手招くように並ぶ鳥居の先に、小さな社がある。
朱塗りの塗装がところどころ剥がれている柱は、寥々と地面を見下ろしていた。長く続く石畳の階段は、冷たく横たわっている。
全ての鳥居を潜り抜けた先にある社は、地元の人間にすら忘れ去られたのか、蔦が這い回り苔むした陋屋だった。
その周囲を、まるで社を守るかのように青々とした自然が囲んでいる。気まぐれに聞こえる獣や鳥の鳴き声が、荒らすことを許さないとでも告げるように響いていた。

ここが西のアジトだと、そこに着いた日にゼツさんから告げられた。私とイタチくん以外のメンバーは、どうやら先に着いていたらしい。
しかしだからといって遅いと咎める人はいなかったし、大蛇丸さんやゼツさんは無事にアジトに着いたことをどこか訝しげに、しかし感心したと言うように言葉をかけてくれた。
おそらく、あの旅籠について何かしら知っていたのだろう。

ぼんやりと、眼下に広がる鳥居を見下ろしながら歩を進めていく。
形は違えど、こうして並ぶ鳥居を潜ると久瀬の宮を思い出す。
鳥居とは俗世と神域の境界であり結界だ。
ひとつくぐり、奥へと進むたびに人は俗世を捨てる。
煩悩、感情、人格、思考、その人をその人たらしめるものを削ぎ落としていくのだ。
ならば、その奥に居続けるには、もはや人として生きることを断念したモノだけなのかもしれない。

そっと、足元に視線を落とす。
苔むした地蔵が、ただ沈黙して佇んでいた。
地蔵という字は、そもそも大地と胎内、或いは子宮という意味の異国の言葉を意訳したものらしい。故に子どもの守り神だと、一般的に言われていると母に聞いたことがある。
……ならば、この小さな社はもともとは水子の供養に建立されたものなのかもしれない。

――ひとつ、どうにも思い出せぬものがある。

ふと、そう呟いたあの人の声が甦る。
久瀬の屋敷も、幾重にも連なる鳥居の向こう側にあった。音もなく雪が降るその地に、日が差すことはない。ただ絶え間なく降り積もる白と、遠く長く続く鳥居により外界とは切り離された屋敷であった。屋敷の奥には久瀬の宮と呼ばれる巫女が隔離された部屋がある。巫女守りはそこで眠り続ける巫女の世話をする。しかし巫女は目覚めてしまった。90年もの間、少女の姿のまま眠り続けていた巫女が、目覚めてしまった。
私は禁を破ったのだ。役目を果たせなかった。

目覚めた巫女の相手が私の役目だと、あの人の傍らに常にあろうと考えた時もある。しかしそれは都合の良い自己解釈に過ぎなかった。当主様は再びあの人を眠らせることを考えていた。
私は、漸く知ったのだ。
私は何も期待はされていなかった。
事態を悪化させただけだ。
役目は初めから用意されていた。
立場も誰かが拵えていた。
私はそこに置かれた駒のようなものだ。
私は、ただぼんやりと生きてきた。
だから簡単に揺らぐのだ。
怖くなる。
己の「生」を脅かす不穏因子を消すためなら何だっていい、誰だっていい。
自分の無力さを理由に、相手に生き方を決めてもらうことに躊躇いはないのだ。
生きることに困るよりかは、よっぽど倖せだろう。

だから、巫女の目覚めが久瀬の終焉に加担すると聞いた時、当主様がこの代でこの血を絶やしてしまおうとしていることを知った時、恐ろしくなった。
私は何処でどうやって生きていけばいいのだろう。
誰もそんなこと教えてはくれなかった。
だから、トビさんに屋敷を連れ出されたことは都合が良かった。
――ああ、まだ、私は生きていける。

