冬と添い遂げる花

冬が、似合うと思った。
特別何かを思案していたわけではない。ふと、何の前触れもなしに発露した、意味のない考えだった。
本のページを捲る白い指先は、男性らしく骨張っている反面細い。指先に限らず、彼の肌は冷たく見えるほど白かった。長く伸びて波打つ髪もまた、日に透けるようなスペアミントの色だ。彼は不健康に思えるほど色彩に乏しい人間だった。
その中で唯一、深く暗い赤い瞳が強烈な色合いを出している。繊細な色を纏いながらも、そこから覗く強い色が、その存在を不可思議なものに見せた。
――夏のように、さまざまな命が強烈な輝きを放つ季節は似合わない。彼にはもっと静かな世界が似合う。

「何か」
「え?」
「あまり凝視されると、さすがに無視はできませんよ」

不意に本から顔を上げ、私を見た赤い瞳に肩が跳ねる。……そんなに見ていたのだろうか。無自覚だったため、どうにも反応に困ってしまう。苦笑を浮かべているその表情に、つい言葉に詰まった。

「言いたいことがあるなら、遠慮は必要ありません。居候の身としては、家主に不服を抱えさせたくはありませんから」
「ち、違います。そんなんじゃないです」
「……」
「あはは、は……」

訝しげに顔を顰める彼に、つい表情が引きつる。よく考えてみれば、人のことを勝手にあれこれ考えるのは失礼極まりないだろう。いや、むしろそのような勝手なことを考えていたこと自体羞恥を覚えるべきだ。
途端に目を合わせているのが辛くなり、視線を徐々に足元へと落としていく。込み上げてくる羞恥や自己嫌悪に惨めになった。必死にその思考を振り払おうと努める。
すると不意に、少し離れたところにあるはずの気配が近付いてきた気がした。反射的に顔を上げる。見上げた先にある赤い瞳を確認し、思わず1歩後退した。
同時に白い手のひらが伸びてくる。肩がビクつくと、額にひんやりとした冷たさが触れた。

「熱はなさそうですが」
「え、あ、はい」
「どこか体の調子が優れないのですか?」
「違い、ます。違います。紛らわしいことしてすみません」
「いえ、最近は気温も下がってきたので、無理はしないように」

特に表情を変えずに、その手のひらは離れていく。額から剥がれる熱に、ほんの少しだけ名残惜しい気分になった。……だが、確かに、もう時期冬を迎える。街の街路樹は赤く染まり、路面には紅葉した落ち葉が散らばっていた。考えるまでもなく、秋も終盤にさしかかっているのだ。
私から離れ、再び先ほどと同じように椅子に座り本を開く彼を眺める。
――季節がまた1つ、去っていく。
彼の読書の邪魔になるとわかっていながらも、意を決したように口を開いた。

「も、もうすぐ、冬になりますね」
「! ええ、そうですね」
「冬は、好きですか?」
「唐突ですね」

僅かに眉をひそめた彼は、本に栞を挟んで閉じる。次いでそれを視界の隅へと避けた。そして改めて向かい合うように私を見る。それに無意識に緊張しながらも、視線を合わせるように椅子に腰を下ろした。

「夏よりは、好きですよ」
「……」
「無駄なモノがない。静かで綺麗な季節だ」
「無駄な、モノ……」

彼は視線を私から外へと向ける。凩が窓を叩き、小さく音を立てた。赤い瞳が外を見て細められる。寂れた色が、世界を包んでいた。
命のほとんどは、夏を越えて秋から終わりに向かう。そして冬に静かに終わりにたどり着くのだ。それを静寂と形容することが合っているのかは分からない。だが、冬は色も音も、命にはとかく乏しい季節だ。
幾分低くなった声のトーンで、彼は言葉を紡ぐ。

「死んでしまうでしょう」
「!」
「弱い命は、凍えて生涯を終える。強いモノ、適応力のあるモノ、或いは賢いモノ、生きるすべを持つモノだけが残る。漠然と生きているような曖昧な命はない」
「……」
「無駄なモノはない」

――「死」に、深く深く閉ざされた世界。
それはある種の孤絶を意味する。外を眺めている彼の表情はわからない。ただ、どうしようもなく呼吸が苦しくなった。
なんとかして言葉を紡ごうと思考を巡らせる。彼が見ている窓の外へと視線を向けた。
枯れた木々の中に、未だ葉すら赤く色付かない樹がある。――そういえば、昔父が母の為に庭に植えた常緑樹があったか。赤い花を咲かせるそれは。確か。

「カメリア……」
「!」
「あ、いえ。庭に、植えてあったかなって……」
「ではあの常緑樹が」
「はい、もう、長いこと手入れはしてないんですけどね」

苦笑を浮かべると、彼もまた苦笑しながら私を振り返った。赤い瞳が深く陰る。それに息を呑んだ。ぎこちなく、言葉を紡ぐ。

「カメリアは、冬でも枯れませんよ」

赤い花弁が脳裏に浮かぶ。それが目の前にある瞳とかぶった。
枯れない。だが、花は生きることを投げ出すように地へと落ちる。花としては、あまりに異質な最期だ。その様を不気味だと言う人間もいる。生を自ら放棄するような散り方は、この世界を見限ったかのような姿だった。
総てをかなぐり捨て、諦めて、花は命を終える。なら、彼は。

「……誤解を与えてしまったようですね」
「!」
「貴女に向けて、言ったつもりではありません」
「私は……別に……」
「ずいぶんと、情けない顔をしていますよ」
「……!」

不意打ちにも近いその言葉に、思わず目を見開いた。何故こうも分かりやすく顔に出てしまうのだろう。恥ずかしさから頬に熱が集中する。一度視線をそらし、再び覗き見るように顔を窺った。静かに笑んだその貌に言葉を忘れる。一瞬だけの沈黙が訪れ、震えるように息を吐き出した。取り繕うように思い付きを吐き出す。

「冬、似合います」
「!」
「なんとなく、思っただけです。なんでもないです。ただ、最近寒くなってきたので」
「似合う、か。いまいち理解に及びませんが……」
「なんとなく、です」
「好きですよ」
「……!」
「静けさの中で、命の芽生えを待つ世界は嫌いではない」
「……」
「あの静けさは、嫌いではない」

綺麗に弧を描いた唇が、優しい笑みを形作る。それにどうしようもなく、戸惑う自分がいた。必死に言葉を探しては、陳腐な返ししか思い付かない自分の思考に嫌気がさした。それでもなんとか答えようと、再びぎこちなく言葉を紡ぐ。

「えっと、せっかく、ですし、今度カメリアの手入れをしてきます」
「そうですか。……そろそろ、昼食の準備を始めましょう。今日は私が作りますよ」

椅子から立ち上がり、キッチンに向かう背中を目で追う。私も手伝うと席を立つと、彼は無表情で「座っていなさい」と私の背を押してキッチンから追い出した。

私は自分の定位置に腰を下ろしながら思案する。彼をカメリアに例えたなら、私は何になれるだろう。その落ちていく花に、何ができるだろう。たった1人、雪の中で取り残された存在に寄り添うことは許されるだろうか。ただ時間の流れに耐え忍ぶその傍らにいることは許されるだろうか。


もし許されるなら、私は無惨に散っていくその花を、かき集める庭師にでもなろうか。







20110601




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