make a mental note

アーティ君とは、アロエさんを通して知り合った友人だった。もちろん初めて会ったのは2年ほど前で、私が本屋の仕事に慣れてきた頃だ。
しかし驚いたことに、私とアーティ君は同じ大学出身なのだ。ただ私が行っていた大学は、美術や音楽などの芸術関係の学科はキャンパスが別だった。アーティ君はもちろん美術を専攻していたので、私とはキャンパスが別だ。同じ大学ながらも会わずに卒業し、まさかその後に知り合いになるなんて思わなかった。数奇な巡り合わせだ。

そんなアーティ君とは、たまに会ってはお茶をする仲だった。電話がかかってきて、本屋で待ち合わせをし、近くのカフェや喫茶店でお茶をする。もちろんそのまま本屋でお茶をすることもあった。
互いの変わりない近状をひたすら話し、お菓子を食べて紅茶で流し込む。もちろんそれだけでも充分なのだが、だんだん互いに話が盛り上がってくると、いつの間にかお酒を用意していることがある。お酒といっても、私は別段舌が肥えているわけではないので、コンビニやスーパーで買った発泡酒や酎ハイばかりだ。そしてお酒が入ると、何故か饒舌さに拍車がかかる。最終的にはお互い見事に酔いつぶれて、仲良く二日酔いになるなんて珍しくはなかった。
……身も蓋もない言い方をするなら、飲み仲間だ。
都合が良いとアロエさんやシャガさんも加わることもあった。しかしその時は、アロエさんとシャガさんは私たちのストッパーだ。酔うと質が悪いから、と酔いが回る前にコップを取り上げられてしまう。

そしてかく言う今日も、アーティ君から電話があって本屋に来ている。
話も盛り上がり、今ではすっかり酔いが回ってきていた。ぼんやりと熱を持つ思考を引きずりながら、先ほど彼が言った言葉に眉をひそめた。

「どうせ起伏が乏しい体だよ」
「あはは、大卒の社会人には全っ然見えないよね。下手したら中学生じゃない?」
「うわあ、酷い。でも、私だってもう少し胸があれば……」
「どうだろうね。ノトにはさ、女性としての魅力をどうにも感じないんだよ」
「あ、アーティ君だって……」
「なに」
「初めて会ったとき、心は女の子な男の人だと思った」
「……ねえ、君、僕をバカにしてるよね、ノト」
「ワルビアルに噛まれてしまえ」
「それ遠回しに死ねって言ってるからね?」

グラスに残った酎ハイを一気に飲み干す。アルコールが口内に残す余韻を感じながら、缶に残っていた残り少ない酎ハイをグラスに注いだ。あと3分の1程度で終わりだ。透き通ったグラスの底を染める酎ハイの色を眺めながら、空の缶をビニール袋に入れる。

「でも、君に男がいるっていうのも想像できないしなあ」
「失礼な」

これでも実は、半年以上前から同棲している男性がいる。聞こえだけなら、恋人やそういう関係にある人間がいることを思わせるのだが、実際は全くそうではない。少なくとも相手には子供がいて、今は亡くなってしまったが奥さんもいる。彼は私などそういう対象として見ない。どう表現したら良いのかわからないのだが、とにかく一緒に暮らしている男性はいるのだ。
だが、もちろんそれを吹聴などするつもりはない。何よりも彼は外に出ることを厭っている。このことに関しては、他言無用だ。誰かに言うつもりなどない。それに、私は今の生活を気に入っているのだ。
それに亀裂が入るようなことは望んでない。今の生活が続くことを、ただ無力にも切に願うだけだ。

