▽13

翌日、昨日の不可解なことなど忘れ、マツバさんのもとへ向かうべく気持ちを入れ替えようと朝食の手伝いや部屋の掃除に励んだ。マツバさんのもとへは、お昼過ぎを目安に向かおう。そんな一日の計画を立てながら、私は家で時間を適当に潰していた。

それから私のポケギアが鳴り出したのは、マツバさんのもとへ向かおうと外へ出てすぐのことだった。腕に抱えたラルトスを一度足元に下ろし、着信画面を確認する。――ミナキさんだ。すぐに通話ボタンを押そうと動いた腕に対し、指先が躊躇うように、強張る。一瞬だけ呼吸を止め、そっと通話ボタンを押した。受話器の向こうからは、いつもと変わらない声が響いた。

「もしもし」
「ツユキか、私だ」
「ミナキさん、お久しぶりです。どうかしたんですか」
「ああ、いや、最近キミを見なかったからな。なんとなく気になっただけだ。……マツバにも、会ってないんだろう?」
「まあ」
「そうか、いや実は、マツバが入院してな」
「え」
「貧血やら胃潰瘍やら栄養失調を起こして倒れたんだ。無理もないと言えば、まあないが」

何の前触れもなく彼の口から飛び出した言葉に、私はひどく間の抜けた声を上げた。
マツバさんに会わなかったのは、ほんの3日間だ。その間に一体何があったのか。そう思う反面、常より青白い顔をした彼に、予感をしていた節があった。えは、しばらくはジムも講習も休業だろうか。彼の生徒はさぞがっかりするだろう。そう思う反面、彼が入院したと聞いて安堵してる自分もいた。
――病院なら、常に医師や看護師の目がある。
彼があれ以上に生気を削ぎ落とすことも、精神を擦り減らすことも今までほどはないはずだ。少なくとも、体調面は健康に向かうべくの処置がされるはずである。まるで言い聞かせるように都合の良い見解を並べていく。

頭の片隅では、黒くくすんだ不安感が首を擡げていた。
しかしここで不安になってしまっては、きっとマツバさんを信頼していないことになる。マツバさんなら、きっとまた帰ってくる。
このまま、『彼女』の後を追ってしまうなんてことはないはずだ。

そんなことをつらつらと考えていると、ミナキさんの不安げな声が受話器の向こう側から響いた。

「大丈夫か」
「あ、はい、すみません」
「ひとまず、報告だけでもしておこうと思ってな。……あまり、気には病むなよ」
「はい。……あの、マツバさんは、大丈夫なんですか」
「今は意識も戻っている。一週間後には退院する」
「そうですか、良かった」

吐息と共に吐き出した言葉に、ミナキさんは小さく笑った。一方で発露した不安は、こんこんと泉のように湧き続けていた。妙に落ち着かない。足元のラルトスがそれを敏感に感じ取り、私の靴の爪先を突いた。

「あの、お見舞いとか、面会はできますか」
「ああ、一応できるが」
「明日とか、いきなり行ったら迷惑になりますか」
「いや、来てくれるのは有り難い。マツバも喜ぶ。私も明日マツバを見舞う予定だ」
「じゃあ、明日、病院に伺いますね」

時間を告げ、マツバさんが入院している病室を聴き、適当に言葉を交わした後に通話を切った。そうして足元のラルトスを今一度抱き上げ、腕に抱えた。離しながら適当に歩いていたせいか、スズの塔の近くまで来ていたらしい。
――帰ろう。
空には深い藍色が滲んでいた。それを見上げ、私は踵を返す。

冷たい風が肌を掠めた。何か、背後に気配を感じて立ち止まる。つい足を止め、振り返るが、辺りに人影はない。気のせいだろうか。きっと、最近は変に家に籠っていたせいで、感覚がずれてしまったのだ。言い聞かせ、止めていた足を再び動かす。

同時に、何かの鳴き声が鼓膜を突いた。金属を擦ったような、嫌に甲高い音だった。鳥だろうか。ばさばさという羽音が響きわたる。黒い羽根が視界の片隅を滑り、地面に横たわった。烏か。足元に落ちた羽根を見下ろし、肩の力を抜く。
ラルトスが鳴き声を上げた。
それにつられるように顔を上げる。
目の前の紅葉の木には大きな鳥がいる。
首が細く長い。
鶴のようだ。
しかしその羽毛は夜の闇よりも深く黒く、艶やかだ。
頭部の形が奇妙だ。
一体何の鳥だ。
鳥がこちらを見た。
真っ赤な目玉が、硝子玉のように私を映した。

「あ……」

喉に、声が絡みついてうまく出せない。
それは鳥の形をしている。
しかし鳥ではない。
鳥のようなものは、私を見て笑っては呟いた。

『死にたくないなあ』

ばさりと音が響き、次の瞬間には鳥の姿はなかった。代わりに、あのジュペッタがそこにいた。宙を旋回し、空気に溶けるように消えていく。
しばらくは地面に足を縫い付けられたように、そこを動くことができなかった。
しかし我に返ると同時に、私は走って家に帰った。

真っ赤な目玉が、頭から離れない。





修正20130112




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