▽9

もう何度目になるのか。慣れてしまうには悲しいその道は、今では記憶に焼き付いて離れない。腕に抱えた菖蒲の花を眺め、次いで斜め後ろを歩くツユキを見る。少し無理矢理だとは思っていたが、茶屋で話を終えた後、『彼女』の墓参りに行くことを誘った。ただ先ほど話したことが尾を引いているのか、その面持ちは暗かった。

ふと、視線を彼女から腕に抱えた菖蒲に向ける。日の光を艶やかに反射する紫紺の花弁は、マツバの瞳を連想させた。それは生前『彼女』がよく口にしていた言葉でもあった。
そういえば、菖蒲の花言葉は何だったか。
ずいぶんと前に『彼女』が言っていた気がする。そしてそれをマツバはひどく気に入っていた。だから『彼女』はマツバを訪れる時に菖蒲を持参していたことが多かったし、『彼女』自身も菖蒲の花が好きだった。彼の部屋には、よく菖蒲が飾られていたと思う。

「あの」
「何だ?」
「いいんでしょうか。その、私が勝手にお墓参りについて行ってしまって」
「気にするな。私が独断でやっていることだ」
「……」

その瞳はただじっと足元を見つめている。当事者たちなしで部外者が干渉しているのだ。引け目を感じてしまうのも無理はない。遠慮がちに数歩後ろの位置と距離感を守ろうとする姿に苦笑した。
そしていつの間にかボールから出していたらしいラルトスを彼女は抱き締め、ただ黙って自分の後をついてくる。
歩を進めるたびに揺れる菖蒲の花弁が、時折はらりと散った。それに合わせふと思い出す。
ああ、そういえば吉報≠セったか。消息≠ニも言っていた。あとは、何だったか。後一つくらいあった気がする。
ぼんやりとそんなことを思いながら、ゆっくりと歩いていく。結局目的地にたどり着くまで思い出せなかった。

菖蒲の花言葉は、何だったろうか。




▽矛盾する哀歓

冷たい墓標がただ視界を埋めるそこは静かに死を孕んで眠っている。スズの塔やスズネの小道もどこか浮世離れした空間だか、エンジュの墓地もまたどことなく現実味のない空気を孕んでいる。死者を司る場所というのは、生者の来訪を待つ一方で拒んでいる。ここに来るたび、そんな気持ちにさせられる。

あ、と声を上げて彼女は立ち止まった。辿り着いた先には、予想外の先客が佇んでいる。愛嬌のある赤い大きな瞳がこちらに向けられ、それは元気な鳴き声を上げた。

「ゲンガー……」

彼女はどこか呆然と寄ってきた影に呟く。次いではっとしたように辺りを見回し、深く息を吐いた。心なしか顔が青く見えた。マツバがいると思ったのだろうか。しかし辺りに人影はなく、ここにいるのは本当にゲンガー一匹のだけのようだ。もっとも、ゲンガーを見る限りマツバもほんの少し前まではここに来ていたに違いない。

「!」

マツバがここに来た=H
ふと、何かが胸に引っかかった。途端に広がる違和感に嫌悪感にも近いものが背骨に絡みつく。
それでは、おかしいのだ。
そうだ。何故。彼は『彼女』の葬儀にも姿を見せなかった。それどころかジュペッタを『彼女』だと思い込んでいる。彼は『彼女の死』を認めていない。だというのに何故、墓参りに来る。

一人困惑しその場に立ち尽くせば、ツユキが不安げにどうしたのかと口を開いた。それに何でもないと首を振り、持ってき菖蒲を供えようと墓前に行く。
しかし私は、目の前の光景にただ立ち尽くすしかできなかった。

「誰か先に来てたみたいですね」
「あ、ああ」
「これも菖蒲。この方は菖蒲が好き、だったんですね」
「……」

先客の存在にまさか、と抱いていた懐疑の念が輪郭を取り始めた。墓前にはすでに菖蒲の花が供えられていた。
自分以外の誰かが菖蒲の花を供えていたのは初めて見る。いつも花が飾ってあったとしても、白や黄色の名も知らない花だ。『彼女』の身内もまたそういった花しか持ってきていない。偶然とは言い難い何かがあった。
詰まるところ、菖蒲が好きだからと花を持ってくる人間は限られているのだ。そしてそれは私を除いたとき、一人しかいない。

「何故」
「ミナキさん?」

花が腕から滑り落ちた。パサリと音を立て、また花弁が数枚散る。それに唇を噛み締めた。散った花弁が連想させる瞳を持つ彼に、どうしようもなく苦しくなる。

矛盾している。
矛盾しているのだ。

これは間違いなくマツバが持ってきた花に違いない。彼はゲンガーと共に墓参りに来たのだ。
『彼女』の死を否定する彼が、ここに来たのだ。
そう考えたとき、辿り着く結論はひどく悲しいものになる。

「マツバはもうとっくに認めているのか」

『彼女』はいない。生きては、いないと。
だからこそだ。あの眼は死者を写す。だから彼はがむしゃらに『彼女』を繋ぎとめようとしているのだ。そうまでして執着しているのか。だとしたらあのジュペッタは本当に『彼女』なのだろうか。だがそんな薄気味悪い話があってたまるか。あってはいけないことだ。

何より彼は、今にも泣き出しそうなほど寂しげに笑うのだ。

「ミナキ、さん?」
「君は菖蒲の花言葉を知っているか?」
「えっと、確か『吉報』とか、『信じる者の幸福』とか」

あなたを大切にします

失って嘆きもせず、しかし留めても喜びもしない。それは大切なものを亡くしたことに、戻らないことに気付いているからだ。それでもなおそうする彼は矛盾している。

矛盾している。だが。

彼を壊すには、その想いの対象が充分過ぎる存在だったのだ。






20100303
20101003:修正
20130109:再修正




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