雨隠れの楼閣の地下に、私の部屋は割り当てられていた。しっとりとした冷たい空気を孕んだ空間は、どことなく鬱陶しく肌を湿気で包む。慣れてしまえば気にならないのだろうが、如何せん、慣れるには癖が強いようだ。神経質にベッドの上で寝返りを打つ。なんとなく、頭が痛かった。ここに来るときに、屋敷から絵巻物でも書物でも適当に暇をつぶせるものを持って来れば良かった。私がここに持ち込んだものは、母の形見の柊の簪をこの身ひとつだ。徒に簪を眺めては、壊してしまわないようにそっとサイドテーブルの上に置いた。

トビさんと別れた後、私は与えられた部屋へと戻った。地下まで来ると、人もいないせいかほとんどしんとしている。しかしそれでも絶えず音は上の方から響いていた。1つ1つの階層に、それぞれ違った記憶があるのだから当然なのかもしれない。
ベッドに身を投げ、目を閉じると一層音がはっきりとしてくる。このまま寝付けてしまえばきっと楽なのだ。しかし意識をざらざらと乱す雑音は絶えず響き続けている。ただでさえ落ち着いて眠れるような場所ではないのだから、尚更だ。
やることもない。話し相手もいない。倦怠感にも似た退屈さを、いい加減剥離してしまいたい。

「……」

人の気配がない。音もしない。ならば、この楼閣には誰もいない。
少しくらい外に出ても大丈夫だろう。逃げるわけではない。ただ、気晴らしに行くだけだ。
言い聞かせるようにドアノブに手を伸ばす。

「何処に行く気だ」

トン、と。背後からドアを閉ざすように手が伸びてきた。そういえばこのドアは内開きだったか。手前に引いてドアを開けようにも、後ろから伸びてきた手がそれを阻みびくともしない。いつの間に部屋にいたのかだとか、そんな野暮な疑問は今更抱かない。相手は忍だ。観念してドアノブから手を離す。振り返ると思っていた以上にすぐそばにある黒い外套に息が詰まった。

「外の空気を吸いに」
「……」
「ダメですか。……ああ、いえ、ダメですよね」

仮面の穴から覗く赤い瞳が剣呑に細められた。機嫌を損ねてしまったかもしれない。大人しく部屋の奥に戻り、浅く息を吐き出した。ひどく退屈だ。

「それほどまでに別の場所を求めるのか」
「!」
「なら、とっておきの場所に案内してやろう」
「え、ま、待って」

不意打ちだった。トビさんに視線を向けながら、反射的にといって良いほど、嫌な予感がして無意識に彼と距離を取る。構わずこちらに歩み寄ってくる彼に訳が分からないような謝罪を繰り返した。
彼の手が私の肩を掴む。途端に目の前の光景ががグニャリと歪んだ。まずい。そう思った頃には遅く、視界は暗転した。

「うわ」

まばたきをした次の瞬間には景色は一変していた。視界の端にあったはずのベッドやテーブルは消え、ただ方型の白い床だけが横たわる。薄暗い空間だ。点々と不規則に並ぶブロック上の足場と、真っ黒な上空。しかし不自然なまでに明るく、視界は確保できる。

「閉じこめられた……」

考えられる状況につい全身から力が抜けた。こんなことなら寝てるふりでもしているんだった。




「あれ、あの子飛ばしちゃったの」

壁が歪み、そこから見慣れた外殻がズルリと現れた。鶸色の瞳を瞬かせる白い半身は、辺りを見回しながらやけに楽しそうに呟いた。先ほどまで目の前にいた女の形跡を削り取るように、視線を窓に向ける。

「アノ手ノ娘ハ得意デハナサソウダナ」
「目は閉じることはできる。しかし耳は塞いでも完全に音を断つことは難しいだろう」
「聞かれたの? 音」

にやりと笑んだ白は実に楽しそうだった。眉を顰め、時空間に意識を向ける。思いのほか動揺する様子のない娘の姿に、視線をゼツに戻した。

「出過ぎた真似をしたから灸を吸えてやっただけだ」
「へえ」
「あと小一時間もすれば出すつもりだ」

こうして時空間に送っている間も、彼女には音が聞こえてしまっているのだろうか。
掴んだ肩の、ごつりとした骨の感触が残っている。這い上がってくる得体のしれない不快感に、小さく舌打ちをした。




20121102
修正20121228




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