私たちは生まれながらに死に行くものである。
私たちは死にながら生まれた存在である。

その匣の外を生きる私は、死ぬことも生きることも許されずにただ其処に在るだけである。




宿はマダラから指定された場所があった。
旅客用の町とはいえ、もっと安く良い宿がたくさんある。しかし彼に指定された旅籠は、大名とまではいかなくとも、そこそこ裕福な人間が利用するような上客向けの宿だった。おそらくこの町では一番広い敷地を有しているだろう。小綺麗に装飾された建物からは、賑やかな明かりが漏れ出していた。威圧するように聳え立つ煌びやかな外観は、どこか浮世離れした印象を与える。
……千草を連れていくなら都合が良いと言っていたが、その詳しい真意は図りかねる。
当の彼女も「もっと普通の安いところでいいよ」と、大きな建物を前に怖じ気づいている。

「もっと入りやすそうな宿でいいよ。なんなら素泊まりでも構わないから」
「……マダラの提案です」
「トビさんの?」

一瞬眉をひそめるも、彼女は「じゃあ仕方ないかなあ」などと間延びした返答を口にする。その口振りから、彼女が高額そうだから躊躇っているわけではないことを悟る。よく考えたらこの年までまともに外には出ずに屋敷で暮らしたのだ。金銭感覚や価値の基準が一般と言えるものなのか怪しい。何より、彼女自身の身を置く場所の基準はおそらく「音」だ。

何か、躊躇われるような人間でもここに泊まっているのか。

旅籠の門構えの向こう側を眺めながら茫洋と思索した。辺りは既に暗く、濃紺に塗り潰されている。時折走り去る風の冷たさに、無意識に身体に力が入る。
何気なく見上げた千草の顔は、心なしか良いものとは言えなかった。疲れているというのもあるだろう。しかし物理的な苦痛とはまた違った色を浮かべているようにも見える。

「嫌な音でも聞こえるんですか」
「そう、だね。気は進まないかな」
「マダラにはここを利用するよう言われたが、別に奴の言う通りにする必要もないでしょう。他を探しましょう」
「え、いいよ。大丈夫だよ。確かに気は進まないけど、ただちょっと聞きたくない音が聞こえるだけだから。トビさんがここにしろって言ってたなら、たぶん何か考えがあるんだろうし」
「奴を信用し過ぎですよ」
「そうかな」
「オレが知っているあの男は、貴女が思うような『良い人』でないのは確かです」
「優しい人だよ、たぶん」

力の抜けた笑い顔で彼女は言ってのけた。どこにそんな根拠があるのだろう。奴の詭弁に乗せられ、騙されているなら愚かだ。
――あの夜でさえ、奴は彼女に残虐な光景を見せ付けて嗤っていたのだ。それらは場合によっては深い傷となって彼女に刷り込まれる。
一見すると、かなりの加虐趣味者も同然だ。

だが、普段は違うのだろうか。
ふと、そんな考えがよぎる。
思えばマダラと千草が2人でいるところを見たことはない。……ゼツとなら、よく一緒にいる姿を見る。彼女は表向きにはゼツの部下ということになっているのだ。当のマダラ自身も今は表舞台に出る気は全くないらしく、他のメンバーの様子を見る限り、彼の存在は組織設立に関与した者しか認知してない。彼女の存在が組織内では如何にイレギュラーかを象徴している事実でもある。
……千草の存在をサソリや角都が知れば、十中八九良い顔はしないだろう。サソリとは一度顔を合わせたきり、以来姿を見ていないと千草本人が言っている。角都に至っては会ってもないそうだ。

ゼツによる配慮なのか。或いは彼女を使い捨ての駒としか見ていないマダラの思惑なのか。どちらにしろ、彼女の在り方に小南が懸念を抱いることしかオレは知らない。そういった点では、小南もまたこの組織では彼女に次ぐイレギュラーな存在だ。もちろん実力者であるのは確かだが。

「ああ、でも、もちろん厳しいこともあるよ。私怒られてばっかりだし」
「子どもみたいなことを言わないで下さいよ」
「じゃあ、イタチくんの前では大人になるね」

屈託ない顔で訳のわからないことを言った彼女に苦笑が零れる。
次いで躊躇いなく門構えをくぐり、敷居を跨いだ彼女の後を追った。その足は真っ直ぐ宿屋の玄関を目指している。
無理をしなくともいいのに。
思いながらその背中を追った。存外、頑固なのだろう。
オレが確実にそばにいるのを確認し、彼女は玄関の戸を引いた。中から響く賑やかな声や音に、一瞬だけたじろぐ。

「いらっしゃい」

戸が開くと同時に、低い声が投げかけられる。まだ若い男性だ。番頭だろうか。旅籠の中はずいぶんと賑わっている。宴か何か、やっているのだろうか。あまり騒々しい場所だと彼女にとってはおそらく苦痛に近いものを与えることになる。――だから躊躇っていたのか。失念していた。人が多く集まる場所なら、聞こえる音もまた多い。彼女にとっては、誰が泊まっているなどおそらく関係ないのだろう。

