カラリと静かに澄み渡る空は、寂れている。

思考にはどうしようもない虚しさが浸透していった。あの日から何度も再生される、寂しげな瞳、悲しげな笑顔、菖蒲の花、墓前、あの人。私はあまり記憶力がいい方ではない。なのにそれは日が経つにつれ輪郭をぼかしつつ、しかし明瞭な悲しみを称えて心臓に焼きついていった。ジリジリと、何かが焦げて崩れていく。
ふと、ラルトスが勝手にボールから出てきては、不安げに声を上げる。それに大丈夫だと返しながら、彼のもとに向かうべく歩を進めた。



▽14

着信履歴
・02/28 20:37
非通知(不在着信)
・02/26 20:37
非通知(不在着信)
・02/25 16:08
ミナキ君
・02/23 20:37
非通知(不在着信)
・02/21 11:26
リーグ本部
・02/20 20:37
非通知(不在着信)

以下数日置きに非通知の着信が続いた。携帯の画面を眺めて深く息を吐き出した。ベッドで死んだように眠るマツバの姿に、白い壁に囲まれた病室は、不気味なまでに静まり返っている。一時的に意識は取り戻してはいたが、やはり身体はひどく弱っているらしい。今日は朝食時以外、ずっと眠っているらしい。眺めていた携帯から視線を外し、携帯を近くの棚の上に置く。その時のカタンという小さな音に、彼女の肩は怯えたように大きく震えた。

マツバの異変に気がついたのは、昨日の夕方に彼を訪れた時だった。昼間に彼の親戚であるタマオに会い、今朝見たときに随分と顔色が悪かったのだと軽い相談を受けたのだ。彼の顔色など『彼女』が亡くなって以来良かったことなどほとんどない。
しかしその日は一段とひどい顔をしていたのだそうだ。
それがきっかけで彼のもとへ向かった。

辿り着いた彼の家では、どことなく異様な空気を孕んでいたことを覚えている。見慣れているはずの門構えも、玄関も、広い座敷も、何故かその時は妙な離人感と不安感を伴っていた。
声をかけるが返事がなく、私は躊躇いながらも家の奥を目指した。
するとゲンガーがない切羽詰まった様子で現れたのだ。そのまま彼に誘われマツバの部屋に向かった。

愕然とした。
部屋の中は、暴れたのか何者かの襲撃があったのかはわからないが、雑然と散らかっていた。襖は破れ、花瓶は割れ、書類が畳を埋めていた。癇癪でも起こして暴れたのだろうか。それとも、何かが。どちらにしても、その結果は陰惨だ。
何よりも戦慄したのが、マツバが青ざめた顔でその中心に倒れていたことだった。急ぎ病院に向かい今に至る。

検査の結果、彼は栄養失調を起こしているとのことだ。ここ数日まともに食事もとっていない。何故こんなになるまで気付かなかったんだ。医者の責めるような言葉は、しかし頭には入ってこなかった。
ただ話が終わったあとに、彼が終始握っていたという携帯を看護婦から渡された。その時、開いていたのが着信履歴の画面だった。

(数日置きに同じ時間に非通知の電話)

息を飲んだ。その時間には見覚えがある。それは『彼女』が事故にあった時間とほぼ同じなのだ。得体の知れない感情が込み上げ、鳥肌が立つ。
ようやく彼の奇怪な言動の意味がわかった。まさか、という恐怖と、いたずらだとしたらあまりに質が悪いという怒りがこみ上げた。
だがこれは確実に後者だ。非通知ということは電話ボックスだろう。マツバは『彼女』の電話番号を登録している。万に一つ『彼女』だとしても電話ボックスからそんなことをする理由がない。そもそも『彼女』自身がそういう人間でないことは知っている。

ふとため息をついて、先ほどからずっとマツバを凝視しているツユキを見た。彼女に連絡をしたのは、要らぬお節介だっただろうか。ほとんど無意識に彼女にも連絡が必要だと判断してしまったが、彼女自身にここまで深く関わる意志があるとは限らない。
失念していた。
彼がジュペッタに『彼女』を見ているのなら、私はツユキに『彼女』を見ているのだはないだろうか。