私は、ひどく醜い。
幼稚だ。
非力だ。
浅はかだ。
だから巫女様が怒るのだ。
だからいつもいつも、私を相手に苛立っていたのだろう。
あの日も、さんざん幼い私を蹂躙した巫女様は醜いとそっと囁いた。
泣きじゃくる私を嗤い、無惨な姿になった私の姿に彼女が満足するのは、私にとってはごく当たり前のことになりつつあった。
そうして彼女は自身の苛立ちや激情が治まると、決まって正気に戻って謝罪を繰り返す。
ごめん、ごめんなさい、ごめんね、ごめんね。
あの人の言葉は、心臓に突き刺さり降り積もって嵩を増していく。
許すことも、憎悪することもできない。
ただ、傍らで沈黙していることしかできない。

彼女は、私が黙っている時は決まって自分のことを話した。
そうだ、思い出せないものがあるとも言っていたのだ。
その話はよく覚えている。
久瀬の宮の傍らにある地蔵を眺めながら、彼女は真っ暗な瞳を瞬かせて首を傾げては歌うように言ったのだ。

『千草には、特別にわたしの秘密を教えてあげよう』

『真赭には、妹がいたんだよ』

『だけどその娘はわたしの腹の中にいる時に殺されてしまった』

『その子の名前が思い出せないんだ』

『その日から、わたしの時間は止まったままだ』

その時の巫女様は、確かに正気だった。
後は、幼さゆえの好奇心で私は口を開いたのだ。
誰が殺したのだと。
彼女は赤い唇を歪めて答えた。

『うちはの頭領だった男がね、殺したんだよ』

大名だか国に雇われたらしい。
だから忍は嫌いだと彼女は言った。
しかしその男の名前までは、教えてくれなかった。




長旅の休憩ついでに、アジトだという陋屋を出て、鳥居を順にくぐりながら下へと降りていく。ゼツさんにはあまり遠くに行かなければ出入りは自由だと言葉をもらっている。それに甘え、イタチくんが外にいるといことを聞いてさっそく外に出てきたのだ。
完全に下りきると、少し離れたところに大きな湖が広がっていた。なんでも海が近くにあるらしく、湖水は海水に近いのだと聞いた。鮫もいるらしいから落ちないように、とゼツさんからは念を押されて言われている。

湖が見えたところで、一度足を止めた。
声が聞こえていたので、イタチくんがひとりではないことはわかっていた。
彼の傍らに立つ大きな影に、一度首を傾げる。
鬼鮫さん、だっただろうか。
ここに来て、一度挨拶を交わしたきりだった気がする。イタチくんのツ―マンセルの相手だそうだ。
鬼鮫さんから聞こえる音も、例外なくこの組織でよく聞く音だった。
最近は少しずつ、皮肉にも死にかかわる音に慣れてきている。いや、慣れというより、むしろ麻痺に近いのだろか。
そんなことをぼんやりと考えながら2歩ほど進む。
すると私へと視線が向けられた。

「あ、えっと、お疲れ様です」

視線が合ったのはいいが、どう声をかけたら良いかわからず、とっさに口をついた当たり障りのない言葉を吐き出す。
イタチくんは一瞬眉をひそめるが、すぐに無表情に戻り、こちらへと歩を進めてくる。鬼鮫さんは特に気に留めた様子もなく、「お疲れ様です」と返してくれた。
イタチくんはちょうど私の斜め前で立ち止まる。するとそれに呼応するかのように鬼鮫さんが口を開いた。

「確か、久瀬のお嬢さんでしたね」
「はい、千草と言います」
「――イタチさん、こういう無防備な稚魚ほど、真っ先に共食いの餌食になるものですよ」

私からイタチくんへと視線を向けた鬼鮫さんが、口角を吊り上げながらそう紡いだ。その言葉に、イタチくんは心なしか目に剣呑さを宿した。敵意にも近い赤い虹彩が、冷たく辺りの景色を映してぎらついた。
一体2人がどんな話をしていたのか、探ろうと思えば簡単に音を拾うことできる。しかしあまりに容易にそれを聞いてしまっては、彼らに失礼だろう。それに、好奇心に任せて音を聞いてしまっては、私は「私」を無くすことに繋がる。そんな気がしてならない。2人から聞こえる音に集中しないように、聞こえてきた鳥の囀りに耳を傾けた。

