かごめ、かごめ
かごのなかのとりは
いついつ、であう
よあけのばんに
つるとかめがすべった
うしろのしょうめん、だあれ
▽
目を開く。白い天井が冷たく網膜に投影された。薄暗い視界は寂れた空気を孕み、体を内側から冷やしていく。少しずつ意識が覚醒していくのに従って、雨音が明瞭になっていった。肌に伝わる繊維の柔らかさや、自身の体温で温まったその場所がベッドであることを理解するのはそう難くなかった。
……しかし慣れない匂いが鼻孔を擽る。どこか懐かしいような、そんな優しい匂いだ。緩慢な動作で上体を起こすと、がらんとした部屋の中が視界を埋めた。
私の部屋じゃ、ない。
弾かれたようにベッドから降りる。状況に思考が追い付かなかった。何故が腫れぼったく熱が居残る目蓋が鬱陶しい。目元をこすりながら、ひとまず部屋を出ようと大きく一歩踏み出す。同時に聞き慣れた声が響いた。
「やっと起きたか」
「!」
トビさんだった。
途端に一気に思い出される記憶に、思考も動きも制止する。とっさに自身の肌を確認した。刺青はもう消えていた。
しかし昨晩は醜態を晒し、恥ずべき発言をした。この年になって幼子同然のあの身の振る舞いにはひどく気持ちが咎める。自己嫌悪とも言える感情がふつふつと肥大していく。
それに、勘違いでなければここは彼の部屋だ。私は彼の部屋をいいように占領していたことになる。自己嫌悪に加え、罪悪感までもが根を張り、行き場のない羞恥に視線を床に落とした。
「丸一日寝ていたぞ」
「! すみません、あの、あとありがとうございます」
「……体調に何か異変はあるか」
「いえ、大丈夫です。……それと、あの……」
「なんだ」
「刺青、は……」
「つまらないことで見誤るな。お前が久瀬の人間だというだけだろう」
「そっか、そう、ですよね」
怪訝にこちらを見る瞳に頭を振る。私が過剰になり過ぎているのはわかる。自覚はあった。だが、どうにも幼少時の巫女様の言葉が呪詛のように頭に張り付いていて、熱を持つ。そっと腕を摩り、頭を切り替えるように口を開いた。
「えっと、じゃあ今日は西のアジトに出発する日、ですよね」
「ああ」
「すぐ準備します」
なんとはなくその場に居辛い気分になり、逃げるようにばたばたとドアに向かう。触れたドアノブの冷たさが嫌に現実味を帯びていた。
「千草」
「!」
ビクリと肩が震えた。自分の名前のはずなのに、妙に新鮮な響きを孕んでいた。ドアノブを掴んでいた手を離し、彼に向き直る。赤い眇がこちらに向けられていた。
「西のアジトにはイタチとツーマンセルを組んで移動しろ。途中宿場町が2つほどある。寝泊りに問題はないだろう。4日ほどで着くはずだ」
「はい」
「それと、西のアジトに移動したらお前はオレがそちらに移動するまで大人しく待機していろ。人目にはあまり触れるなよ」
「トビさんは」
「オレは他にやることがある。それが終わり次第向かう」
「わかりました」
「オレと合流したら、悪いが今度はオレと共に来てもらう。お前もよく知っている場所だ」
「?」
「久瀬の宮だ」
▽
4日ほどかけて場所を移動するのなら、それなりに荷物は持って行った方がいいだろうか。しかし旅行ではないし、ましてや忍だ。目立たないことや身軽さを重視するなら、金銭や医療品しか持たないとも考えられる。そんなことを考えながら、着替えを済まし、巾着に金銭と簡易医療パックを詰め込んで手に持った。……お金は久瀬の屋敷からここに来る時に、当主様が持たせてくれたものがある。
今まで、屋敷からほとんど出ることはなかったし、自分で金銭的なやりとりをすることはほとんどなかった。着物は母が若い時に着ていたものを着ていたし、葬祭や神事の時は正装があった。屋敷にいる時は巫女様の世話に一日の大半を費やし、空いてる時間は教養のための勉学に励んでいた。そのため、正直金銭感覚に関しては自信がない。……イタチくんが一緒なら、問題はないだろう。
「……」
そっと柊の簪に触れる。母が遺したそれは、母が父からもらったものだそうだ。螺鈿が施された柊の簪は、母が使っていた当時から何ひとつ剥がれ落ちることなく私の手に渡った。――父の顔は知らない。男子禁制の久瀬の宮には、稀人以外立ち入ることは許されない。もちろん父も稀人だった。しかし私という種の芽吹きにより、稀人としての役目は終えられた。父は久瀬の宮を去ったと聞いた。その後の彼については、私は知らない。
しかしこの簪が父と母のものであるなら、私にとって宝だ。
柊の花言葉は「あなたを守る」。母は、「母と父が千草を守っている」という思いを込めたと言っていた。
簪を丁寧に匣に戻し、巾着にしまう。
部屋を出るべくドアを開けた。
▽
廊下に出るとちょうどイタチくんが向こうから歩いてくるところだった。組織の黒い外套を身に着けており、最初会ったときとはまた違った印象を受けた。しかし少しだけサイズが大きいようだ。重そうにそれを身に纏う彼は、どことなく幼く見える。目が合うなり軽く会釈をしてこちらに寄ってきた瞳は黒だった。相変わらず顔色がよくない。この子はこんな状態で外を出歩いて大丈夫なのだろうか。
「準備はできましたか」
「うん。でも、イタチくんは大丈夫なの? 顔色、あまり良くないよ」
「平気です。もうリーダーには言ってあるので、いつでも発てます」
「じゃあ行こうか」
その言葉を合図に背が向けられる。小さな背中だと思う。
それを追いながら、狭く暗い廊下を進んだ。
20121230