「死にぞこないの婆の話を聞きに何度も来るなど、お前も物好きだな」

嗄れ声で笑う老女を見下ろし、眉をひそめる。薄暗い表座敷から臨むことができる中庭は、味気ない白で埋まっていた。この屋敷は、いつ来ても雪が降っている。 途方のない白は、この屋敷を外界から断絶しているようだった。用意されていた座布団にゆっくりと腰を下ろす。 火鉢が置かれてあるため、冷気はその鋭利さを削ぎ落とされ、座敷の空気は多少は和らいでいる。しかしそれでもやはり室内としては温度が随分と低い。何気無しに火鉢を観察した。柊の模様が螺鈿で施されていた。見覚えのあるものだ。

確か、千草も似たような装飾の簪を持っていた。
母の形見なのだと、彼女は言っていた気がする。
――彼女の母は、音を失い、精神を病んで衰弱死したと聞いた。
この一族の女は、皆長命だ。一方で、その有り余る力に押し潰されて消えていく者もいる。そういった点では、生き残る者の方が少ないのではないだろうか。
現当主が齢90を越える老齢であるため、長命だという偏見がついてしまっているだけだ。

老女は枯れ木のような指先で湯呑を持ち上げ、口に運んでは深く息を吐いた。それを合図にオレは口を開いた。

「単刀直入に聞こう。千草は、後何年もつ」
「……唐突だな。あの子はまだ成人もしていない。何を懸念する」
「与えた仕事を終える前より先に、音を失う可能性がないわけじゃない。千草が使えなくなった時のシナリオも必要だ」
「用意の良い小僧だな」

赤く燻る炭が、弱々しく爆ぜる。老女は深く皺を刻んだ目を細め、口許を歪めた。しかしその顔は何を思ったのか、不意に険しいものになる。そして中庭に繋がる襖に視線を向けた。
襖の向こう側からは、キシリと床板を踏み締める音が響いた。何者かがいるのだろう。気配自体はずっとそこにあった。しかし姿を見せないことを考えると、当主の護衛だろうか。だが、彼女の反応を考えるとその可能性は低い。一瞬だけそちらに意識を向ける。
同時に襖は何の躊躇いもなく開いた。

「真赭、千草は」

息を呑んだ。襖の向こうから現れたのは、白い着物を着た少女だった。やはり柊の柄の着物だ。まだ幼さが微かに残る面立ちは、和人形のように整っている。年は千草よりも幾つか下だろう。15、6程度に見える。
何よりも、千草にその面立ちはよく似ていた。以前、此処で見たあの少女だ。ーーそしてあの時、千草の柊を見た際、現れた少女だ。
視線を老女に向け、説明を求めるように口を閉ざす。
すると少女は襖を開けたまま座敷に無遠慮に足を踏み込んだ。冷たい風が入り込み、肌にまとわりついた。

「真赭」
「千草は今出ております。暫くは戻りません」
「千草の声は聞こえる」
「巫女様、客人の前です。お部屋にお戻りください」

――巫女。
老女の口から零れた単語に、眉をひそめた。
この娘が巫女なのか。思いの外幼い容姿に、観察するようにその白い顔を見た。
110年という永い時間を生きる女。若い時分で時間を止め、眠り続けた少女。穢れた卑しい一族に、名誉と信仰を与えた巫女。

千草の言葉が思い出される。
――愛されるべき存在。
――巫女守りたちが守るべき存在。
――不老不死の娘。
――千草が、目覚めさせてしまった災厄。

巫女だという少女はこちらを見て、その硝子玉のような目玉を細めた。

「お前、また$迹垂連れていったね」
「?」
「音がないくせに。お前はまた連れて行く」
「何の話だ」
「お前は仲間に入れてやらないよ」

黒い目玉が翳る。ぼうっと揺れるほの暗い瞳孔に敵意に近いものを感じた。身を切るような凍えた風が部屋の中で踊る。体温を剥ぎ取っていく冷たさに、空気が時間を止めた。

ふと、少女が片手をおもむろに持ち上げた。袖から覗く白い腕がこちらに伸ばされる。
ーー途端に少女の肌を、青い刺青が覆っていった。柊が枝葉を伸ばし、咲いていく。それは、彼女と同じものだ。白く小さな手が伸びてくる。

「憎らしや……」
「!」
「お前は仲間に入れてなんかやらない。お前なんか必要ない。お前なんかいなくたって、強く生きていける」
「何の話だ」
「去ね!」
「巫女様、お止めください」

老女が少女の手を掴み、動作を止める。刺青は一瞬で消えていった。少女は黒い目玉を大きく見開く。老女はオレにここから離れろとでも言いたいのか、そっと隣の締め切った襖を指差した。途端に、少女は糸の切れた人形のようにパタリと倒れる。気を失っている。閉ざされた目蓋は生気に乏しきものだった。癲癇でも患っているのだろうか。彼女はそれを抱えながら、深く息を吐き出した。

「目覚めてからというもの、巫女は正気を長時間保つのが難しくてな」
「……」
「夢でも見ているのか、それとも現実との区別がつかぬのか、誰かと勘違いしているのか、こうして癇癪を起こすのだ」