「そう敵意を抱かずとも、殺しはしませんよ」
「……」
「このような弱々しいチャクラでは、鮫肌の口には合いませんからね」

ちらりと私に向けられた視線に、なんとなくイタチくんが殺伐とした空気を纏う理由を察した。もちろん鬼鮫さんも冗談で言っているのだろう。しかしそれが冗談ではなく実際に行われた過去を持っているのだから、素直に聞き流す余裕を得るには日が浅い。
イタチくんはあまり感情を表には出さないから、失念してしまう。

無言で私の横を通り過ぎていくイタチくんは、アジトのある方向へと進んでいく。鳥居をくぐっていくその細い背中を眺め、小さな罪悪感にかられた。

「貴女の話はゼツから聞いていますよ」
「!」

イタチくんの背中が見えなくなった頃、鬼鮫さんがふとしたように口を開いた。
振り返ると、いつの間にか真後ろにある黒衣に思わず一歩分だけ離れた。

「ゼツの部下で、あの方のお気に入りだそうで」
「あの方?」
「うちはマダラ、ですよ。あの方本人は、当分は表舞台には出ないと言っていましたからね。私もここにきて最初の頃以来姿を見ていない。組織のリーダーに従って動けとだけ命令を受けてそれきりですね」

マダラ。
トビさんが表向きにそう名乗っていることは知ってはいたが、よく考えたら「うちはマダラ」という人物が何者であるのか、私は詳しくは知らない。歴史の書物に載っている火の国木の葉隠れの里の創設者の一人ということくらいか。……トビさんがその人となんらかの繋がりを持っていることも薄々気づいてはいる。
しかし、それ以上に何か、もっと別の面でその名前を聞いたことがある。
久瀬の屋敷で聞いたのだろうか。
そんな思索を紡ぎながら、当たり障りない言葉を探しては答えた。

「私は別に、そんなお気に入りとかじゃないですよ。ただ、忍ではないから、役目を果たすまで死なないかどうか気がかりなだけですよ」
「うちは一族は戦闘民族ながらも、情に厚い一族だ。理由付けはどうあれ、死なれたら困るのならば組織では重要な存在でしょう」
「……情報の搾取しか私にはできません」
「情報は何よりも重いものだ。その貯蔵庫ならば、尚更ですね」
「……」
「ひとつ、忠告しておきましょうか。人間とはその存在そのものが情報だ。それが敵にわたることは大きな損害と危機を招く。私は、里にいた時分はそれを食い止める任務を里長や大名から言いつかっていました。どんな手段を使っても、と」

鼓膜を甲高い悲鳴が揺らした。
今聞こえている音ではない。
鬼鮫さんから聞こえてくる音だ。

「貴女が敵に捕まって組織が危機に陥るときは、私は迷わず貴女を殺しますよ。情報の死守を掲げた同胞殺しが私の仕事ですからね」

『やはりこの世は偽りばかりだ……』

聞こえた音に、身体の奥が軋んだ。
――しかしその嘘で倖せを手にできるのならば、自分も世界も嘘で塗り固めてくれた方がずっと安らげる。それで苦しむのは、嘘が嘘だと気付くからだ。何も知らなければ、裏など存在しないことになる。嘘だって真実になる。
逆を言えば、裏の存在を知ってしまったから真実すら嘘だと疑いたくなるのだろう。
……鬼鮫さんの記憶から、優しげな女性の声が響く。

『こっちにきて一緒に食事をしませんか』

『干柿さん、今度一緒に食事に行きましょう』

『辛い、人生ですね……』

彼女の言葉は、嘘ではないだろうに。
喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
そっと視線を足元に落とす。

「では、私は先に戻ります。貴女も早く戻るように」

鬼鮫さんは先ほどのイタチくん同様に私の横を通り過ぎていく。
奇妙な疎外感がジワリと胸中に肥大した。

遠ざかっていく気配を感じながら、私は意味もなく水辺に向かう。
水面には、何故だか巫女様の顔が映っていた。




20130226




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