「私の恋人はフッキーだけだもの。それでいいの」
「フッキーって。それはあれでしょ。君が酔ったときに勝手に命名したハチクさんのバニリッチ」

アーティ君もグラスに残った発泡酒を飲み干した。おそらくそれで最後だろう。
何気なしに時計を見ると、夜の9時を回っていた。そろそろ帰らなければ、彼に迷惑をかけてしまう。テーブルの上に転がっている空き缶をひとまず片付けようと、緩慢な動作で立ち上がる。アーティ君はぼんやりとそんな私の姿を見て、自分の近くにある空き缶をそばにあるビニール袋に入れた。それがお開きにする合図だった。
テーブルの上に雑に置かれた缶を袋に纏め、お菓子の袋やテープをゴミ箱に入れる。互いにその作業の最中は無言だ。1つのことに意識を向けると、他のことに気をうまく回せない。というより、酔っているから、の方が正しいだろう。
無言の状態が5分ほど続き、テーブルの上は空のグラスが2つのみになる。それを見たアーティ君は、小さく息を吐き出した。

「じゃあそろそろ帰るよ」
「うん、気をつけて」
「それは僕の台詞だよ」
「あはは」
「――……ねえ、ノト」
「ん?」

不意に、声のトーンを落とした彼に首を傾げる。酔っているせいで覚束ない焦点が、急に鋭く私に向けられた。

「たまには人を頼りなよ」
「何、急に」
「うん、いや、無理してるんじゃないのかなってね」
「毎日気まぐれに仕事場に来て自由に暮らしてるのに、無理するようなことはないよ」
「んー……ならいいんだけど」
「……?」
「ノトはさ、空元気が得意でしょ。あの時≠ンたいなことになったら、君を支えてくれる人がいたらと思っただけだよ」
「……私は充分過ぎるくらい、いろんな人に支えられてるよ」
「そっか。そう、だね。最近の君は、少しだけ変わったね」
「!」
「肩の力が抜けた。良かったよ。呼吸が、楽みたいで」

力の抜けた表情で笑う彼に、目を見張る。そんな私に、彼は声を上げて笑った。

「うん、まあ、いいと思うよ。僕は昔の君より今の君の方が安心して『またね』を言えるし、うん、とにかく良かった」
「よくわからない」
「あはは、じゃあ、僕は帰るよ。またね」
「……うん、バイバイ」

笑顔で去っていく背中を眺めて、私は1人になった空間でテーブルに伏せた。足下にまとめられたゴミ袋を爪先で突っつきながら、瞼を下ろす。
アーティ君は、たまにああして人の心底を見透かすようなことを言う。掴みどころのない表面の態度とは裏腹に、核心に迫るような言動を取るのだ。ジムリーダーという立場についているだけある。
瞼を下ろした途端に、思考はゆったりとした微睡みに呑まれる。穏やかな波間に揺られるような心地よさが意識を包み込んだ。
……5分、5分だけ、仮眠してから帰ろう。





ふと、誰かに名前を呼ばれたような気がした。
肩に触れる体温が意識を揺すり、少しだけ浮上する。僅かに身じろぐと、再び名前を呼ぶ声が耳朶に触れた。

「ノト、風邪を引きますよ」
「――?」

重い瞼を持ち上げると、視界には古びた本棚の数々が映った。次いで先ほどまでお菓子や酎ハイの缶でいっぱいになっていたテーブルが映る。もちろん片付けは済ましてあるので、テーブルには何もない。再び声が聞こえ、今度は頭を持ち上げる。
緋色の瞳が怪訝の色を宿して、私を見ていた。
――同時に、弾かれるように意識が覚醒する。
ほとんど飛び起きるように椅子から立ち上がった。

「え、あ、あの、あれ……?」
「おはようございます」
「あ、朝……?」
「ええ」
「あ、朝、え……あれ……」
「嘘です。真夜中です」
「!」

時間を確認しようと時計を探す私に、彼は可笑しそうに言った。動きを止めて改めて彼に視線を向ける。

「あの……」
「ああ、帰りが遅かったので、気になってしまい」
「すみません」
「いえ、ご友人とは久しぶりに会ったのでしょう。楽しく過ごせたようで良かったですよ」
「あはは」
「しかし、体に障るようなことは控えなさい」
「……!」
「こんなところで寝れば風邪を引きますよ」
「はい」

