無意識に一歩だけ後ろに引く。こちらを睨む赤い瞳に委縮した。――それにより、トビさんと初めて会った時の記憶が這いずり出される。少なくとも碌な出会い方はしていない。あの赤い瞳は、好きじゃない。あれは悪い夢を見せる。肌が粟立つ。それを助長するかのように、聞こえてくる無数の不穏な音に固唾を飲んだ。彼は私と少年を交互に見る。仮面の向こうの瞳が笑っているように見えた。

「そう警戒をするな。この女は一応は仲間だ。後で説明してやる」
「勘違いをするな。オレはアンタを信用しているわけじゃない」
「まあいい。本題の前に――」

おい、とトビさんに呼ばれ、我に返る。そういえば、私はこの人に名前を呼ばれたことがない、などとどうでもよい事実がくるくると頭の中を旋回した。聞こえてくるたくさんの音のせいか、頭がぼんやりとしてきた。曖昧に、和音のように、幾重にも重なり合った音が形を持たずに流れ込んでくる。音から思考へと、べったりと張り付く得体のしれないどす黒い感情に、なんですか、と答える代わりに首を傾げた。

「今は何が聞こえる?」
「えっと、さっきと特に変わったものは……。雑音みたいにたくさん聞こえてて、ひとつひとつはうまく聞き取れないです」
「……」

赤い瞳が細められる。不意にこちらに伸びてくる彼の手に、反射的に身構えた。手のひらが額に押し当てられる。途端に、聞こえていた音が明瞭になった。男の声だ。声を潜め、秘め事を吐き出すように、言葉が宙に散る。囁くように響く声に、息が詰まる。

――南賀ノ神社本堂。
――右奥から7枚目の畳の下。
――一族の集会場。
――うちはの秘石。

「聞こえたか」
「!」

その声に、怯えるように身を引いた。
何を、した。
あまりにはっきりと聞こえた音に、何故だか恐ろしくなった。今まで聞こえていた音は、いつもどこかぼんやりとしていて曖昧だった。その雑音の中に、たまに明瞭な単語が浮かび上がる。こうもはっきりと聞き取ってしまうことは今までなかった。彼に触れられた額に触れる。

「チャクラの流れを変えただけだ」
「え……」
「お前は音を聞くとき、不必要なまでに耳にチャクラが集中する。だから余計な音まで拾い、はっきりと聞こえないんだ。だから外からチャクラを流して集中し過ぎたチャクラを分散させた。それだけだ」
「チャクラ……」
「あとでコントロールの仕方を教える。それより何が聞こえた」
「ここの神社の本堂の、右奥から7枚目の畳の下に集会場と、秘石が」
「問題ないな。行くぞ」
「!」

その前に、この少年の説明をしてはくれないのか。未だこちらを睨む少年の瞳に、彼の後をついていくことに気が引けた。
まだ、12歳か13歳くらいの少年だ。大人びた雰囲気だが、かすかに顔立ちに幼さが残っており、どことなく脆く危うい印象を受ける。少年からは相変わらず絶えず音が零れている。兄さん、と呼ばう声が聞こえ、この子に弟がいることだけぼんやりと認識した。同時に、先ほど鳥居をくぐる前に聞こえた不穏な会話がこの子の音であることを思い出し、ひどく嫌な予感が胸中にシミを打つ。
私を一瞥し、トビさんの後を追う少年の背中を見つめ、間を置いて私も歩を進めた。




聞こえた声の通りに、彼は本堂の中を進んでいく。右奥から7枚目の畳をめくった先にある、冷たい石畳の下り階段を下りていく。真っ暗かと思っていたが、気が付くとその空間は蝋燭の橙色の灯りに包まれていた。湿った土の匂いがする。ひやりと肌に張り付く冷たい空気に、息を呑んだ。いくら蝋燭が点いているとはいえ、心もとない小さな灯りが照らし出せる範囲は決まっている。決して良いとは言い難い視界に、ついトビさんに張り付くように歩く。腕がぶつかるたびに、「歩きにくい」だの「離れろ」だのと非難にも似た言葉が耳朶を突いた。少年は歩いている最中、終始無言だった。
そうして辿り着いた、四方に広がる大きな部屋で立ち止まる。突き当りの壁には不可思議な文字らしきものと団扇をあしらったような絵が描かれている。その壁に面するように石碑が存在していた。

