heartless boy


――見つけた。
やっと、見つけた。
その小さな背中に気付いたとき、心臓が大きく跳ね上がった。
全身から五感が抜け落ちていくような錯覚に捕らわれる。
怖い。冷たい。熱い。温い。寒い。気持ち悪い。痛い。苛々する。寂しい。羨ましい。
一気に溢れ出るように胸中を満たす感情に、息が苦しくなった。攪拌し、氾濫したどろついた感情が思考に絡み付く。
同時に、傘を放り投げ、走り出した。
冷気が支配する白い世界は、いとも簡単に体温も感覚も奪っていく。
吐き出す白い息が視界を揺らし、肌を軋ませた。
指の感覚なんて悴んでしまって、もうない。
無機質な雪が頬を掠める。
凍り付いた手のひらを伸ばした。
掴んだ肩の、あまりの小ささに言いようのない羨望が発露した。

――そうして、今まで守られてきたのだろう?





「N、君……だよね」

肩に食い込む白い指先に、無意識に表情が強張る。容赦なく手のひらに込められた力は、ゾッとするほど無機質だ。足下に落ちた傘を拾うにも拾えない。ちらちらと降る雪が髪や衣服に触れ、溶けずに絡み付いた。ジワリと不安がシミのように胸中に広がる。それでも無理やり顔に笑みを貼り付けながら、自身の肩を掴む青年を見た。
……よく見ると、彼は傘も差していない。
吐息の白さに溶けてしまいそうなほど、色を無くした肌は白い。淡い緑の髪にはところどころ雪が纏わりついている。

「か、風邪、引いちゃうね。私、今ちょうどそこのお店に食材を買いに行く途中で……。中の方が絶対暖かいから、良かったら一緒に」
「……」
「……用事の途中、かな?」
「違う、よ」
「!」
「ただ、見かけたから」
「そっか、偶然だね」

肩から手が離れる。灰青色の瞳がどうしようもなく不安そうに揺れた。しかしそれを誤魔化すように、彼の瞳は私から逸らされた。足下に落とされた視線に、瞳が陰る。

「君は、この街に住んでいるのかい?」
「ううん、少し離れたところ」
「そう。……ねえ、よくこの街に来るの?」
「うん」
「ひとり、で?」
「――!」

まるで、探るような問い掛けだった。もちろん私の勝手な被害妄想かもしれない。それでも、問い掛けと共に向けられた瞳に、ザワリと冷たさが背骨に絡み付いた。
脳裏に『彼』の姿が過ぎる。
何よりも、N君は彼を知っている。そしてたぶん、――身内だ。髪の色、名前を知っている、彼の話。どれもその証拠になるわけではない。ただ漠然とそう感じただけだ。それでも何故か、頭の奥深くでは確信があった。
2人を会わせてはいけないと、怯える自分がいた。

「ひとりだよ」
「……」
「そういえば、N君、傘、持ってないの?」
「!」
「なら、これ使って。風邪引いたら大変でしょ。私、すぐそこの店で買えるから」
「いらないよ」
「ダメだよ。風邪引いたら家族が心配するでしょう」
「……いないよ」
「!」
「そんなもの=c…僕は持っていない」
「あ……ごめんなさい……」
「要らないんだよ。僕には必要ないって、父さんが……」


ゲーチスが言ったんだよ





「ずいぶん、時間がかかりましたね」
「すみません、ちょっと話し込んじゃって」

腕に抱えた袋を抱え直す。ドアを開けると同時に、肌に張り付く暖気に体が弛緩した。カウンターに座っていた彼は、少し前に本を読み終えたところだったのだろか。本の表紙を指先で撫でていた。肩や髪に積もった雪を払い落とし、中へと入る。

「傘は? 出るとき差していたでしょう?」
「あ……はい、途中知り合いの子にすれ違って。その子が傘を持っていなかったので、風邪を引いたら大変だと思って……」
「貸したのですか」
「あはは」

吐息混じりに言葉を吐く彼に、何故か罪悪感が首を擡げた。どくどくと鈍く鳴る心臓に、言いようのない不安が波紋する。脳裏に幾度となく、先ほどの青年の言葉が再生される。
それを振り払うように、荷物を一度床に置いた。
彼は手元にある本を抱え、立ち上がる。一瞬持ち帰って読むのかと思ったのだが、どうやら棚に戻すだけのようだ。その姿を視界の片隅に収めながら、「帰りましょうか」と呟いた。
彼は一瞬だけ私のその言葉に動きを止め、間を置いて静かに返事をした。

……彼が本を一通り戻したのを見て、私はもう一度荷物を抱える。ヒーターの電源と電気を消し、玄関のドアを開けた。彼が傍らまで来たのを見て、1歩外に出る。彼が傘を広げたのを合図に、ゆっくりと歩き出した。

「今日の夕飯は温かいものがいいですよね、何か食べたいものありますか?」
「……そうですね、特には……」
「家帰ったらレシピ本でも見ないと……。あ、今日はお店の奥さんがジャガイモをおまけでくれたんです」
「……ノト」
「はい」
「何か、ありましたか」
「何もないですよ、それより」
「ノト」
「寒いから早く帰りましょう」
「――なら、こちらを向いて話しなさい」
「……!」
「何を、隠している」

足が止まる。
胸中で不安が肥大した。頭の片隅に潜む翳りがさらに濃く深くなっていく。しんしんと積もっていく雪が、ひたすら視界を白く埋めていった。
向けられる緋色の瞳に、鼓動が嫌に早鐘を打つ。荷物を抱える手が震えた。沈黙が信じられないほど冷たく重くのしかかる。

「……もっとも、総てを話す義務など、ありませんが」
「!」
「私も貴女に話していないことなど幾らでもある」

知られたくないこと。知らせてはいけないこと。『今』を壊す異分子。
――畏れているモノ。
守るために頑なに拒絶している。虚勢を張って、目を逸らし続けている。
――何から?
――自分から?
――訪れるべき、未来から?
だから外は恐い。
異分子にまみれている外界は、いつどこで終わりを宣告されるのかわからない。
安全な場所は殻の中だけだ。
目を閉じ、耳を塞ぎ、息を殺し、堅く閉ざした殻の中だけだ。

『どうせ、君も取り上げられてしまうよ』

止めていた足を再び進める。その足は、迷わず家を目指していた。
……それだけで、満足なはずだ。
彼の向かう場所が、帰る場所が、今は私の家なら、それだけでいい。
そっと、悴んだ指先を大きな手のひらに絡める。
握り返された手のひらもまた、ひどく冷たかった。



『総て、失ってしまうよ』






20110319




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