死んだ兄弟に会いたかった。

其処が死者に会える屋敷だと聞いたのは、集落から出ることを禁じられている女たちからだった。
戦乱の世において、血によって継がれる血継限界が外部に渡ることは決してあってはならない。力の弱い女が、不用意に外に出て敵に捕まり、写輪眼が流出するようなことがあってはならないのだ。
例外を除けば、女が戦場はおろか集落の外に出ることはなかった。
そんな彼女たちの楽しみと言えば、徒に男たちが戦場が仕入れる他愛のない噂話や伝承、自分の夫や子供の話くらいだ。

死者に会える屋敷の噂も、彼女たちから聞いた。
死んだ夫や子供に会えるならと、悲しみや寂しさを口にする者もいた。

「そこに行けば、死んだ兄さんたちに会えるのかな」

幼い弟が、無邪気に「会いに行きたいね」などと口にした。
父は噂に過ぎないと相手にはしなかった。
しかし幼さ故に、弟は「死」という概念を理解しきれなかったのだろう。
……当時の自分も同様だ。
或る月の出る晩に、オレは弟を連れ、集落からこっそりと抜け出してその屋敷に向かった。

場所は一族の男たちから聞いていた。
ここからそう遠くない場所にあるとわかり、奇妙な好奇心はより強く駆られた。
集落を抜け、小川を越え、小さな森を抜けた。
その先にある山の麓に、その屋敷はあるらしい。
やがて山に入ると、雪が降り出した。
火の国では、雪などほとんど降らない。もの珍しさに、はしゃぐ弟の手を引きながら、大きな鳥居とその奥に佇む屋敷を見つけた。

静かな屋敷だった。
雪だけが降っている。
音がない。
月もいつの間にか姿を消していた。
ただただ、雪が青白くあたりを映し出しているだけである。

「行きはよいよい、帰りはこわい」

聞こえた声に振り返る。
白い着物を着た女が、佇んでいた。





幼子の笑い声が響いた。
次いで塀の向こう側を、バタバタとかけていく音が意識を引く。
前々からこの屋敷に来るたびに聞こえていたこの音は、近隣の村の子どもが来ているからだろうか。久瀬と俗世との境にある鳥居を潜ろうとしたところで一度足を止めた。
依然としてこの地は雪が降っている。
時間が止ったように変わらない白の景色は、命の気配など微塵も感じさせない静寂を孕んでいた。

「お前はあの子を助けたいの?」

背後から投げかけられた声に、意識だけそちらに向けた。
何故か雪が一瞬だけ止んだような気がした。
しかしやはり未だに降雪は続いている。
この場所は、雪が止むことはない。
久瀬がこの集落に生きる限り、この地に日が射すことはない。
気配は静かにそこに立っているだけである。
緩慢な動作でそちらに視線を向けた。

先ほど錯乱して屋敷の奥に運ばれたはずの少女が、そこにはごく自然に佇んでいた。
雪の中に溶けだしてしまいそうなほど白い肌をした娘は、無邪気に首を傾げて見せた。

「あの子はお前を欲しがってた。だからこの屋敷を出て行ったのよ」
「……災厄と恐れられた巫女が、稀人でもない侵入者に声をかけていいのか」
「さあ。どうせ私は正気を保てないお人形さんだから。何をしても許される」
「嫌な女だな」
「おかげで真赭には苦労をかけている」

白い息を吐き出しながら、彼女は無為に空を見上げた。
その面立ちは千草にひどく似ている。
いや、この女が120年近く生きているならば、あの娘が巫女に似ていると言った方が正しいのか。
生気がほとんど感じられないその肌の色は、無機質に映った。
巫女は空を見上げたまま、言葉を紡いだ。

「お前に千草はやらないよ」
「……」
「真赭はあの子をこの屋敷から解放したいそうだけれど、それは許されない。あの子もまたこの家の女として此処で生き、此処で死ぬ」
「この現状で、よく囀る」
「あの子は帰ってくる。逃げられない。逃がさない。そんなことは許さない。させない」

