▽欠乏を軸に結論は出される

『死にたくないなあ』

それが『彼女』が、ツユキが僕に伝えた最後の言葉だった。
霧の濃い宵闇の中で、血と涙を流しながら、彼女は静かにその生涯を閉ざしていった。野次馬のざわついた声がひどく不快だったのを覚えてる。煙ったような視界で、ツユキの顔が歪に歪んでいく。鬼たちが彼女を取り囲んで嗤っている。
やめろ。
あっちに行け。
彼女の身体から餓鬼を振り払いながら喉をひきつらせた。
ただ、そこから数日の間の記憶がずいぶんと曖昧だった。

唯一わかっているのは彼女はそう言ってた割にすぐに逝ってしまったことだ。
救急車を呼んだのに、彼女はその時点ですでに手遅れだったのだ。体にポッカリと穴があいた。そんなに早く逝ってしまうなんて、一体どうするというのだ。
ついこの間のように、出会ったあの日が思い出される。
過ごした全てが幸福だとは思わない。
『彼女』を負担に思うこともあった。
それでも僕は受け止めないわけにはいかない。この現実を生きなければならない。わかっている。わかっていた。しかし、過ごした日々を失いたくはなかった。
失われるわけではないのに、どうしても信じたくない自分がいた。
それに君のポケモンは。
そうだ、君を必要としてるジュペッタたちは。
そう思うと、もしかしたらまだ近くにいるかもしれない、そんな気がしてならなかった。
矛盾していることも、わかっていた。

それから数日間。記憶に曖昧な部分は、きっと彼女を探していたのだろう。
彼女が大好きな菖蒲の花を携えて、ひたすら辺りを探し回った。家に戻ったら、生前『彼女』がこの家に来た時にそうしていたように、お茶やお菓子を用意して縁側に座り込んだ。もしかしたら、ここに来るかもしれない。そして同時期、不思議なことが起こるようになった。
毎晩同じ時間に非通知の電話がかかってくるのだ。それも、彼女が死んだ時間だった。

ああ、やはりいるのだ。

まるで何かに取り憑かれたように探し回った。きっとどこかにいると信じて疑わなかった。手に持った菖蒲の花が枯れる。それすら、気付かなかった。
そして知ってしまった。

20時37分。
街の片隅にある電話ボックスだった。
そこには、彼女のジュペッタがいた。

途端に全身の力が抜けた。憑き物が落ちたような気分だった。彼女のジュペッタは、ボロボロ涙を零しながら電話をかけていた。どこで覚えたのかは知らない。もしかしたら、もとになった人間にモノが残っていたのかもしれない。しかしいたずらや、遊びではないのはすぐにわかった。この子は、主人を亡くしたことを認めたくなかったのだ。いつか主人の存在を忘れ去られてしまうのではないかと、恐れていたに違いない。だから生前彼女がよく携帯や自宅の電話でかけていた番号にかけていた。

どうにもならないことはわかっていたのだ。でも、どうしようもなかった。ジュペッタを連れ帰って、それを『彼女』とした。もともとぬいぐるみに人の思いが宿って生まれるポケモンだ。ジュペッタをそう思うには、それは良い理由だった。

少しずつ、僕の中で何かが捻じれていく。

それから彼女の49日もあっという間に過ぎ、数ヶ月が経つある日のことだ。
人伝にホウエン地方から帰ってきた人がいると聞いた。ホウエンと言えば、ジュペッタは元はその地方のポケモンだ。胸がざわついた。不安なのか期待なのかはわからない。ただ、予感があった。

そして彼女と同じ名前のツユキさんに出会った。

帰ってきたんだ。『彼女』が『ツユキ』が帰ってきた。しかし目の前にしたその人は、全く別の人間だった。知らない他人だった。僅かに似てるような気もしたけれど、やはり別人に過ぎないのだ。

『彼女』はもういない。

当時実感もなにもなかったのが、急に明瞭な寂しさとして突きつけられた。彼女の情景が一気に遠退く。寂しい。悲しい。寂しい。わからない。寂しい。
体に空いた穴が更に広がるような錯覚に、必死に目をそらし続けた。あの人はツユキさん≠セ。別の人間だ。違う人。彼女≠ヘここにいる。いつしかそれは妄執になっていった。
意味もなくむしゃくしゃして、訳もなく悲しくなった。必死に一人で作り上げてきた、つぎはぎだらけの現実の重みにたえられなくなった。

――壊れる。

思った時には体中が痛みを訴えていた。限界だった。そして意識を手放し、今、病院にいる。


一息ついて終えた僕の話を、ツユキさんはただ辛そうに聞いていた。







20100309
修正20110109
再修正20130109




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