そっと彼女の顔を見上げる。大丈夫か、そう問おうとして口を噤んだ。
――血の気が引いたように、青褪めたその頬に息を呑む。
何か、聞こえているのか。

「おいおい、お前さん大丈夫かい。顔が真っ青だぞ」
「!」

番頭の言葉に我に返ったのか、彼女の体が震えた。そして取り繕うように笑みを張り付けた。

「すみません。宿を一晩、お願いしてもいいですか」
「構わねえが……あんた大丈夫か、旅籠なんかより医者に行ったほうがいいんじゃねえか」
「いえ、あの……」

どこか戸惑うように彼女は顔を伏せた。マダラはこの旅籠に敢えて泊まれと指示してきた。彼女の様子に、思考の片隅にシミのように不安がジワリと肥大した。

「2階の部屋が空いているよ」
「!」

別の方向から声が響く。女性のものだった。少し離れた階段の前で、女性がこちらを見て佇んでいる。長い白髪を結い上げ、璃寛茶の着物に身を包んだ老婆だった。彼女は千草の顔を見るなり一瞬だけ眉を顰め、しかしすぐに愛想の良い笑顔で手招いた。

「付いておいで」
「!」
「案内してあげよう。早く受付済ましちまいな」

女将、と番頭の男性が女性に向かって呼んだ。ここの旅籠は、女主人が経営しているのか。女将はどこか千草を気にかけるような素振りを見せる。しかし千草自身はそんなことに全く気付いていないらしく、落ち着きなく何もない虚空を見回していた。
挙動不審な彼女に不安を覚えながらも、受付をすまし、女将の後を追う。しかしオレが歩き出してなおも動かない彼女に、声を投げかけた。

「千草さん」
「! あ、ごめん」

小走りでこちらに寄ってくる彼女に気を使いながら、案内された部屋に向かった。
案内された部屋は2つだった。
子ども相手ながらも、気を使ってくれたのだろう。
彼女とは部屋の前で別れた。
旅の疲れからか、早く布団に倒れこんでしまいたかった。





夢を見た。
私は広い座敷にひとり佇んでいる。
辺りには鬼灯が転がっている。
私の腹にはきつくさらしが巻かれていた。
苦しい。
小さく呻くと、私の口からは猫のような声が漏れた。
いや、猫ではない。
怖くなってあの人の名前を呼んだ。
しかし私の喉から漏れ出す音は、到底人と形容しがたいものだった。
いや、人だ。
人であるが、違う。
これは赤子の泣き声だ。
赤子の泣き声が延々と響く。
どくどくと痛みだした腹を抱え、足元に散らばる鬼灯を踏み荒らしながら座敷を進む。
襖を開ける。

鏡があった。

鏡には、着物の下腹が真っ赤に染まった私が映っている。
さらしが巻かれた腹は不自然にへこんでいる。
そっと足元を見た。

其処には血まみれの肉塊がある。
肉塊についた目玉らしきものが私を見る。

「おっかあ」

肉塊は、嬰児は至極満足そうに笑った。




布団から飛び起きる。
手のひらに伝わる畳の冷たい感触に、夢を見ていたのだと理解する。
ほっとしたように息を吐き出し、気持ちを落ち着かせようと窓辺に向かった。

鬼灯の間・萼。
客室の名前を意味もなく頭の中で反芻して息を吐いた。
女将さんに通された2階の部屋は、おそらく宴会用の広間なのだろう。広く長い座敷は、襖で4つほどの部屋に区切られている。イタチくんは隣の鬼灯の間・実に通されたらしい。まさか客人2人、しかも旅途中の子どもにこんな上客用の部屋が与えられるとは思っていなかった。これもトビさんの計らいなのだろうか。
ぼんやりと考えながら、部屋の片隅に敷かれた布団へずるずると這い寄るように戻る。

イタチくんはもう寝ただろうか。
外は深い暗闇が覆っている。
時間は深夜だろう。

「煩い……」

この旅籠に入ってから、赤子の鳴き声や子どもの声がずっと響いている。だからこんな夢を見るのだ。
聞こえる音もひとつやふたつではない。無数に響いている。大勢の子供の声が響いている。はしゃぎ笑うような声、母を呼ぶ声、啜り泣く子どもの声、許しを請う声、楽しげに笑う声、泣き叫ぶような声、悲鳴、狂笑、鳴き声、泣き声。
――旅籠に子どもが泊まっていれば、何の問題もない。しかし。

布団にもぐり、目を瞑る。耳を塞ぐ。息をひそめる。
消えろ。
そっと念じる。聞こえなくなるわけがない。それでも幼子のように願う。
久瀬の屋敷でも、葬祭が行われた夜はずっとそう願っていた。
耳底にこびりついた聲をかき消すように、身を縮めた。

消えろ。聞こえなくなれ。消えろ。いなくなれ。私は知らない。私のせいじゃない。消えろ。消えろ。消えろ。

『そう願うなら、お前はわたしといっしょだよ』

ふと、巫女様の聲が聞こえた。
布団の隙間から、真っ黒な目玉がこちらを覗いた。

音が、ぶつりと絶たれた。



20130123




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