高く積み上げた雛壇を見上げ、目を細めた。
部屋の中央に雛人形とそれを飾る雛壇が鎮座し、そしてそれらを囲むように壁一面には芥子雛が並べられている。
雛壇の最上段には女雛だけが飾られ、その隣の男雛の席は空白だった。
赤を基調とした祭壇に、赤い灯籠に灯された部屋は、気が遠のくような離人感を意識に根付かせる。
部屋の壁に敷き詰められた人形たちが私を見下ろし、けたけたと嗤った。
雛壇に並べられた雛人形がくすくすと笑った。

「憎かろう」
「憎かろう」
「あの男もお雛にしてやればいい」
「恨めしや」
「この祭壇に飾ってやればいい」

四方から迫るように、声は延々と響いてくる。
嗄れた声、甲高い声、低い声、艶やかな声、赤子の鳴き声。
しかしどの人形の表情も笑みを浮かべている。
人形たちは私を見下ろし、くちぐちに言った。
芥子雛たちの黒い眼が、灯籠の灯りに揺れた。

水子、稀人、術式に耐えきれず命を落とした男児、久瀬と所縁のある人間たちの成れの果ての姿。
芥子雛は、それだと母が言っていた。
芥子雛の髪は死者の遺髪だ。
久瀬は昔から葬儀を行った際、49日を過ぎるまで死者を芥子雛としてこの祭壇に祭っていた。
49日を過ぎたら壁に杭で打ち付ける。
それは人形から死者を確実に切り離し、黄泉へと送り出す作業である。
そうして残った人形は、死者が残してきた人間を見守るための目となるのだ。
一方でそれは死者の念を宿した人形だと言われた。

昔から知人や恋人、友人、肉親の死と同様に、久瀬は置いて行かれてしまった生きた人の痛みもまた重んじてきた。
その慰めのようなものが、この人形風習の始まりだったとは聞いている。

煌びやかな晴れ着を着せられ、綺麗に化粧を施され、ただ其処に置かれる。
黄泉へと流されたはずの死者の意志は、しかし何故か完全に切り離すことができないこともあった。
――この屋敷が死者に会える場所などと言われるのは、そこに由来している。
笑いながら私に語りかける声たちは、呪詛のように、祝詞のように、其処で生まれ変わることもできずに居座り続けている。
怨念、未練、悔恨、終着、悲哀、憎悪、痛み、辛み。
私たちの身に刻まれた柊が聞かせる音は、芥子雛らの声だ。
同様に柊は、この世に遺された者たちの痛みでもある。
柊は死者の聲を私たちに聞かせ、生者の痛みを私たちに与える。

「あの男なら、とうの昔に死んでいる」
「では何故芥子雛にしない」
「あの男に男雛の席をやればよかったものを」
「延々とこの屋敷に囚われて苦しめばいい」
「我々と共に宴を繰り返せばいい」

私たちがそれを抱えることは、彼らの救済を意味する。
そうやって、今まで近隣の村や里を災厄から守ってきた。
――しかし皮肉だ。
他人の死を糧に確立した信仰と地位だ。
死者への思い、喪失の痛み、死者の未練を全てこの屋敷で抱え込むなどという歪んだ儀式が今の私たちを苦しめている。

ならば、此処に在る亡者たちは何をきっかけに此処から解き放たれるのか。
放たれた際、この地に降りかかるのは、災厄ではないのか。
巫女は、それを封じるために眠る。
巫女守りは、その眠りを守るために在る。

しかし巫女は目覚めてしまった。
蓋が外れてしまったのだ。
中の悪いモノが溢れ出すのは時間の問題だ。
災厄は時期にこの屋敷を飲み込むだろう。
その災いが外に漏れ出ぬよう、封じなければならない。
私が雛を、芥子雛を、あの世へと流さなければならない。
此処から全てを解放しよう。
そしてここで生きる女たちを外に逃がさなければ。




「おかえり千草」

最後の鳥居をくぐり、アジトの前に来たところで声が投げかけられた。
陋屋の扉が開き、鶸色の瞳がこちらを見て瞬く。「ゼツさん」と反射的に言葉を発すると、彼はずるりと地面から這い出て手招いた。あまりされないその仕草につい首を傾げる。何かあるのだろうか。小さな疑問を抱えながら小走りでそちらに向かう。

「忘れないうちに説明しておこと思ってね」
「明日カラ俺タチハ少シ任務ニ出ル」
「え、そうなんですか」
「此処ニ残ルノハイタチト鬼鮫ト大蛇丸クライカ。サソリハ今出テイルガ今日ノ夜ニ帰ル。角都ハマダ会ッテハイナカッタナ」
「角都はしばらく賞金首取りで合流予定はないから、顔合わせはしばらく先だろうね。まあ、イタチがいれば危険な目に遭うことはないだろうけど」
「大丈夫ですよ」

私が組織でまともに接したことがあるのは、イタチくんとゼツさんとトビさんくらいだ。大蛇丸さんやサソリさんとは何度か顔を合わせたが、それっきりであるし、鬼鮫さんについては今朝初めて顔を合わせ、先ほど初めて言葉を交わしたばかりだ。角都さんに至っては、話は聞いているがまだ会ったことがない。ペインさんや小南さんも、同様に一度会って以来姿を見ていない。