ぺちんと手の甲で額を叩かれ、苦笑しながら返す。言葉の割に柔らかい口調だった。……いや、そもそも彼は露骨に機嫌を損ねたような態度を取ってみせたことはない。感情の起伏に乏しい人なのだ。それは世間一般で言う『温厚な人』と言うより、『静かな人』だと思った。穏やかというよりは静寂で、温かいというよりは平坦だと思った。

――ふと、先ほどアーティ君が言った言葉が、脳裏に蘇る。私が変わったというなら、この人に会ったからだろうか。
アーティ君のその言葉はよくよく考えてみると不意打ちに近いものを感じた。高い位置にある緋色の瞳に視線を向ける。

「肩の力が抜けた。良かったよ。呼吸が、楽みたいで」

呼吸が、楽。
抽象的な表現に、首を傾げる。私は今も昔も、別段柵があるだとか、不自由だとか、苦しいだとか感じたことはない。並みの人間の並みの生活を送ってきた。何が変わったのだろう。でも、もし私の生活に変化があったのだとすれば、それは私の生活空間に新しい住人が増えたことくらいだ。
……彼の瞳から目をそらして口を開いた。

「ゲーチスさん」
「何か」
「私、変わりました?」
「ずいぶんと唐突ですね」
「友達が、そんなことを言っていたので」
「……さあ、どうでしょうね。私が貴女に会った時は、既に今の貴女のままだった気がしますが……」
「……」
「しかし古い友人が変わったと言うのなら、変わったのでしょう」
「うーん」
「昔の貴女がどうだったのかは知りませんが、私は今の貴女でも充分ですよ」

特に表情を変えるわけでもなく、彼は穏やかに目を細めて言った。それに何だかこそばゆくなり、はにかむように笑う。

――まるで波1つ立たない湖面のような人だから。
私は何かに流されるという不安も、感情の波に晒されて揺られる怯えもない。ただ、静かに存在を許容してくれる。ただ黙って、私の帰りを受け入れてくれるのだ。
……私にも、帰りを待ってくれる人ができた。
この人に出会ってから、昔のように自分の家が冷たい箱だと感じることがなくなった。父も母もいない部屋が脳裏に浮かぶ。
――だけどもう、1人じゃない。

「帰りますよ」と紡いだ彼に急かれ、慌てて荷物をまとめる。


「大丈夫ですか」
「あ、はい、荷物らしい荷物は持ってきてなかったので」
「いえ、そちらではなく」
「?」
「酔いは醒めましたか」
「!」

彼が視線を一瞬だけテーブルの側にあるビニール袋に向けた。中途半端に潰れた空き缶が、袋に詰められている。

「……あまり飲み過ぎると体に障りますよ」
「すみません……」
「ですが、意外ですね。酒には弱いと、勝手ながら思っていました」
「あはは、よく言われます」
「歩けるのですか」
「も、もちろんです。平気です。酔ってません」

第一今日はそこまで酔ってはいないし、もう酔いも醒めている。その旨を伝えると、彼は僅かに笑みを零し、手を伸ばしては髪を梳くように私の頭を撫でた。

「負ぶってあげましょうか」
「あ、歩けますってば!」

揶揄するように言われ、彼を追い越して先に店を出る。それを証拠だと言う私に、彼は再び笑った。
いつかと同じように、店の鍵を閉めたら並んで歩き出す。
まだ春も夜明けも遠い。息を吐き出せば、視界に白が溶けていった。冷えた外気が肌に触れ、小さく身震いした。

「寒い……」
「後ひと月もすれば、暖かくなるでしょう」
「……そうですね」

冷え切った指先を、自分より大きな手に絡める。いたずらに握り返された体温に、ジワリと暖かさが広がった。

見上げた位置にある横顔に、思わず小さな笑みが零れた。



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20110226



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