、彼の持つボールの中に戻った。


胸中には、黒い痼りが鎮座している。






20110129




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