ドアの向こう側に気配がない。
ノックをしようと軽く握った拳の力を緩めた。
一般人とさほど変わらないのだから、気配を隠すなどということはできないだろう。
いつ部屋を出たのだろうか。
彼女は何かと理由をつけては外に出たがる節がある。
与えられた部屋で大人しく1日を過ごしていることなど、療養以外では滅多なことでありえない。
目を離せば気の向くままに視界に映る道を辿る。
気まぐれに立ち止まった場所で時間を過ごす。また移動する。茫洋と景色を眺める。
よほど、ここでの生活が退屈なのだろうと思った。
だが、彼女が言うには、歩き回ることが許される場所や、見ることができるモノ、触れても構わないものがごく限られた久瀬とは違い、ここは多くのものに囲まれて飽きないのだそうだ。
楽しいことばかりだと、可笑しそうに笑っていた。
しかし前に灸を据えられたとかで、トビがアジトにいる間は驚くほど部屋に籠っている。
トビ本人はそれに気が付いているかは知らないが、いずれにしても全て彼女が自ら語ったことだ。
……彼女自身、本来は活気溢れる気質なのだろう。
久瀬という特殊な環境下で刷り込まれた現実が、外に向かおうとする彼女を抑圧しているのかもしれない。

今も、気まぐれに外に出てぼんやりとでもしているのだろう。
部屋にいないことを再度確認し、踵を返した。




覗いてはいけないものがある。
それは悪いものなのだと教わった。
見てはいけないものがある。
それは神聖なものなのだと諭された。
触れてはいけないものがある。
それは忌まわしいものだと忌避された。
答えてはいけないものがある。
それは確かに存在してるのだと、皆が言った。

水面に映る顔が歪む。
それは私であることは確かなのに、何故だか他人に見えた。
そんな些細な離人感が、途方もなくいとおしい。
未だに馴染まぬ指先を握り締めては広げ、それを繰り返しながら背後に降り立つ気配に意識を向けた。

「『躯』とは、巧く表現したものだな」

真っ直ぐ尾を引きながら降ってくる声は、意識に深いシミを落とした。
気だるげに首を捻り、そちらに視線を向ける。
仮面の向こう側に隠れた隻眼が冷ややかな赤を滲ませている。
彼は抑揚に欠けた声音でゆっくりと言葉を紡いだ。

「あの巫女の身体が果たして本当に生きたものなのか。あの身体が本当に百年近く生き続けている肉体なのか」
「なんの話ですか」
「化けたものだな、千草」

――比佐宜と呼んだ方が良いか。
彼が溢したその名前に、意識が一瞬遠退いた。
なんだ。
気付いたのか。
知っていたのか。
分かっていたのか。
分かるのか。

「千草を返せ。まだやってもらわねばならないことがある。今、お前に連れていかれては組織の損害になる」
「はは、ふ、あはは」
「……」
「お前なんか鵺に喰われてしまえ。喰われてしまえ。喰われてしまえ」
「……」
「欲しいものが『耳』ならば、姑獲鳥の聲くらい拾えよう」
「お前の言葉遊びに付き合う気はない」
「鵺が来る。久瀬の女は皆、化けて己の子を探すだろうよ。だが千草は『母』には成れぬ。それとも、おんしが子にでもなるかえ?」
「……」
「皆、逃れようなどなく。閉ざされた屋敷の中で、芥子雛と共に柊を愛でればいい」

何者にも成れぬ。
何者でもない。
躯は巫女の為に在る。
虚は御家の為に在る。
お前が何を欲しようと、全ては血の巡りに従い流れていく。
娘がお前を欲しがろうと、お前がその血を欲しがろうと、関係などない。

「うちはの若者、お前の願いが死者にあるなら、千草は喜んで比佐宜となって、巫女に相成るだろうよ」

そして鵺に喰われて、みんなみんな、お仕舞いだ。



トビと、彼に抱えられた千草を見て、事態を理解できずに眉をひそめた。
彼は無遠慮に彼女の部屋に入っては、まるで荷物を投げ出すように彼女をベッドに放り出す。
その無造作な所作に、つい眉間に皺が寄る。
一体何があったのか。
今朝、彼女の部屋を訪れて中に彼女がいないことを確認した。
外にいるのだろうと、何の気なしに廃屋を出た。
そこで気を失っているだろう彼女と、それを抱えたトビと鉢合わせしたのだ。
ベッドに放り出された千草は静かに寝息を立てている。
まさか外で寝ていたということはないだろう。
なら、何者かの襲撃を受けたのか。
しかし凶悪犯罪者ならともかく、つい先日まで人畜無害な一般人だった彼女が、忍の正規部隊に襲われる可能性はほぼない。
人里離れたこんな場所で、悪漢が現れる可能性がないとは言えないが、現れれば確実に誰かが気付く。

……もしかして、あの旅籠で起きたことと同じことが起こったのか?

1人で思索していると、彼は踵を返してドアに向かった。
そして背中越しに口を開く。

「イタチ」
「!」
「時間がない。千草を厳重に見張れ」
「どういう意味だ」
「おそらく、もう長くはないのだろう」
「!」
「賭けになるが、そいつが目覚め次第久瀬に向かう。それまでの間、チャクラの流れと気配に注意しろ。千草が目覚めた後に言動に違和感を感じたら幻術で動きを止めておけ」
「……」
「予想はしていたが、まだこちらの準備が整っていない。荒療治になるが、まあいいだろう」
「この人は」
「?」
「この人は、死ぬのか」

目を閉ざし、深い眠りに就いたその顔を眺め、マダラに問いかけた。
彼はらしくもなく自嘲的な笑いを溢し、そして子供をあやすような柔らかい口調で言った。

「初めから、生きてなんかいなかったんだよ」


20130808





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