実を結ばぬ花はいらぬ。
酔えぬ酒は宴にいらぬ。
ややが産めぬ女はいらぬ。

襖の向こうを、子供が駆けていくような足音が鼓膜を叩く。
鈴を転がすような声で、少女が笑っている。
目の前の老女も「ずいぶん夜更かしだこと」と可笑しそうに笑った。
右の障子がそっと引かれた。
白い着物が見える。
少女のようだ。
眇を覗かせ、彼女は口元を歪めた。

「ややこたちのかか様、お前は知らんかえ?」

皆、生まれたがっている。
彼女は恨めしそうに言った。




見つかった。ばれてしまった。静かに背後に佇む気配に私は焦燥感や罪悪感で顔をひきつらせる。おそらく、ここに来て脱走を試みた時以来だろうか。最近は楼閣内なら自由に動くことを許されていた。それは少なからず、私に多少の自由を与えてくれる程度には信頼が発露したということだ。私の今の行動は、何故かそれを裏切ってしまったようなものに思えた。――大蛇丸さんに言われ、且つ声が聞こえたから起きただけだ、と言えばそれだけだ。しかしどうにも罪悪感が主張して仕方がなかった。

そっと背後を振り返る。見慣れた仮面がそこにはあり、私は固唾を飲んだ。暗闇に目が慣れても、その向こう側の瞳はわからない。

「ずいぶんと夜更かしだな」
「あ、いや、えっと……」
「……」
「……すみません」

呆れたように深く息を吐き出す彼に、私は視線をゆっくりと足元に落とした。
久しぶりに会って早々に、失態を見せ付けてしまった。そう思わざるを得ないのは、どことなく彼が纏う雰囲気に、咎めるような色が窺えるからだ。
言い訳や適当な理由がくるくると頭の中を巡る。しかしどれを言っても、目の前の彼が納得してくれそうな言葉など紡げない。
ただ黙って彼の次の言葉を待つ。その間に、彼から不意に聞こえた懐かしい音に、妙に落ち着かなくなる。

――当主様のお声だ。

彼が何度か久瀬に赴き、当主様と情報の交換をしていることはなんとなく知っていた。しかしそれはどれも久瀬の核心に迫るような言葉ばかりで、私は些か不安であった。
躯を欠いた久瀬の宮では、一体誰が巫女様の世話をするのだろうか。
御髪を梳き、爪を切り、湯浴みをさせ、着物を着せる。答えないとわかりながら声をかける。稚児の面倒を見るように、ただ見守り、愛情を注ぐ。母がそうしたように、私もまた巫女を見守る。
そして母がそうだったように、私もまたあの広い屋敷の中で静かに生涯を閉じる。そう、思っていた。

当主様とトビさんの声が交互に響いてくる。
そこに混ざり込むように、時折幼子の笑い声が意識を叩いた。……久瀬の宮には子どもはいない。なら、これは屋敷の外の音か。だが、当主様が屋敷から出ることはない。この聲は。

「大蛇丸に唆されたのか」
「!」

彼から聞こえる音に集中していた中、不意に肉声が投げかけられた。我に返り、言葉の意味を咀嚼する。頭を左右に振りながら答えた。

「いえ、私が勝手に出てきたんです。声が、聞こえたから」
「庇い立てするな。その蛇は大蛇丸のものだ」
「あ……」

蛇を燃やしたのはやはりトビさんか。床に消し炭となって残る蛇の軌跡に息を吐く。言い逃れもできそうにない。言葉に詰まる私に、彼は深く息を吐き出した。

「まあいい。それより、ついて来い」
「!」
「確認したいことがある」

そう言って踵を返す背中に、私は一瞬意味がわからず制止する。しかし彼の足音と「さっさとしろ」という言葉に、我に返りその背を追った。




辿り着いた先は、今までも何度か訪れたことがある、彼の部屋だった。相変わらず生活感に欠ける殺風景な空間は、ただ冷たい空気を包んで沈黙している。そっとドアを閉めながら、視線の先でベッドの傍らにある燭台に火を灯す背中を眺める。橙が黒に塗り潰された空間を曖昧に穿ち、仄かに揺れた。部屋の片隅では影がけたけたと笑う。
何気なしにそちらに数歩近付きながら、問を口にした。