「その女は久瀬の躯だ」
「!」

壁に背を預けながら、彼は少年に向かって言った。前触れのない一言に、自分に投げかけられたわけでもないのについ肩が跳ねる。少年は訝しげに眉をひそめ、トビさんに言葉を返した。

「……久瀬で神隠しがあったと、里に噂が出回っていた。そういうことか」
「さっきも言ったが、そいつは組織の一員だ。それなりに穏便に話はつけたはずだが」
「……」
「そいつを使えるようにしたい。この件でそれを見極めるつもりだ」
「殺しを利用するのか」
「利用ではない。現実の有様を知るだけだ」

少年が私を見る。まるで憐れむようなその目に、あまり良い気分にはならなかった。正直、実際に彼が何をしようとしているかはわからない。ただ、それが非道徳的であるのは想像つく。

「明晩、オレは刑務部隊を先に片付けよう。いくらお前といえど、あれをやるにはまだ無理がある」
「……」
「それ以外は勝手にやらせてもらう」
「約束は忘れてないだろうな」
「安心しろ。うちはサスケと里には手を出さない」
「……」
「せっかくだ。信用できないならこの女を人質にくれてやる。オレが勝手を起こすと判断したら殺せばいい。こちらとしては殺されては困る人間ではある」
「!」

不意に肩を掴まれ、少年の前へと突き出される。そのまま突き飛ばされ、バランスを崩してふらつきながら少年の足元に倒れこんだ。何をするんだと非難の視線を向けるが、蝋燭しか灯りがないこの空間では、仮面をつけた彼の表情など全く分からない。彼は私と少年に順に見た後、「明晩、また会おう」と言ってその場から消えてしまった。
私と少年だけが、その場に残された。




「大丈夫ですか」
「ありがとう」

彼が消えた後もその一点を見つめてぼんやりとしていた私に、少年が手を差し出した。私には不意打ちで、とっさの対応につい戸惑ってしまった。しかし彼の纏う雰囲気に敵意がないことを感じ、素直に差し出された手を取り立ち上がる。自分よりも頭ひとつぶん低い位置にある瞳は、赤ではなく黒になっていた。

「……あの男に利用されているのか」
「!」
「忍では、ないように見えたから」
「うん、忍ではないよ。でも、利用されてるかって言われると……いや、やっぱり利用されてるのかなあ」

そんなことを言われても困るだろうに。苦笑混じりに口にした私に、彼は困ったように眉を下げた。
最初は怖い子だと思っていたが、どうやら思い過ごしらしい。
トビさんがこの場から姿を消してから、少しだけこの子の空気が和らいだ気がした。

「えっと、イタチくん、でいいのかな」
「ああ。貴女は」
「久瀬千草」
「千草、さん。悪いが、疑っているわけじゃないが、信用もしていない。明日、事が終わるまでここで大人しくしていてください」

信用していない。当然といえば、当然だろう。初対面の人間であり且つ、この子は忍だ。抑揚に欠けた声音で言葉を紡ぐ姿に、苦笑しながら頷いた。

「なんだか、ごめんね」
「何故謝るんですか」
「なんとなく」
「……」
「それより私は大人しくしてるから、お家に帰った方が良いよ。弟が待ってるでしょ。お母さんがせっかく作ってくれた夕飯が冷めちゃうよ」
「!」

私の言葉に、彼は目を見開く。次いでマダラか、と小さく呟いて、彼は目を伏せた。

「貴女はどこまで知ってここまで来たのですか」
「何も。ただ、私の耳がどれくらい使えるのか見るだけだって、言われただけだから」
「これは不本意だと?」
「でも、仕方ないかな」

私は、まけてしまったから。

「?」
「イタチくんは、どっちなのかな」

まけてくやしい、はないちもんめ。
かってうれしい、はないちもんめ。


――あのこが欲しい。


「はないちもんめの話だよ」


人を買って人を得る。
人を飼って人を売る。
いちもんめは命の重さであり単位だそうだ。
子供たちは取捨選択される。
その戒めの歌だ。
「死」を尊いものとし、重んじる久瀬では、それは不浄だと、忌々しいものだとされてきた。だから、忍を毛嫌いしている人間が多いのだ。

この子も、組織に買われて飼い殺しにされるだけだろうか。



20121122
修正20121228




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