――誰も助からない。決して。

「皆、逃れようなく。この柊の定めに従い生きる」
「……」
「お前がこの世界を凍結させても、あの男が蘇えって世界を眠らせても、柊は消えない」
「気が違ったお前に何ができる? 忍でもなければ力もない。ただ痛みに耐えるだけの存在だ。ただ、死ぬことができないだけの存在だ。それだけだ」

巫女などと崇められようと、非力な女の成れの果てだ。
吐き捨てるなり、女は笑った。
感情がごそりと抜け落ちた目玉に景色を反射させ、まるで狂ったかのように甲高い笑い声を響かせた。

「あげない、あげないよ、お前に千草はあげない。あの子はお前を欲しがっているけど、お前にあの子はあげないよ」
「……」
「ふふ、あはは、バカな子。ほんとうにダメな子。こんな男欲しがったって手に入りはしないのに。いつまでもいつまでもつまらない過去を美化して求め続けてバカな子。弱い子。ねえ、そう思うでしょう?」

うちはオビト。

――叶わぬ想いを抱いた魚の姫は、泡となって消えたんだ。
あの子もそうやって抜け落ちていくよ。
消えていくよ。
真珠になんかなれやしない。
泡となって消えるんだ。

甲高い声で言葉を続けながら、巫女は一歩、こちらに前進した。
一瞬のことだった。
10歩はあるであろう距離が、瞬きひとつで消える。
目の前に、青い柊の刺青を全身に浮かべた千草の顔があった。――違う。これは巫女だ。伸びてきた白い手が、肩に触れようとしたところで身を引いた。
……あの刺青が浮かんだ手に触れられてはいけない。
おそらく呪印か何かの術だろう。
巫女は宙を掠めた己の手のひらをまじまじと眺めては、にたりと気味の悪い笑みを浮かべた。

「知ってるのよ。お前、会いたい死者がいるね。でも此処に来たって会えない。だってお前は『彼女』を弔ってはないもの。死者を死者として見詰められない人間には会えない」
「よく喋る巫女だ」
「残念、残念ね。此処に来たって死んだ人間には会えない。会えたら人は死なないわ。死なないのよ。死なない。死ねない。みんな、みんな」

不意に、がくんと彼女の首が擡げた。

「みんな、みんな、死んでしまった。私だけ、みんな、置いて行ってしまう。私だけ、私だけ生き残った。違う。好きで生き残ったんじゃない。違う。私は悪くない」

――また、正気を失ったのか。
ぶつぶつと小さな声で言葉を零すその姿に眉をひそめる。
白い着物から伸びた手足には青い柊の刺青が不気味に咲いている。
雪のせいか、妙に刺青が濃く深いものに見えた。

「私だけ。私だけ。私もあの時死んでいれば、死んでれば。違う。悪くない。私は違う。違う。どうして。どうして。どうして。なんで。かかさま。どうして、どうしてヒサギなの、なんで、かかさま」

屋敷の方から声が聞こえてきた。
どうやら巫女が外に出たことにようやく気付いたらしい。
わざわざ屋敷に戻してやるような面倒を見ることもないだろう。
いくつかの気配が近づいてくるのを感じ、踵を返した。

「何故。どうして。どうして。この子が、助けて。この子を、何故。どうして。やめて。何故、裏切った――うちはマダラ」

低く吐き出されたその名を最後に、巫女は雪の中に埋もれるように倒れ込んだ。




奇妙な夢を見た気がする。
目蓋を持ち上げると、部屋の中は途方のない暗闇に覆われていた。
額に浮いた汗を拭いおもむろに上体を起こした。
おそらく寝入ってそんなに経ってはいないのだろう。
夢の余韻なのか、妙に鼓動が煩く鳴っている。
しかし、どうにもどんな夢を見たのか思い出せない。ただ、あまり良いものではなかった気がする。

(この間の旅籠でも、嫌な夢見たし……)

その直後に音が一時的に聞こえなくなったのだ。
無音は恐ろしい。
目に映るものが現実かどうかも危うくなる。
音がなければ状況がわからない。
声がなければ誰がいるのかわからない。
聞こえなければ、何もかも失ってしまう。

ぎゅっと、自身の身体を抱き締めるように身を屈めた。

大丈夫、大丈夫だ。
言い聞かせるように目を閉じる。

早く、トビさんは帰ってこないだろうか。



20130327




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