ふと顔を上げる。
あれこれ考えているうちに、時間はあっという間に過ぎてしまったようだ。日が傾き始めている。そろそろ彼女は帰らないと家の人間が心配するはずだ。

「ツユキ」
「私」
「!」
「今日は、病院に泊まります」
「すまない、そういうつもりでキミを呼んだ訳じゃないんだ」
「大丈夫です。わかってます。私は、ただやっぱり心配で」
「……」
「何だか連れて行かれてしまいそうで……」
「……ああ」

何に。わからない。ただ、何故だか彼女の言葉が納得できてしまった自分がいた。




▽欠乏の考察

ミナキさんが去った後、私はただ茫洋と宙を眺めていた。ふとしたように視線を落とせば、ビクともせずに眠り続ける白い顔がある。蛍光灯を浴びて透明にも映る肌の色は、生気というものがひどく乏しかった。腕には点滴のチューブが繋がっている。その腕すら、折れてしまいそうなほど白く細い。僅かな力でも、それは簡単にどこかに引きずられていってしまいそうだ。
頭の中で、黒い影が彼に纏わりついて深い井戸の底へと連れて行ってしまうイメージがドロリと吹き出す。

心臓が締め付けられるような錯覚に、手のひらをきつく握った。


▽15

それから少しして、私はどうやら寝てしまったらしい。次に目を覚ましたときには、病室は真っ暗になっていた。カーテンの隙間から差し込む月明かりすら青白く不気味だ。
一度大きく伸びをして、カーテンを閉め直そうと立ち上がった。
……家に連絡をしていない。これでは、きっと叔母さんたちに迷惑をかけてしまっているだろう。

カーテンに手を伸ばす。同時に何かが視界にチラつく。それに思わず静止した。ゲンガーだろうか。ベッドで眠るマツバさんの顔を眺めながら、首を傾げる。
部屋の陰から真っ赤な瞳だけが浮き上がり、キロリと蠢いた。ゾッとし息を飲む。しかし平静を装い口を開いた。

「ゲンガー?」

問いかければその目は私を捕らえる。途端に全身に走った寒気に、一瞬にして思考が恐怖に呑まれた。
違う。ゲンガーではない。
カーテンがふわりと風もなく舞い上がる。窓の向こう側で、真っ黒な鳥のシルエットが浮き上がった。反射的に窓から離れる。鳥とも獣とも言えない鳴き声が頭蓋の内側で響き渡った。
すると陰からはそれよりもひと回りは小さい影が宙に浮かび上がる。恐怖のあまり数歩後ずされば、背中に壁の冷たい感触が伝わった。その冷たさが一層恐怖を煽る。

「!」

ジュペッタだ。一瞬だけ呼吸が止まる。陰から現れたそれは宙を旋回し、ゆっくりとこちらに向かってくる。固唾を飲みそれを凝視した。暴れ狂う心臓を押さえ込むように胸元を押さえては、ラルトスが入ったボールに手を伸ばした。

しかしそれも唐突にかかった声により遮られる。


「その子は人見知りなんだ」
「!」


マツバさんだった。
いつの間に起きたのか、青ざめた顔のまま上体を起こし、疲れきった表情で私を見ている。それに緊張からかすれた声で名前を呼べば、彼は再度「ごめん」と謝罪を繰り返した。

「ジュペッタ、おいで」
「!」

穏やかな顔で彼は言う。ポケモンは宙を移動し、彼のもとへ行った。同時に彼が「ジュペッタ」という単語を口にしたことに違和感を覚えた。前に会った時は、『彼女』と呼んでいた。彼はそれを決してポケモンとしては呼ばなかったのに。私が困惑の表情を浮かべるのにも構わず、彼は視線を私からそらして目を細めた。

「ずっと、其処にいたのか」

彼は窓に映る鳥の影に仄かに笑いかけた。鳥はただじっとこちらを見ている。
ジュペッタがふわふわと彼の膝の上に場所を落ち着け、小さく鳴いた。
すると彼は、それに答えるように
笑って言った。


「この子は、『彼女』が残していったポケモンなんだよ」




20100309
修正20130115




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