「秘密にしてあげる」

そう微笑んだあの人の顔を今も覚えている。

閉じられた瞼の向こうの瞳は、どんな色をしているのだろう。どんな声で言葉を紡ぐのだろう。どんな笑みを作るのだろう。閉じられたそれらが目の前でゆっくりと開いたあの日、私は禁を覗いた。
長い長い眠りから、決して覚めてはいけない眠りから、目覚めたあの人はそっと私に耳打ちした。

「世界は閉じた匣。久瀬はその蓋。死体は匣。身体は蓋。匣の外は悪いものがいっぱいだ。それを閉じるのが巫女の役目だよ」

お前とわたしは、匣の外の生き物だ。




ゼツさんとの修行は、楼閣内にある生簀の上を歩けるようにしろというものだった。体内で練ったチャクラを、足の裏に適量且つ一定に放出するのだと原理のみなら理解はできた。だが如何せん忍ではない私には、そもそもチャクラを練る感覚というものが全く分からない。見よう見まねで形だけの印は結んでみたが、印がどうチャクラに影響するだとか、印のひとつひとつにどんな意味があるかだとかは全く理解が及ばない。そんな状態で一度や二度、ましてや素人の私が一日でできるはずもなく、結局その日は生簀に4度落ちてずぶ濡れになって終わった。生簀にいた鯉たちが、私が近づいただけで逃げるようになってしまった。終わりにしようというゼツさんの言葉に迷いなくシャワー室に飛び込んだのは言うまでもない。

修行とは名ばかりの水没からシャワー室に駆け込むまでの一部始終を偶然イタチくんに見られ、廊下ですれ違うなり「少しは年齢を考えてください」とただでさえ冷めている視線に加え、憐憫の言葉をかけられた。

ばたばたと忙しなく動いているうちに、いつの間にか日暮れの時間になっていた。地下にある自室で横になりながら備え付けの燭台に灯りを灯す。
そういえば、大蛇丸さんが言っていた会合とは一体何時くらいを目安に始まるのだろうか。単純に0時と考えてしまっていいのだろうか。会合が最上階で行われるとなると、地下にあるこの部屋からはかなりの距離になる。辿り着く前に、終わってはしまわないだろうか。そんなことをつらつらと考えているうちに不意に眠気が首をもたげた。

……もし眠ったとしても、音が聞こえれば起きるだろう。
ベッドに身を投げ、そっと目蓋を下ろした。




「もうじき痛みは取れてくる頃だろう」
「……痛みならもうない」
「その割に、ずいぶんと優れない顔色をしているが」

関係ないか、と男は仮面の向こう側で笑った。万華鏡を開眼して以来、眼窩に鉛を詰め込まれたかのような倦怠感が居座っている。もちろん常時ではない。使うたび、と言った方が正しいのだろうか。ポケットへと無意識に忍ばせた指先が、目薬を握りしめた。硝子でできた小瓶のひやりとした冷たさに、現実感を伴う安堵感が沸いた。

――夢を思わせる不安定感は嫌いだ。自分の立ち位置が分からなくなる。いや、もしかしたら今も分からないのかもしれない。褒めてくれた父も、夕飯を作って待っていてくれた母も、自分の後をひたすらついてきた弟も、何もない。しかし朝目を覚ますたびに願ってしまう。もしかしたら、全て夢なのではないかと。もしかしたら、「いつも」が戻ってくるのではと。――もしかしたら。
そんな仮定に期待する思考が、嫌でたまらなかった。

「あの女を気に入っているらしいな」
「千草さんのことを言っているのか」
「あまり慣れ合うと、あの家の人間とは碌なことにならないぞ」
「それはあんただろ。久瀬の屋敷に頻繁に行ってると聞いた。千草さんも、あんたが気に入ったからここに連れてきたんじゃないのか」
「聞いた=H」
「千草さんが、あんたからは久瀬当主の声がたまに漏れ聞こえるんだと言っていた」
「!」
「それが嫌で最近あの人に会ってないんだと思った」

