03

笑ってるの。わたしがいなくても。わたしが死んでも。笑ってる。笑って欲しかった。でも、そうやって、どんどん忘れ去られていくのは恐い。要らなくなっていく。わたしも。
――願ったのは、わたしのはずなのに。
ごめんなさい。
恐いです。
忘れて欲しくないです。
本当はずっと一緒にいたかったです。
だって家族で3人でいたはずだもの。
幸せになったはずだもの。
でも、大丈夫だよね。
もう、恐くないよ。
大丈夫だよ。
この子がいれば、もう。
悪魔の音階なんじゃない。

不協和音は、調和される。





結婚式は、挙げなくていいとわたしが言った。そんな儀式なんかしなくたって、一緒にいられるから。一緒にいてくれるって言ったから。父も母も、最初は反対した。万が一子供ができたら、わたしに育てられるのかって叱られた。どうせ長く生きられないって、そんな体で、お前は彼を置き去りにするって。不幸にするだけだって。でも、そしたら彼が『愛してる』って、言ってくれた。平気。ずっと、一緒にいるから、大丈夫なの。彼の方は、わからない。彼は自分のことを話さない。教えてくれたのは、母親が早くに亡くなって、父親とは絶縁に近い状態だということだけだった。
一緒にいる時間は倖せ。倖せだから、少しずつ罪悪感を思い出していく。醜い自分の殻がボロボロと現れた。
――わたし。

『言わなきゃ、いけないこと、あって』
『何です』
『……謝らなきゃ、ならない、こと』
『……私に?』
『ごめん、なさい。わたし、ずるい。もっと早く言わなきゃならないのに。ひどい。卑怯で、汚い、ごめんなさい』

わたしは、卑怯だ。
出会いの感情を。初期の感情を。わたしは唇を噛んだ。

『違うの』

わたしは汚い。汚い。嘘なの。全部、嘘。ごめんなさい。ごめんなさい。だけど「今」は嘘じゃない。嫌わないで。棄てないで。見限らないで。

『わたし、ずっと、貴方を見下してた』

こんな体で外もまともに出られないから。周りの人がわたしを「可哀想」って言うたびすごく惨めになった。腫れ物に触るみたいな態度がすごく辛かった。「普通」に生きたかった。不幸は嫌だった。だから。

『わたしは、安心、した』

『普通』を知らない、可哀想な人間を前にして。
『わたしは、この人と比べたら全然可哀想でも不幸でもないって』

安心した。安心したの。だから一緒にいたの。親に見限られた可哀想な人。親族から邪険される寂しい人。英雄にも人にも成り損ねた不幸な人。
――良かった。
わたし、だいじょうぶだ。
つかの間の優越感。でもすぐに罪悪感が襲ってくる。だから償うようにそばにいた。傲っていた。わたしは汚い。最低。最低。最低な人間。ひどい。本当に、わたしはひどい。
つじつま合わせの、愛情だった。

『でも、嘘じゃ、ない』

繰り返してきた今までの時間で、確かに想いを抱いていたのも、嘘じゃない。

『だから、ひとりにしないで』

世界で人は、どう足掻こうとひとりだから。
どんなに楽しくてもうれしくても世界の冷たさは変わらない。恐い。ごめんなさい。わたし、ごめんなさい。大好き、好きでごめんなさい。
こんなわたしに付き合って時間を浪費させてごめんなさい。だからどうか。

『その優しさに、押し潰されてしまわないで』

一方的な懺悔を、彼はただ黙って聞いていた。嫌われたかな。失望されたかな。すがりつくわたしはどんなに醜い人間だろう。どんなに卑怯な人間だろう。
泣くなと言い聞かせる。それでも崩れる涙が零れる。ごめんなさい。声を押し殺すように手の甲を噛んだ。痛い。痛いけど、わたしは悪い子だから仕方ない。そうだ。悪い子だ。だから、わたしは。指輪。指輪は、返した方がいいのかな。彼の薬指にはめられた、銀色が鈍く光った。

『わたしは……』
『やめなさい』
『もう、ずっと』
『……自分を傷つけてはいけない』
『……』
『そうやって、自分を責め続けたのですか』

背中に回された腕に、引きつるように息を吸う。死ぬ勇気なんてない。なにのに、死のうとした。でも恐くて死にきれなかった。中途半端にずるずる生きてきた。彼の優しさに甘え続けた。疵痕だけ残る。穢れだ。肌に浮かぶ弱者の穢れ。汚い。

『貴女は自分を責めていたとしても、私が、抱いている思いは、変わらない』
『……』
『そばにいるのなら、それでいい』
『わたし、ひどい人間。ごめんなさい』
『構わない』
『ごめんなさい』
『……愛してる』
『うん』

