helpless girl


その日も、雪は夜まで降っていた。ひたすら白銀に埋もれていく外の世界は、薄ぼんやりと青白く浮かび上がっている。遠くに見える街には暖色が灯り、まるで絵本の1ページのようだった。
白く曇った硝子の外を眺めながら、洗い終わった皿を棚に戻そうと背伸びをする。……今日の夕飯はパスタだった。ちょうど冷蔵庫にあった中途半端な食材も片付けられたし、残り物で作ったメニューにしては我ながら申し分ない料理だった。
明日の朝食は何しよう。両手に抱えた食器を見詰めながら考える。
同時に視界にスペアミントが映り、一瞬だけ動きが止まった。

「あ」

そして手に持っていた皿は、不意に横から伸びてきた手により奪われてしまった。
声を上げるより早く、その手は皿を、私の手の届かない位置へとしまい込む。

「あ……ありがとうございます」
「いえ」
「あの、でも」

これでは届かない。
私より背の高い彼だからこそ背伸びもせずに届く位置であって、私は台を使わなければ無理だ。できればその1つ下の段に入れて欲しかった。
その旨をそれとなく伝える。だが彼は私を見て数回瞬いたあと、食器を更に奥へとしまってしまった。最早私の視界にすら映らない。
……わざとだ。
隣に並ぶ形で立っている彼に、咎めるような視線を向けた。しかし彼は無表情のまま「何か」と淡々と口にする。それに眉をひそめながら抗議した。

「届かないじゃないですか」
「私は届きますよ」
「私が届かないんです」
「ああ……」
「ああ≠カゃないです。取ってください」

食器を指差しながら言えば、彼は少しだけ何かを考えるような素振りを見せたあと、くるりと踵を返した。背を向けリビングを出て行こうとする姿に、無意識に声が上がる。確実に故意であろう。とっさに引き止めようと、喉元まで言葉がせり上がってくる。だがそれは同時に発露した躊躇いによって、簡単に体内に沈んでしまった。
音にはならず、口内で霧散した彼の名前に怯む。

――彼の名前を呼ぶことに対する抵抗は、たった一度、その名を口にして以来、何故かどんどん肥大していった。
それは彼が私の名前を呼ばないこともあるかもしれない。しかし何よりもその名前に込められた意味を思うと、私はひどく気後れした。呼ぶことで彼が触れられたくない深部に、土足で踏み入れることになるのではないだろうか。
……彼が守ろうとしている何かを、私が知らず知らずのうちに壊してしまうのではないだろうか。
引いたはずの予防線を、安易に越えてしまったことに対する罪悪感が込み上げた。

「……機嫌を損ねてしまいましたか?」
「!」

静かに言葉を紡いだ彼に、反射的に体が強張る。伸びてきた手のひらが髪を梳いた。幼子をあやすような仕草に、なんとも言えない気分になる。

「そんなんじゃないです」
「では風邪でも引きましたか」
「……」
「冗談ですよ」
「からかわないでください」

その手のひらから逃れるように体を翻す。これでは本当に私が拗ねているようだ。子供でもないのに、まるで子供同然の自分の行動に惨めな気持ちになる。
そんなこちらの心情を知ってか知らずか、彼は小さく吐息をついた。

「いつも言っていることですが、貴女がもう少し私を頼ってくださればいいだけの話です」
「!」
「私は居候の身ですので」
「一人でできることなんですから別に気を使う必要なんて。それに二人なんですし今更肩身が狭いとかないでしょ」
「では言い方を変えましょうか。動作が危ういので見ているだけというのは心苦しいのですよ」
「そ、そんなこと……これでも私は大人です。一人暮らしだって結構長いことしてたんですからね」
「私にからすれば充分子供ですよ」
「……」

こども=B
伸びてきた手が、再び髪を梳く。……思えばこうして頭を撫でられることなんてなかった。父はひたすら自分の仕事に没頭していた人だったし、母は病弱で家にいること自体が少なかった。いつの間にか霧散するように私の家族はバラバラになっていた。家族間でのやり取りなんて、母が亡くなって以来無いに等しい。しかしそれを別段嘆いたことはない。それが当たり前≠セと、ずっと思っていた。
家族は、同じ家で暮らす不可欠な人間。
ならば家がなくなればそれは欠けていくものなのか。漠然とした認識に、ついぞ苦しくなる。

――ああ、でも。

では私と彼は家族なのだろうか。血は繋がってない。一体昔何があってここにいるのか知らない。名前も互いに上手く呼び合えない。こんな歪な家族、聞いたことがない。
なら、疑似家族?
そうだ。
これは家族ごっこ≠セ。
本物のフリをする偽物だ。
私たちは、偽物だ。
……途端に何故かひどく虚しくなった。

きっと終わりなんて呆気なくやって来る。そんなこと重々承知だ。いつもいつも思っていたことだ。朝起きて目が覚めたら、彼は黙って姿を消してしまうかもしれない。きっとそれまでのことが夢だったかのように彼は消えてしまうかもしれない。――残酷なだけの夜明けがそこに横たわっているかもしれない。

そんな想像は幾度となくしてきた。だが終わったら終わったで私は以前の私≠ノ戻るだけだ。今さら何の未練を抱くというのだろう。
寂しい≠セなんて、今さら過ぎる。私の世界はただ不安定に毎日を漂う。

一体私たちを定義づけるものは、どこにあるのだろう。

「どうしました?」
「何がですか」
「泣きそうな顔をしていますよ。意地悪の度が過ぎましたか」
「……自覚があるんですね」
「おや、つい口が滑ってしまいましたね」

特に表情を変えずに言ってのけた彼に、苦笑を返す。カタカタと風が窓硝子を叩いた。雪が先ほどよりも強くなっている。明日は一段と冷え込みそうだ。

「……今日はもう遅い。早く寝なさい」
「言われなくとも寝ます。明日から本屋の掃除を始めるので」
「ああ、確かに年末までになんとかしたいものですね」
「朝家を出て、掃除をして、夜には帰ってきます」
「一日で終わるのですか」
「終わらなかったら次の日も」
「だったらあちらに泊まった方が良いのでは」
「いいんです。あちらは寝るには寒いので帰ってきます」
「……」

するりと彼の隣を抜け、廊下へと向かう。リビングのドアの前で一度立ち止まり、彼を振り返った。

「おやすみなさい」
「ええ……おやすみなさい」

細められた彼の赤い瞳に、何故だか無性に泣きたくなった。






20101221




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