かってうれしいはないちもんめ
まけてくやしいはないちもんめ
あのこがほしい
あのこじゃわからん
そうだんしましょ
そうしましょ

――きまった





「久瀬の子ならトビが連れて行ったよ」
「!」

背後から不意に現れた気配に意識を向ける。地面から顔を出したゼツの瞳がこちらをガラス玉のように映していた。
雨音が耳底にこびりつき、疲労した身体に愁いを敷き詰めていく。
……あの男、人が自分の尻拭いをしていると知りながら、さっさと新しく手に入った玩具で遊んでいるのか。
久瀬の宮から巫女守りの躯を引き抜きに行ったのはマダラ――そう名乗ったりトビと名乗ったりしている仮面の男だった。

『久瀬家は利用できる。穏便に済ませ』

そう言ったのはあの男自身だ。しかし当の本人は半ば誘拐のような形で巫女守りを連れ出し、当主の方には話がほとんど通ってなかったらしい。「後は任せた」と言われ、小南と久瀬に赴けば、激怒した当主の相手で1日を費やした。そこから今度は相手が納得できるような条件を差し出し続けた末に、かろうじて友好とは言い難いが関係は拗れずに済んだのだ。できて間もない小さな組織にとって、そこそこ名のある家が後ろ盾というのは初期段階では大きな力になる。
穏便に収まったからこそ良かったものの、敵に回そうものなら、あの男はどうするつもりだったのだろう。
大きく息を吐き出しながら、椅子に腰を下ろした。

「ソレト、大蛇丸トサソリガ久瀬ノ娘ニ既ニ接触済ミダ」
「大蛇丸、か。昔久瀬について調べていたと聞いたが」
「でも、今は特に関心はないらしいよ」
「……貴重なサンプルだと言わんばかりに喜んでいそうだがな」
「久瀬は女系なんだってさ」
「……」
「黄泉ノ国ノ支配者、伊邪那美尊(イザナミノミコト)ヲ氏神トスルダケハアルナ」

裏切られた国造りの母神の家系。脳裏に久瀬家へ至るまでの幾重にも並んだ鳥居が思い出された。潜るたびに俗界を捨てる。その奥にあるものは、人ならざるものなのだろうか。
久瀬の当主――威圧的な老女の眼光が脳裏に蘇った。





おそらく1時間も経っていないだろう。
天頂に差し掛かる青白い月に辺りは不気味な影が濃く佇んでいる。雨隠れから少し離れたところまで来たからこそ見える月だが、その光も空気もこの辺りでは冷たく空間を満たしている。閉じた番傘をずるずると引きずりながら歩いた。

一歩進むごとに、まるでぬかるんだ泥が脚にまとわりついてくるような疲労が足に積み重ねられていく。鉛を引きずっているようだ。日頃の運動不足があまりに顕著に表れるこの体には、我ながら参ってしまう。もう少し体力はあったはずだと思ってはいたが、そういうわけでもないらしい。前を歩くその背中は特に速さなど変わらないのに、定期的に距離が空いてしまう。そのたびに小走りで追った。彼は後ろを振り返りもせずに歩を進める。私はさらに蓄積されていく疲労感に深く息を吐き出した。

「……もう疲れたのか」
「!」

不意に立ち止まった背中に反射的に身構える。仮面の空洞から覗く赤い瞳が、微かに呆れているようにも見えた。

「運動とは縁のない育ち方をしてまして」
「……期待はしていない。それに、お前を連れて徒歩で行く気などない」
「?」
「体力がどの程度が見るつもりだったが、まさかここまでないとはな」
「……すみません」

でももう少し頑張れます。そう続けるはずだった。しかしそれよりも先に視界が歪む。あのときと同じだ。夜の不気味な森は跡形もなく引きちぎれ、視界は無機質な景色に埋められた。薄暗い視界。方形の床。ペタリとその場に座り込む。

「目的地に着けばすぐに出してやる」

だからそれまでは寝ていろ、と言うのは、彼の優しさなのだろうか。





「柊の花言葉を知ってる?」

妖しく笑んだあの人は、私から取り上げた簪を眺めながら首を傾げた。
「返して」と泣いた幼い私を、あやすようかのようにその指先で私の髪を撫でる。
あの人の、母さんが丁寧に梳かしてやっていた髪が風に流される。

「しらない、かえして」
「頑是無い童女にはわからないの」
「母さまの、かえして」
「ふふ、泣くと返してあげない」

動きを止める。あの人は「良い子ね」と私を撫でた。ゆるゆると、細い指が私の着物の帯を解いていく。帯を取られ、襟と半衿をまとめて広げられ、襦袢も剥がされた。小さな悲鳴を上げた私に、あの人は嗤った。泣いたら返してもらえない。私は幼いながらにその言いつけを素直に守った。肌が露出される。肌に張り付く冷たい空気に、体が震えた。あの人の向こう側にある鏡台に、幼い丸い肩が映った。あのころの私には、理解ができなかった。冷たい手が頬を撫で、首筋をなぞり、平たい胸を這った。真っ赤な唇が喉元に押し当てられる。怖い。白い手が腹を撫でた。