ごめんね。もう一度呟く。抱き締めてくれた彼の体にしがみつき、そっと目を閉じた。



泣きたくなったら泣いていいって抱き締めてくれる。一緒にいるときは恐くない。倖せだった。毎日。抑揚にかけた日々が、倖せだった。
――だけど、その前後からだろうか。
少しずつ成長に連れ安定していた体調が崩れ始めた。きっかけは、軽い風邪を引いたことだ。ずるずると治らない日々が続いた。家から出られない、寝たきりの日々が続く。家を出る時は、通院の時だけ。通院のたびに、お金がかかる。彼は気にするなといつも微笑んだ。そのたびに、少しずつ、ゆっくりと、心臓に不安が積もっていった。

『金ばかりかかる。どうしてお前はこんな子供しか生めなかったんだ!』

――また、嫌われたら、どうしよう。要らないって言われたらどうしよう。だって迷惑ばかりかける。負担ばかりかける。辛い思いをさせてしまう。そんな顔をさせたいわけではないのに。
笑っていて、欲しいだけ。
なのにどんどん悪い方向に進んでいく。少しずつ、彼の表情が曇っていく。
――わたしはやっぱり、不幸にしかできないのかな。

『薬ですよ』
『ありがとう』
『体調はどうですか』
『今日はなんだかすごく元気。出かけようよ』
『調子に乗るとまた寝込みますよ。今日は大人しくしていなさい』
『なんで!』
『もう子供ではないのだから、自己管理ができるようになりなさい』
『……』

差し出された数種類の錠剤を水で嚥下する。次いで粉薬を口腔に流し込んで飲み下した。口内に薬の苦みが広がる。幼い頃から飲み慣れていたそれらを見て、彼はふと悲しげな顔をした。
――ちょっとした思い付きで、手を伸ばして彼の頭をこちらに引き寄せる。そのまま彼の唇に自分のそれを押し付け、薄く開いた唇の間から口内にある苦味を彼の方へと忍び込ませた。
さすがに予想外だったのか、一瞬だけ彼の肩が強ばる。ガチンと前歯同士が当たった。
唇を離すと小さく苦いと彼が呟くのが聞こえて思わず笑った。

『これほどまでに長い間、そんなものを1日2回もよく飲めましたね』
『飲めるの、大人だから』
『……』
『大人だから、あ?』

とんと肩を突かれ、仰向けに倒れる。視界は天井の色に染まった。しかしすぐに彼が覗き込んでくる。薄く笑みを浮かべた彼は、指先でわたしの髪を梳いた。大人なら、と可笑しそうに零した彼に、同じように笑いながら愛してるよと返した。



わたしの体調は悪化と回復を繰り返した。そのたびにゆるりゆるりと、体が弱っていく気がした。動けないために筋力も体力もどんどん落ちていく。
彼には、入院するように勧めれた。主治医からもだ。しかし入院してしまってはここからの景色は見られなくなってしまう。海から流れてくる潮の香りも、日差しも、青い海原も、全部が好きだった。何よりも彼と離れるのは嫌だった。駄々をこねるわたしに苦笑しながら、悲しげにわたしを見る彼の顔がよぎる。

それから何度目かの春の診察の時だった。妊娠していると告げられた。3ヶ月だそうだ。診察室には1人で入ることが多いため、その時彼はいなかった。妊娠を告げられると同時に、体に根強く病が根を張っていることも告げられた。
治療しなければ長くない。しかし治療の薬品による影響は、確実に胎児に出ると言われた。
わたしと、お腹の子の、どちらかを切り捨てる。
わたしが無事に子供を産める確率は50%だそうだ。死んでも、生きても、何もいえない数字。わたしが薬を飲んだら赤ちゃんは死ぬ。飲まなければ、赤ちゃんは無事でも、わたしが出産に耐えられるかわからない。

希望なんて、まるでない。
やっぱり、やっぱりそうだ。世界は冷たい。残酷だ。わたしから全部奪っていく。酷い。残酷。外は怖い。嫌い。やっぱり嫌いだ。こんな世界大嫌いだ。

「ゲーチスには……病気のこと、言わないでください」
「!」
「赤ちゃん生みたい、から。言ったら、生むことに反対する」

彼は、わたしを優先する。
それに、子供が生まれれば、わたしがいなくなっても寂しくない。生まれた子が彼を助ける。この子が希望になる。
この子に、託すんだ。

診察室を後にし、彼が待っている待合室に向かう。病気のことは無理やり思考から除外し、頭の中でどう話を切り出そうか考えた。喜んでくれるだろうか。どんな子が生まれるだろう。男の子かな。女の子かな。名前は――実はもう、決まってる。

優しく揺れる緑色に駆け寄った。体当たりで抱き付いて、考えなんてなしのように、いつものような口調で、「赤ちゃんできた」と告げる。彼はカメリアの瞳を丸くし、ピタリと動きを止めた。
何か言いたげに開いた口は、しかし閉ざされ、代わりにめいいっぱい抱き締めてくれた。その優しい温度に胸がキリキリと締め付けられる。

死という言葉がよぎり、どさくさに紛れて泣いた。





20111016




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