横になるとすぐに眠くなる。いくら暁に来てからの毎日を怠惰的に過ごしていたとはいえ、もう丑三つ時は回ったのだ。久瀬では規則正しく生活してきた。深夜帯に起きていること自体得意ではない。蝋燭の灯りの揺れを眺めながら、欠伸を噛み殺した。

眠いのなら眠ればいいと、イタチくんは言ってここを去っていった。時間がわからない以上、何ともいえないが、しかし日が沈みきった時間に、子どもが外を出歩くのは関心できない。13歳の少年が、迎えを待つ家族がいる子どもが、いくら忍とはいえ家を蔑にしてはいけない。血脈とは、無条件で他者と繋がることのできる確固たる糸だ。糸は望まれれば絆になり、呪えば重く自分を縛る鎖になる。血を呪いだという人もいるかもしれない。ただ、久瀬は血と親族を重んじる家系だった。
どんなに罪深い人間であろうと、その人に辿り着くためには長い糸がある。それは途方もなく遠い過去に伸びている。多くの人に繋がっている。今在る自分は、過去から紡がれてきた命の結晶なのだと、生まれながらに呪われた子も、望まれなかった子もいないのだと、それもまた、久瀬の教えだった。

「母さん」

そっと呟き、自身の耳を両手で塞ぐ。
母は、先代の「虚」だった。音を聞く力も持っていた。
たくさんの音を聞き、伝え、巫女を見守り、そして「虚」としての役目を終え息を引き取った。
そんな母から教わったこの耳の秘密は1つだ。
私たちは、いずれ音を失う。
音に苛まれ耳を塞ぎ、音を失い耳を塞ぐ。
私もいつかは、当たり前のように聞こえているこの音に苛まれる日がくる。そして、音は次第に閉じていく。記憶の中からも、耳からも、セミの鳴き声も、風鈴の音も、枯葉を踏む音も、炎が爆ぜる音も、雪が落ちる音も、祭囃子も――大切な、人の声さえ。
失えば二度と思い出せなくなる。
だから母は、私に音を伝えた。
私の両耳を塞ぎ、音を伝えた。

私はそれを、どうしても思い出すことができない。

目を閉じ、ゆっくりと微睡に浸っていく。
きっと、いつかは何もかも思い出せなくなるのだろう。
まるで雪の中に埋もれていくように、全て真っ白になって溶けていく。
それは、きっと恐ろしいことだ。




「巫女とは、代々この家で封じてきた災厄だ」
「どんなに時がたとうと、老いることも、腐ることもしない眠り続ける少女」
「彼女は生きている」
「鼓動を刻んでいる」
「眠っている」
「巫女守りは代を重ね、あの少女を見張ってきた」
「たくさんの女たちが担ってきた」
「だが、巫女は長い歴史の中であの少女一人だ」
「お前たち組織は巫女を利用したいのか」

老いた当主は呪詛を吐くように事実を紡いでいく。鋭い眼光はこちらを射抜き、曾孫への懸念に影を宿す。親族への情が厚い一族だ。優先すべきは、彼女の命だったのだろう。

「お前、うちはマダラと名乗ったな」
「だったらなんだ」
「小童が、あまり見栄を張るな」
「……ほう」
「誰のせいでこうなったと思っている。生きているなら、さっさと成仏させろ」
「検討しておこう」

暗く淀んだ目が宙を見据える。齢90を超えるこの老女は、実際その目で木の葉の創設者たちを見てきたのだろう。枯れ木のような手で湯呑の縁をなぞり、深く息を吐き出した。彼女の肌に深く刻まれた疲労と皺は、既に生きることを止めてしまったかのように温度も水気も感じさせない。

「私は長くない。最悪の時は巫女を道連れにすることはできよう。もう、時間がない。お前たちが千草を返さぬというのなら、私がやるしかあるまい」

巫女を殺すのか。そう問えば、彼女は嗄れた声で笑った。
それが何を意味するのか。知らぬお前が哀れだな。彼女はそう続けた。
暗く淀んだ瞳は、ふとしたようにオレの背後へと向けられた。