「ここには何時しか、ややこが宿る」
「やや……?」
「だけど、ややこより先に、まじないを既に孕んでいるの」

白い手が青白く光った。内臓が熱を持つ。私は恐くなって、たまらず泣き出した。全身に広がり、次々と肌に咲いていく柊の花を見て、あの人は「醜い」と嗤った。






夢とは、眠りが浅いときに見ると聞いた。いや、正確には深い眠りの時に見た夢とは覚えていないのだそうだ。最近昔の夢を見ることが多かったが、久しぶりにずいぶんと嫌な夢を見た。
こんな冷たく硬い床の上で眠ってしまったからだろう。眠れるほど、私はどうやら睡眠欲が強いらしい。ぼんやりと宙を眺めながら、体を起こす。そっと腹部に振れる。熱くはない。本当にただの夢だ。

……間を置いて景色が変わっていることに気付いた。目の前に聳え立つ鳥居と、石畳の冷たさに我に返った。

「いい加減目は覚めたか」
「え、あ……はい、すみません」
「行くぞ。この先にある本堂が約束の場所になっている」

うとうとと寝ている間に、いつの間にか着いていた上に私が起きるのを待ってくれてたらしい。ただ、まだ夜明けが遠い。1刻も時間は経っていないのだろう。天頂にあった月は少し傾き、こちらを覗き見ているようだ。
寝ていたとしても30分程度だろうか。
何気なしに辿り着いた場所がどこなのか、把握しようと辺りを見回した。
神社、のようだ。自分が寄りかかっているのが、狛犬であることを理解し、慌てて体を起こした。
では、どこの神社だろう。

「!」

すぐ側にある看板に瞠目した。
――南賀ノ神社。
息が詰まる。胸中がざわつき、心臓がせわしなく鼓動を打った。

「……どうした」
「なんでもないです。すみません」

なんでもない。ただ、昔来たことある神社に来ただけだ。それだけの事実に過ぎない。頭を振り、気持ちを入れ替える。得体の知れない感情が熱と共にこみ上げ、それを飲み下すように深く呼吸をした。

「行くぞ。あまり時間を無駄にはしていられない」

先を歩くトビさんに視線を戻す。
彼がゆっくりと鳥居をくぐり抜け、石畳の階段を上りだす。
同時に、どこからともなく聲が聞こえた。
それに反射的に彼を呼び止める。

「トビさん」
「なんだ」

こちらを振り返らず、返事を返す背中に躊躇いが発露する。しかし意識が完全に覚醒すると同時に頭に流れ込んできた無数の音に、夢見の悪さも相まって強い不安と恐怖を感じずにはいられなかった。

「誰か、この先にいますか?」
「何か聞こえるのか」
「会話が」
「……内容はわかるか?」

ゆっくりと彼はこちらを振り返る。まるで、玩具を見つけた子供のように、彼は仮面の向こう側の瞳を弓なりに細めた。

「『弟は見逃して欲しい』とか『クーデター』とか、物騒な話が……」
「他には? それと、名前らしきものでわかるものはあるか」
「他は、誰か、自殺されたみたいで。その疑いをかけられたり、あとは、弟が、怪我をして。名前は3つ、くらい聞こえました」
「言ってみろ」
「サスケ、シスイ、イタチ」

音自体は酷い雑音を交えて響いている。しかし内容が噛み合っていないようにも聞こえる。誰かいるのは確かだ。だが――。

「気配を消していても聞こえるか。感知タイプとしても使えそうだな」
「?」
「いや、行くぞ」

止めていた足を進める背中を慌てて追う。鳥居の向こう側――本堂から聞こえる音に、得体の知れない不安がシミのように肥大した。
本来なら神域と俗界を区画する門であるはずなのに、何故か鳥居の向こう側には悪いものがいるような気がしてならなかった。

「巫女を目覚めさせてはならない」

まるで久瀬の宮の掟だ。

鳥居をくぐり、石畳の階段を上り、その向こう側に臨んだ。

「待たせたな、イタチ」

トビさんが抑揚に欠けた声音で言った。たくさんの音が溢れている。父、母、師、弟、里長、同級生。

「お前が聞いていた音は、おそらくこいつの音だ。ここにオレたち以外いない。不要な懸念を抱くなよ」

本堂の前に佇む、赤い瞳の少年が私を睨んだ。




20121118
修正20121228




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