鵺は深山にすめる化鳥なり。源三位頼政、頭は猿、足手は虎、尾はくちなはのごとき異物を射おとせしに、なく声の鵺に似たればとて、ぬえと名づけしならん。
(鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より)




紙片のような牡丹雪が、分厚い雲から剥がれ落ちる。音もなく地に敷き詰められていくそれらは、層を成し辺りを白で凍らせた。
方型に切り取られた格子窓の向こう側には、ただ空白を思わせる白だけが横たわっている。
生簀にも、薄氷が張っていた。夏に縁日で掬った金魚は、もうずっと前に死んでしまった。庭の柳の根元に埋めてやったのだったか。平面的な瞳孔も、螺鈿を施したような鱗も、鑑賞するには良いが、愛でるにはあまりに無機物的だった。

ゆっくりと肌を撫でる冷気に、体温がさらさらと流れ落ちていく。剥離していく体温に、躰が透き通っていくような、澄んでいくような、そんな意識の遠のきを感じた。

手のひらに力を込めると、棘が刺さるような鋭い痛みが走る。皮膚を突き破る熱は、生きていることを神経系に訴えた。
色も匂いも温度もモノも誰も、ない。何もない。

耳を澄ませば、かろうじて聞こえる音が息を潜めた。
嗄れた声、艶のある女性の声、太い男の声、低い青年の声、高い少女の声。赤ん坊の泣き声、女の狂った笑い声、男のうめき声、子供の悲鳴。
何ひとつとして明瞭な音はない。それは雑踏に等しかった。
ただ曖昧にぼんやりと、それは内側から響いていた。
そして無数に響く音の中で、私は「わたし」になったのだ。
声は「わたし」を祝福してくれるようでもあったし、「わたし」を疎んでいるようでもあった。

「忘れるな」

鋭い棘を逆立てる柊の葉を握りしめ、わたしは目を閉じる。
柊の花言葉を知っているだろうか。
かつての「私」が問うた答えを、あの人が口にしてくれることはなかった。
それでもいい。
代わりに手向けられた言葉が「祝福などない」という虚ろであろうと、「私」は充分だった。
――でも。
そうなのか。
私は祝福されなかったのか。
柊の葉の棘が皮膚を突き破り、赤を描く。わたしの手のひらからそれを抜き取るあの人の手が、音もなく視界を遮った。

夕日のように真っ赤な瞳が、どうにも頭に焼き付いて離れない。



眇 の 鵺




20121031
修正20121228




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