視線をドアの向こう側に向けながら言った。マダラ本人は細心の注意を払って彼女を避けていたのだろうが、この建物の中いるだけで聞こえるのだと、彼女は言っていた。ここに来てからの一週間は、基本的には常に暇そうに楼閣内をうろついてい久瀬千草の後を追って過ごしていた。彼女は存外話すのが好きらしく、こちらが何も聞かなくても勝手にひとりで話していた。
同時に、こちらから話さなくても彼女にはオレの生涯など筒抜けなのだろうとも諦めていた。隠すことができないなら、いっそのことすべて知らしめてやったほうが楽だ。彼女は自分が知った他人の情報を決して詮索しない。

マダラのように隠し立てすれば、それは彼女を恐怖の対象とみるのと同義だ。

「小娘ひとり扱うのにオレが苦戦してるとでも?」
「さあ。ただ、あの人は、あんたが好きだよ」
「……結構なことだな」
「あんたの話ばかりだ。あんたしか頼れなかったっていうのもあるんだろうけど」

まるで孵ったばかりの雛鳥だな。そうマダラは嘲笑した。

確かに彼女は組織内ではそういった保護を求める対象としてこの男を見ている。対してこの男は彼女を庇護の対象とは見ていない。危うい関係だとは思う。ただ、それでも成り立っている。それは彼女が自身の同胞への強い情を抱いているからだろうか。あくまでマダラを、「二の次」あるいは「何かの代替」として見ているからだろうか。それはそれで、面白い。

千草のような残酷な無垢さは、平和の弊害と言ってもいい。血生臭い戦場で生きてきた人間には無縁なものだ。
守るものも失う恐怖も取り立ててない人間は、常に代わりのモノで喪失を満たす。
家という帰る場所を奪われた彼女はまさにその置き換えをこの男で行うことで認知的不協和を解消したと思っても間違いはなのだろう。互いが互いを違う形で利用している。
……それが大人、と言えば大人なのだろう。それに。

「千草さんに会わないのか。あの人は会いたがってる」
「……気持ち悪い冗談を嘯く程度には回復したらしいな」

揶揄すると言っては失礼だが、こういう形でこの男に八つ当たりができる。本人は気付いているのかどうかは分からないが、この男は自分が思っている以上に彼女に対して苦手意識を抱いている。そんな彼女の親和のベクトルが自分にも迷いなく向けられている事実を突きつけてやるのは些か愉快だった。

「まあいい。ゼツから明後日に西のアジトに移動することは聞いたな。それまで写輪眼は使うなよ」
「使うような機会が訪れない限りはな」
「それと、休養と食事もきちんと取れ。兵糧丸だけで生き延びられるほど人間の体は巧くできていない。……死にたいなら、話は別だがな」
「……」
「まあいい。戻れ」

仮面の向こう側で一体どんな表情を浮かべているのか。赤い瞳が薄闇に光る。この男は、写輪眼を閉じることをしない。誰も謀ろうなどとしていないのに、其処まで他人が信用できないのか。――それはそれで、虚しいことなのだろう。
適当に言葉を残し、その場を去った。




意識が浮上したのは、奇妙なざわめきが耳元で囁いたからだ。蝋が尽きてしまったのか、燭台の灯りは消えていた。
ベッドから体を起こし、脳の覚醒をぼんやりと待つ。
――そういえば、会合があるんだったか。
ドアをこつこつと突く音が聞こえた。誰だろうか。
それに誘われるように体を引きずりながら私は部屋を出た。

「あれ」

ドアを開ける。しかし視界には、廊下の壁しか映らない。
首を傾げながら、ドアを閉めて廊下に出る。すると不意に足首にひんやりとした冷たさが肌を這う。ついぞ悲鳴が喉を突いた。視線を恐る恐る落とすと、蛇が足首にすり寄ってきていた。同時に蛇から聞き覚えのある声が零れ、それが大蛇丸さんの差し金をあることを悟る。ドアを突いたのはこの蛇だろうか。

「……ついていけば、いいのかな」

挑発的に赤い舌を覗かせ、暗闇へと這っていく蛇の姿を追った。




20121203
修正20121228




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