「お前はマダラじゃない」

不意に響いた声に、背後を振り返る。障子の向こう側を鈴を転がすような笑い声がパタパタと駆けていった。気配がなかった。何かの術か。

「千草は禁を覗いた」
「!」
「巫女が、完全に目を覚ます日は遠くない。残念だ」

部屋の中に、歌が響き渡る。童歌だ。
――かごめ、かごめ。
――かごのなかのとりよ。
――いついつであう。
――よあけのばんに。
――つるとかめがすべった。
夜明け、暁。
空気が氷のように冷たく張りつめた。

「後ろの正面、だあれ?」

千草に酷似した少女が、蜃気楼のように歪んで溶けた。




悲鳴が聞こえて目を覚ました。飛び起きるように体を起こす。どうやら熟睡してしまったらしい。自分が南賀ノ神社にいることを再認識し、ゆっくりとその場に立ち上がった。点いていたはずの蝋燭の炎は消え、視界は真っ暗だ。いつの間にかかけられていた黒い外套がパサリと音をたてて地面に落ちた。それを拾い上げながら、一度辺りを見回す。一体どのくらい時間が経ったのか。地下では日の動きも時間もわからない。
勝手なことをするのは気が引けたが、このままここにいることも不安でたまらなかった。
雑踏のように、遠くからたくさんの音が響いている。先ほど聞こえた悲鳴は、何だったのか。トビさんとイタチくんの会話を思い出し、背筋に氷塊が滑り落ちる。

「……大丈夫」

意を決し、手さぐりで壁伝いに歩を進めた。たぶん、もう夜は空けているはずだ。少しだけ戻って、様子を見て、何もなかったらここに戻ればいい。少しずつ、暗闇に目が慣れてくる。ここに来るときに降りてきた階段を見つけ、ひとまず上階に向かって歩き出した。

地上が近づいてきたところで、うっすらとした青白い明かりが射し込んできた。月明かりのようだ。まだ、夜なのか。それとも、私が夜まで寝てしまったのか。音はどんどん大きくなっていく。悲鳴や騒ぎ声がざわざわと脳髄を撫でた。
最後の一段を上りきる。畳によって塞がれていた地上と地下の境は、開け放たれていた。顔を出し、そっと様子を見る。途端に流れ込んでくる凄まじい雑踏に、後頭部を殴られたような衝撃が走る。それに小さく呻きながら、痛みをやり過ごそうと深呼吸を繰り返す。ずしりと重くなる全身に、体を引きずるように外に出た。
一体、何が起こっているのか。
トビさんはどこにいるのだろう。
此処は。
壁を支えに、覚束ない足取りで外に出る。
本堂の扉を開ける。

青ざめた月が照らす庭には、何か、赤黒いものがたくさん転がっていた。その向こう側にある鳥居は沈黙してこちらを見下ろしている。

それが何であるのか、一瞬では理解ができなかった。しかし風とともに鼻孔を突いた、粘ついた朱色の匂いに、胃が締め付けられた。

死体だ。
ひとつやふたつじゃない。
まるで樹から零れ落ちた枯葉のように、地面にはおびただしい量の血液と肉片が転がっている。饐えた匂いが胃液とともに逆流してくる。頭の中には、悲鳴だけが延々と響いている。
こらえきれずに、その場に吐いた。
吐瀉物の匂いと口内に広がる異臭に嗚咽を繰り返し、激しく咳込んだ。

「自分から出てきたのか」
「!」

背後から声が響く。
返り血を浴びたトビさんがいた。
真っ赤な瞳は、そこに血を注ぎ込んだように光っている。

「イタチ、終わったのならさっさと行くぞ」
「わかっている」

何が起こったのか。
2人が現れたと同時に、新しく聞こえた聲に事態を多少は理解することができた。
しかし悲鳴と会話の合間に聞こえた、すすり泣くような聲に、激しい疑問も頭の中で繰り返された。

「これが現実だ、久瀬千草」

トビさんが私の顎を掴み、視線を合わせ、呟いた。
濃厚な血の匂いと、頭の中をガンガンと打ち鳴らす無数の聲に、私の意識はそこで途切れた。


20121122
修正20121228




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