「それで、確認したいことって」

ゆっくりと振り向くその横顔を見る。
赤い瞳が深い翳りを宿した。
次いでこちらに手が伸ばされる。ただ茫洋と彼の動きを眺めていた。――反応が遅れた。

とっさに身構えた瞬間には遅く、私の体は床に叩きつけられた。背中から肺に向かって突き上がる冷たい衝撃に息が詰まる。頭を打ったため、視界がちかちかと歪んだ。とっさに体勢を整えるなど、訓練を受けていない私にはできない。床で呻いている私を見下ろす赤い瞳を見上げ、内心で悪態をついた。
体への僅かなダメージですらまともに身動きができないというのに、それに追い討ちをかけるように彼は覆い被さってきた。
本格的にマズいと思うと同時に寝間着の単衣の帯を強引に解かれる。外気に晒された肌から熱が抜け落ちていく。
――何故か、巫女様の姿が彼に被った。

「醜いわ」

背骨に恐怖が絡みつく。脳裏を幼いころの記憶がくるくると万華鏡のように去来した。畳に落ちる帯。肩を滑る襦袢。くしゃくしゃになった赤い振袖。全部過去のものであるのに、何故か目の前にそれが存在しているかのような錯覚を見た。息が詰まる。彼の手が、無造作に服を開いた。

「なに、を……!」

衝撃から漸く機能を取り戻した声帯が悲鳴のように聲を紡ぐ。
彼は依然としてひどく冷めた目でこちらを見下ろしている。露出させられた肌から、どんどん熱が抜け落ちていく。せめてもの抵抗と、肩を床に縫い付ける彼の手に爪を立てた。もちろんそんなものが効くはずもない。じたばたと足掻く私を嘲笑うように、服が床に散らばった。

彼はおもむろに空いている手を高い位置に持ち上げた。その指先に青白い光が灯る。チャクラ、だろうか。
――彼がしようとしていることを、察した。

「やめ……待って」
「お前にも、聞かれては困るものでもあるのか」
「ち、違う。違う。待って、お願い」
「久瀬の女には、あるんだろう」

それを確認したいだけだ。
彼が言った。
巫女様の笑い声が頭の奥で響いている。

「お前が神社で会った少年も、きっとこれを見たら醜いと思うでしょう」
――嫌われてしまうよ。

嫌だ。
厭だ。
ごめんなさい。
やめて。
お願い。
許して。
ごめんなさい。
ごめんなさい。

青白いチャクラを纏った手が腹に押し当てられる。
「やめろ」と、自分でも驚くほど鋭い声が喉をつんざいた。

内臓が熱を持つ。ごとりと心臓が動いた。圧迫されている腹部を中心に、全身へと熱が広がっていく。

それを追うように、肌を青い紋様が覆った。

『秘密にしてあげる』
そっと、記憶の底で聲が耳打つ。
『私たちの腹の中には、まじないがある』
見られてはいけない。
『まじないは、ややこに受け継がれる』
それは、人の世の「痛み」の象徴である。
『まじないは、悪いものを封じ込める為にある』
醜いとは思わないか。
『生まれることを許されなかった、ややこたちを眠らせるためにある』
成り損なった命の供養のためだ。
『巫女を、ややこを、眠らせるため、私たちは「母」として、まじないを孕まねばならぬ』
子どもたちは、神様のもとへなんか帰れないんだよ。
『久瀬の女は、生まれながらに「母」である』

――千草。
――醜いわ。
――嫌われてしまうよ。

「見るな!!」

悲鳴のような叫びを吐き出した。全身が熱い。頭痛い。巫女の聲が頭の中をくるくると風車のように回った。気持ち悪い。煩い。聲が煩い。煩い。赤子が。赤子が泣いてる。母を呼んでいる。耳を塞いだ。赤子が泣いてる。煩い。耳を塞いでもまだ聞こえる。煩い。煩い。煩い。やめて。見ないで。ごめんなさい。ごめんなさい。

「柊の、刺青か」

私の全身に浮かび上がったそれを見下ろし、彼は静かに呟いた。
巫女様が、嗤っている。


20121225
修正20121228




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