これは長寿でも、ましてや不死の秘術でもない。
――「死なず」の呪いだ。

私たちは何時生まれ、何時死ぬのか。
何処から来て、何処へ向かっているのか。
何故は生まれた赤子は嘆くように泣き叫び、死にゆくものは穏やかな顔を作るのか。
世界とは何か。
死とは何か。
「私」とは、何か。





耳を塞ぎ、床に横たわる肢体を胎児のように縮めた彼女を見下ろした。
露わになった肌は、青い刺青に覆われている。腹を、腕を、手の甲を、首筋を、頬を、目蓋を、その薄い白魚のような肌を裂くように、柊は咲いていた。――腹の術式に向かい、口寄せの術を使ってみろ。契約の有無は関係ない。中にある術式が反応し、きっと刺青が現れるだろう。当主の言葉だった。
息を荒げ、ひたすらに「煩い」と呟き続け、ガタガタと震える姿は、一見すると気が触れた精神病患者のようだ。
怯えているようも、何かから自分を守っているようにも見えた。彼女の動きを拘束している自身の体を退ける。びくりと青白い肩が震える。余すことなく柊は彼女の体を覆った。

「一族の証を厭うか」
「!」

彼女の歯がガチリと鳴る。震えがピタリと止まり、彼女は耳を塞いでいた自身の手を離す。髪の間で、大きく見開いた目玉が宙を凝視していた。

しかし間を置いて我に返ったのか、飛び起きては乱れた衣服を手早く直していく。ただ、震えが完全に抜けきってないらしい。襦袢の紐をうまく縛れずにいる。
それに息をひとつ吐き、今一度彼女と視線を合わせるように身を屈めた。
怯えたように身を強ばらせる彼女の様子を無視し、震えるその手を払って襦袢の紐を結んでやる。次いで寝間着の単衣も適当に整えてやり、その顔を眺める。頬や首に咲いた柊が、青く燐光した。

「すみません……」

絞り出すように吐き出された言葉がゆっくりと空間に溶けていった。床に落とされたその視線を追うように、彼女の喉から嗚咽が漏れ出す。
――まるで稚児だ。
思いのほか脆い。
出会った当初は気丈な娘だと思っていた。写輪眼に怯まず、力に屈したからではなく、一族の為に組織へ身を置いた。そこには彼女の意志があった。
だが、どうやら根本的なところで履き違えていたらしい。
彼女は、自分を縛る恐怖から逃れる為にここに来た。
老女との会話を思い出す。
久瀬の成り立ち。巫女の存在。子宮に根付く術。穢多。死なずの呪い。赤子の泣き声。巫女の笑い声。信仰が失われれば、差別の対象になる。
雪の中に閉ざされ、時間が動かない一族。

「久瀬が憎いか」
「そんなふうに、思ったことはないです」
「では、巫女が恐ろしいか」
「……あの人は」
「……」
「わかりません。私が、目覚めさせてしまった。だから、わかりません。巫女様は、愛されるべき人です。私は、わかりません」

燭台の灯りが揺れた。おもむろに持ち上げられた目玉がこちらを見据える。……刺青は眼球にまで施されているのか。まるで皹割れた硝子玉のような目玉は濡れ、今にも感情が溢れ出してしまいそうだった。

皮肉な話だとは思う。
世界から淘汰されぬために信仰を手にした一族は、それと引き換えに身に余るほどの呪詛を受けた。巫女という爆弾を抱えた。排斥という影に怯えた。

一度世界から間引かれた一族には、二度と平穏も倖せも訪れない。
この世界でそんな希望を持つことは無意味だ。希望とは諦めだ。自分を慰める言葉に過ぎない。現実はただ過去を繰り返し、確実に彼女たちを淘汰する。こんな世界で、誰が倖せになれる。
――だから無限月読が必要なのだ。

『所詮、私たちは夢の中でしか倖せにはなれぬのか』

統一された夢ならば現実を凌駕する。そう答えると、老女は嗤った。歪んだ愛情だと、彼女は嗄れた声で言葉を吐く。

『お前に愛した娘がいるように、お前を愛した小さな命が在ることを忘れるな』

――そんなもの、知らない。

「もう戻れ」
「……!」
「なんだ」
「いえ、あの、刺青が……消えるまで……」
「……好きにしろ」

見られたくはない。彼女の言わんとしていることは察しがついた。
どこか安堵したように息を吐き、部屋の片隅に移動する姿を目で追う。彼女は燭台の灯りが届くことのない暗がりで、膝を抱えて身を小さくした。よほど自身の身に浮かんだ刺青を見たくはないのだろう。暗闇の中ですら、彼女の刺青は仄暗く燐光を帯びているように見えた。

「私……」
「!」

ふと、小さく落とされた音に視線を向ける。彼女は懺悔するように、そっと言葉を並べていく。

「7つの帯解の時に、私は巫女様を目覚めさせて、しまいました」
「……禁を覗いた、とはそういうことか」
「はい。どうして目覚めたのかは、私にはわかりません。ただ、目覚めた巫女様は、私の刺青を呼び出して、醜いと言って嗤いました」
「……」
「ああ、でも、その前に、巫女様が『柊の花言葉を知っているか』って、私が、知らないと答えたから、でしょうか」

ぽつりぽつりと、確認していくように吐き出される言葉を拾う。思えば彼女が自身について語るのは初めてだったか。巫女のことを語るその姿は、まるで母に叱られた幼子のようだった。

「柊の、花言葉を知っていますか」
「……」
「『あなたを守る』だそうです」

ならば、その全身の刺青が意味するのは。

「私は、覚えています。たとえ、あなたが忘れて、思い出さなくても」
「何の話だ」
「……」

こちらが問いかけるより先に、彼女の体は糸が切れた人形のようにパタリと崩れ落ちた。床に伏したその目は閉じられていた。寝てしまったのか。刺青は少しずつ引いていく。死んだように動かない姿を眺め、息を止めた。
――刺青の燐光が、不意に靄のように浮き上がる。靄は少しずつ集まり、肉眼で捉えるのに充分なほどの厚みを持つ。それはゆっくりと人の形を作っていった。彼女の背後で小柄な少女の形を作ったそれは、彼女の目蓋に触れる。

「後ろの正面、だあれ」

屋敷で見たあの少女が静かに笑っては消えた。



20121226
修正20121229




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