そろそろ寝てしまおうかな。そんなことを考えながら、寝間着で寝ころんでいた時だった。相変わらず外は雨音で満たされ、楼閣の中は声で埋め尽くされている。そんな環境に体が慣れてきたのか、睡眠に関しては不自由がなくなってきた。音に耳が慣れてしまったのだろう。備え付けの綿毛布にくるまりながら、目を瞑る。
慣れとは、恐ろしいものだ。
幼いころ、久瀬の家にいた時分は葬儀が行われた夜は、決まって眠れずにいた。たくさんの聲が聞こえるのだと、怖いのだと泣きながら母に胸に縋りついていた記憶がある。もちろん人の死にかかわる音は苦手だ。しかし昔のように極端に恐れることも、不安に怯えることもなくなった。
これは、私が大人になってということなのか。それとも、その感覚に麻痺してしまっているということなのだろうか。

――「任務に向かう。すぐ準備しろ」
「!」

この人が神出鬼没であることに、過剰に驚かなくなったのは慣れだろう。いつの間にか部屋の中に現れ、ベッドでだらしなく寝転ぶ私を仁王立ちで見下ろす影を見上げる。トビさんは抑揚に乏しい声でそう紡いだ。もそもそと緩慢な動作で起き上がりながら、そっと仮面から覗く瞳を覗き見た。燭台の灯りにそれは赤く光る。慌てて目をそらした。
それを誤魔化すように確認した時刻は、真夜中の0時である。ああ、もう日付が変わったのか。なんてことを考えながら疑問を口にした。

「任務は3日後って……」
「3日経っただろう」
「え、いや、まあ。でも今からなんですか」
「どうせ暇を持て余していたお前だ。問題はないだろう」
「……はい」

いまいち腑に落ちない気分になりながらも、ベッドから降りて支度を始める。「着替えが終わったら部屋の外で待っていろ」と言い残し、瞬きひとつで消えたトビさんについため息を吐いた。




着替えを済まし廊下に出るとゼツさんがいた。真っ暗な空間にうっすらと浮かび上がる半身と、対照的に溶け込むもう半身に共通した鶸色の瞳がこちらを見る。ここ2、3日の話し相手は専らゼツさんだった。特別話すようなことこそなかったが、気を使わなければならないほど気が難しい人でもなかったので幸いだった。異様な風体が目立つが、表情や感情表現も存外豊かな人だ。そのためか、組織の中では比較的に話しやすい対象でもある。

「こんな夜中にトビに叩き起こされて大変だね」
「いえ、ここに来てからやることもなく寝てばかりでしたから」
「尚更、今カラ向カウ場所デハ気ヲ抜クナヨ」
「緊張してます」
「緊張ね。精神おかしくしなように頑張りなよ」
「そんなに今から行く場所って……」
「適性診断ノヨウナモノダ」
「トビは君に対してスパルタ方針で教育するみたいだからね」
「うわあ」

ゼツさんの部下なのに、と恨めしく漏らすと、背後から「無駄話は終わりだ」と不意に声が響いた。トビさんだ。そのまま引きずられるようにしてゼツさんと別れ、私は目の前の背中を追いかける。背中で揺れる長い髪をぼんやりと眺めながら、そういえば雨隠れに来て初めて外に出ることに気付いた。




目的地は木ノ葉隠れの里だと聞いた。また隠れ里か、などと思ってしまうのは、久瀬家で過ごした日々の名残だろう。久瀬は忍に対してあまり良い印象を持っていない。というより忍を嫌っていたように思える。具体的に誰が、という個々人単位の嫌悪ではなく、久瀬という家全体がそういった雰囲気を纏っていた。
忍は悪いものだ。人を刻み、人を焼き、人を切り、人を吊し、人を壊す。痛みを生み出す富豪や里の犬だ。そう当主様は言っておられた。当主様自身、先代や親からそう聞いたのだから、ある意味口伝で紡がれる一種の呪いのようなものなのだろう。忍というと、私も血を連想してしまう。忍という闘いに特化した人間がいるから、此岸は悪いものや痛みで満ちる。その痛みを彼岸に死者と共に流すのが、巫女様の役目だ。
それは時代と共に生業が薄れつつある久瀬が、信仰の対象になるべくこじつけた一線なのかもしれない。

私が抱いているものも、所詮は偏見だ。

目の前を歩く背中を眺め、時折聞こえてくる穏やかな笑い声に目を伏せる。この人も人の子なのだ。殺伐とした空気とは不釣り合いな、彼の名前を呼ぶ声にどうにも悲しくなってしまう。
それを紛らわすように、ほんの軽い気持ちで口を開いた。

「どうして、今の名前を名乗っているんですか」
「!」

背中が止まる。彼が肩越しに視線を投げるが、面の向こう側の顔など想像つかない。
風に流された木々が煩く騒ぎ立てた。もう里を出たのか、いつの間にか雨は止んでいた。差していた番傘を閉じる。

「……お前には関係のないことだ」
「確かにそうですけど」
「未知を求める好奇心を抱くことを悪いとは言わない。だが、不用意に踏み込むな。お前の言葉は、人を容易に抉る」
「え?」
「お前からしたら、雲の様子でも聞くかのような心持ちなのだろう。だが、お前が知りたい雲が雷雲だとしたらどうする? お前は雷雲であることを認識するだけだが、それを確認する人間は落雷で死ぬかもしれない。お前を巻き込んでな」
「落雷って実はすごく小さな確率らしいですよ」
「お前はその確率を引き当てる可能性がある。これは忠告だ。お前の力は他人から簡単に情報を引き抜く。情報は時として命よりも重いものとして扱われる。あまり囀り過ぎると舌を切られるどころか首を落とされるぞ」

殺気に近いものを向けられ、私は反射的に身を強張らせた。
赤い眇がこちらを睨む。委縮する私に、彼は止めていた足を再び進めた。

「すみません」

苔むした岩の上で雀が鳴いた。群れからはぐれてしまったのだろうか。それとも怪我をしているのだろうか。その鳴き声を聞きながら、謝罪を口にした。
自覚が全くないわけではない。聞こえた音に関して口にするということが何を意味するのかは重々理解している。しかしこんなところで、理解者などいない場所で生きるには、私はあまりに無知だ。手探りで安全圏を探していくしかない。でなければ、私は本当に情報を搾取するだけの躯になってしまう。

「……」
『大丈夫だよ』

冷え切った自身の指先を握りしめる。前を歩く背中を追う。
遠くで雀が煩く泣いていた。



20121114
修正20121228




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