老女は侍女を呼び寄せ、巫女を別の部屋へと移した。改めてその場に腰を下ろし、茶が出される。そのような穏やかな話ではないことくらい相手も理解はしている。それでも、形式だけは決して崩さないようだ。老女は巫女が運ばれた部屋の方を眺め、深く息を吐き出した。

「千草が、7つの帯解から帰り、正式にこの家の氏子となった日だ。あの子が巫女の様子を見にいった時、あの方は、およそ90年ぶりに目を覚まされた」
「……」
「屋敷は混乱した。しかし目覚めたあの方もまた同じだ。それから、あの方は長い眠りの合間に僅かな時間、目覚めるようになった」

どこか遠くを見つめる色素に乏しいその虹彩は曇っている。彼女は災厄の目覚めをどう受け止めたのか。しかし、何故不老不死の娘ひとりが災厄となるのか。それはこの家の信仰に関わることなのか。思い尋ねれば、老女は答えた。

「あとで千草を連れて此処に来るといい。その答えは、聞くよりも見た方が早い。お前たち瞳術使いの分野だ」

低い声で笑う顔は、自嘲を含んでいた。火鉢からパチリとくたびれた音がした。

「さて、話がそれてしまったな。あの子の耳についてだったか」
「ああ」
「それを聞いてくるということは、あの子の柊を見たのか」
「随分と怯えていた」
「あの子は、只の娘だ。私が娘だった時とは時代が違う。見てきたものの差違だ。柊が見せるのは『痛み』だ。この家で間引かれた子供、しきたりで殺された子供、そして生業としている葬儀で見てきた多くの死。それらは、柊という刺青で、血縁で、必然的に私は継いでいく。戦争がある時代に生まれたとて、それに全く関与しなかったこの屋敷では、平穏しかあの子は学び得なかった」

それは果たして本当に幸福だろうか。意図して大人たちに塞がれた目蓋だ。偽装的な平和しか刷り込まれていない。見る景色を取捨選択されてきたのなら、それこそ本当にただの躯だ。

「柊は、悪夢そのものだということか」
「悪夢? まさか、この刺青が見せるものはみな『現実』だ。……分かるか? これは報いなのさ。穢多に生まれ、その当時の貧しさで我が子を間引いた。殺した。その後世には傲り、しきたりを理由に殺した家族もいる。他人の死で糧を得た。祀られながら、屋敷の中ではその神代でもある巫女を疎ましく思っている」

これは、報いだ。
己の行いなど関係はない。
この家に生まれた以上は、みなが罪深い。

「久瀬という籠の中で、私たちは生きて死ぬ。この柊はただ私たちを責め立て、己の行いの愚かさを知らしめている。母であり女であった伊邪那美が『死』を司ったように、私たちもまた『常世』を世界から閉じ込め、また閉じ込められ、世界から隔絶される。悪行にまみれた醜い存在だから淘汰される。実に簡単な話だ」

嗤いながら老女は言った。
それは等しくあの子もそうだと、嗄れ声で付け足した。
だから家の繁栄を担った『音』に苦しめられ、死ぬのだ。

「私が千草の年の時には、すでにこの当主という地位につき、娘もいた。それがしきたりだったからだ。それだけに、ここまで穏やかに育ててきたあの子だけはこの家から自由にしてやりたかったが、そうか、柊に怯えているのか」
「長くはないのか」
「全てはあの子次第だ。私がこうして生きているのも、そうであるようにな」
「比較しようがないな」
「そうでもない」

私が巫女の娘であるように、あの子は巫女の玄孫だからな。
老女はごく自然に言ってのけた。
廊下の方から幼子の笑い声が聞こえた。




宿場町に着いたのは日暮れ前だった。
旅客が立ち寄るための場所なのか、思いの外賑わっている。縁日を思わせる夜店も見られ、大通りには提灯が並んでいる。

こういった場所には、初めて来る。屋敷にいた時も、村の祭りには行ったことがある。しかし身内で行われる祭りと、こうして外で行われる祭りでは、やはり大分印象が異なる。ざあざあと波のように拾われる音は、祭囃子のような陽気さで満ちていた。つい余所見しがちな私を、イタチくんは定期的に声をかけて引っ張っていく。……これではどちらが年上なのかわからない。

道中も、イタチくんが気を使ってくれて、休憩をあの後2回ほど入れてくれた。まだ13歳だというのに、気遣いも振る舞いも、やはりとても大人びた子だと改めて思う。

一方で、そうあるために彼は、『子ども』であることを、何度殺してきたのだろうと思うことがある。
何度『自分』を諦めたのだろう。欲しいもの、嫌なこと、やりたいこと、やりたくはなかったこと、好きなもの、嫌いなもの。当たり前のように持ち合わせるそれらを、一体どれほど切り捨ててきたのだろう。

『子供としての彼』は失われるにはあまりに早かったのではないだろうか。

「千草さん」
「え、あ、ごめん」
「宿で部屋を取ったら自由に見てきていいので、今は大人しくしててください」
「あはは、イタチくん、お兄さんみたい」
「……」
「そんな無言で置いていかないでよ」

その細い背中を追いながら、小走りで賑やかな通りを駆けていく。

西の空に滲んでいた藍色が、ゆっくりと赤い帳を呑み込んでいく。
ざわざわと響き続ける音に溶け落ちてしまいそうな錯覚を抱えながら、私たちは宿を目指した。




20130113




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