「小南がいるのが一番安心なんだけど、しばらく雨隠れを離れるのは難しいみたいだからね。イタチに引っ付いてれば、殺されることないから」

陋屋の中へと進みながら、ゼツさんが難しい顔をして言葉を続ける。
ギシリと軋みを上げる床板に一瞬躊躇いながらも、ゼツさんの後を追った。
陋屋の中は伽藍のようになっている。
奥には左右に仏像が二体立っており、右側の像の下に地下に続く階段がある。……ちょうど、うちはの集落の神社にあった作りに似ている。
その階段を下りながら、前を歩く大きな影を見る。
どこから取り出したのか小さな燭台を片手にゼツさんは奥へと進んでいった。
心もとない赤い光が視界をぼんやりと照らす。
その赤に、ふとしたように口を開いた。

「ゼツさん」
「ナンダ」
「トビさんは」
「ああ、トビなら此処には4日後くらいに来るって言ってたかな」
「ソノ頃ニハ俺タチモ帰ッテクル」
「そうですか」

トビさんには、ここに着いたら久瀬の宮に向かうと言われていた。その目的こそ聞かなかったが、あの旅籠でのことを思うとあまり良い予感はしない。
もちろん、久しぶりに自分が生まれた家に帰るのだ。懐かしさや安堵感がないわけではない。
しかしそれ以上に、彼が何を考えているのかわからなかった。
――そうだ。わからない。
脳裏をよぎる黒に、目を伏せる。

「ゼツさん」
「なに」

無意識に喉元から這い上がってきたその問に、私は傍らにいる、おそらく彼を一番よく知ってるその人の名前を呼んだ。
いや、むしろ組織内ではゼツさんが一番トビさんと深い関わりがある。
これほどそばにいれば、意図せずとも音は拾ってしまうものだ。
私に改めて向けられる鶸色の瞳に、慎重に言葉を選んだ。

「トビさんは、いつからトビさんなんですか」
「ナンダ、ソノ問ハ」
「まるで、トビがトビじゃなかったみたいな言い方だね」
「だって」

そうじゃないですか。
私は足元に視線を落とした。
思考の片隅に紅葉がちらつく。
赤い振り袖。帯解き。鳥居。迷子。手のひら。
ひとつひとつの駒を確認するように、単語は映像として旋回した。
ゼツさんは僅かに思案するような素振りを見せたあと、首を傾げた。

「ふうん。お前が触れないのはそれがトビの弱みになると思っているから?」
「なるんですか?」
「さあ。ならないんじゃない? だって、トビにとってこの世界に価値なんてものないんだよ。トビがこの世界で見てきたもの聞いてきたもの、経験、記憶、感情、彼はそんなもの要らないんだ。だって、世界の代わりなんて作り出せる」
「……」
「代用品ガ利クナラ、コンナ世界ニ執着スル必要ハナイ」

少なくとも、古いモノより新しいモノの方がよほど性能がいいはずだ。
ゼツさんはそう続けた。
鶸色の瞳がゆっくりと瞬く。
代用品で満足できる程度のモノしか持ち合わせていない。
その目は雄弁に語っていた。

「ゼツさんは、この世界が嫌いなんですか」
「サアナ、関心ハナイ」
「そう、ですか」
「千草は好きなの?」
「私は」

――『私』は?
そもそもあの小さく狭い世界で、そんな分別がつくだけの人格ができあがったのだろうか。
しかし外を怯える私には、あの小さな匣の中はちょうど良かった。
巫女、当主、母、屋敷の者たち、用意された舞台に、出来上がっていた脚本、それに適当に役を与えられただけの存在だ。
それだけだった。
その綻びは、ほんの一瞬のことであったのだ。
脳裏を少年の横顔が蘇える。

「迷子?」
「おい泣くなよ」
「泣いてばっかだといじめられるぞ」
「一緒に探してやるから」
「大丈夫だよ」
「助けてやるから」


――あの時繋いだ手に、今も縋るなら。

「気になってたことではあるけど、千草はどこまでボクたちのことを知ってる?」
「聞こえたことしか、知りません」
「ドコマデ聞コエテイルンダ」
「自分でも、どう説明すればいいのか、わかりません」
「それさ、説明するには大変なほどの情報量ってこと?」

情報量。
ふと、違和感を覚える語感に一瞬だけ思考が止まった。音をそんなふうに論理的にとらえことはない。だが、言われてしまえば記憶もまた情報だ。しかし情報と聞くと、そこには感情が伴わない客観的なものという印象がある。
人の記憶には、感情や価値観が複雑に入り組んでいる。個々の人格が大きく関わるのだ。
しかし情報にはそういったものがない。
それを持つ人間は、誰だって構わないのだ。
人格も価値観も関係ない。
あるのは、普遍的で平坦な事実だけだ。
――記憶と情報が同じなら、記憶を移植しても人格は変わらないし、逆に人格を移植しても記憶は変わらないことになるのではないだろうか。
誰かが、誰かに成り代わったって。

「誰も気づきはしないよ。だって私たち、似てるもの」

ほら、真赭も真央も気づかない。
お前の着物を着てる私に気付かない。
――どうせ。


「千草?」
「すみません、何でもないです。忘れてください、すみません」
「……」

ごめんなさい。
再度繰り返し、ゼツさんの横をするりと抜けて与えられた部屋に向かう。
胸中にしこりのように居座る不安に、息をひそめた。


20130311





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