▽7

ただ黙って話を聞いていたツユキというは、――『彼女』と同じ名前の女性は、痛みに耐えるように唇を噛み締めていた。視線は斜め下を見つめていて、かすかに肩が震えている。
正直、彼女にこのことを話して良いものか今でも悩んでしまう。だが彼のあの様子を見てしまった以上、無知でいるわけにはいかないだろう。何も知らない彼女が、あれを見てマツバと何事もなかったかのように接することができるかわからない。いや、だからといって真実を知った彼女が変わらずに接することができるとも限らないのだが。
しかしよく考えたらツユキがマツバと出会って1ヶ月、この事実を知らずに過ごしていたことの方が驚きだ。彼はよくあのジュペッタを傍らに置いている。それがこの1ヶ月は外に出していなかったのだ。今まで彼があのポケモンを連れている姿を見るたびに抱いていた悲愴感もここ最近はなかった。その事実に僅かな安堵を抱いている。もしかしたら、と。
……それに。
ツユキは彼女に少しだけ似ている。彼女の身代わりだとか代役とかではなく、ただ単純に外での人間との出会いが彼にいい影響を及ぼすのではないか。今向かいに座る女性に対する僅かな希望は、けれども今話した事実でどう変わるのか。どちらも誰もわからない。そのたびに痛感する非力さにいつも苛まれるのだ。
冷め切ったお茶を眺めて小さく吐息をついた。

「私は君がどうするかを強制はしない」
「……」
「だが、これだけは知っておいてほしい」
「……」
「マツバは、純粋過ぎたんだ」

あのジュペッタが彼女のものにしろ、偶然迷い込んできたただのポケモンにしろ、マツバの言う通り『彼女』にしろ。
彼は寂しいだけなのだ。いつも傍らにいたはずの人がいなくなるのに恐怖を覚えているだけだ。彼がジュペッタを『彼女』だと言い切ることに、どうか狂気を前提にしないでほしいと願う。その根底にあるのは、愛情に飢えた悲しい過去だ。

それに純粋さとは時には人を破滅に導く。彼がこのまま彼女が亡くなったことを受け入れられずに過ごすことは彼自身を蝕むだろう。
純粋に彼女を失いたくないから、一緒にいたいから、寂しいだけだから。
その思いが本来あるべき倫理から外れてしまうことは明白だった。

このままでは何もかもが駄目になってしまう。漠然とした不安は、知らず知らずのうちに自分自身も蝕んでいた。



▽8

彼女はおもむろに冷めたお茶が入った湯呑みを両手で包む。視線は依然としてテーブルの一点を凝視したままだ。そして僅かに視線をさまよわせた後に、ゆっくりと視線を持ち上げる。どこか悲痛なところがある瞳に、自分の顔が反射して見えた。

「ミナキさん」
「……」
「私は、どうすれば」
「……」
「どうすれば、いいんですか?」

吐き出された問いはひどく重く、思考に浸透していく。自分が今マツバの過去を話したのは、別に彼を救ってほしいだとか、失ってしまった彼女の代わりになってほしいだとか、そんな仰々しいことではない。ただ単純に知っておいて欲しかっただけだ。これ以上友人を奇異の目に晒したくはなかった。彼女が恐怖を抱いて彼のもとを去れば、彼は少なからず再び傷つくだろう。彼にこれ以上の重荷を、架したくはなかったのだ。

僅かな沈黙が流れ、彼女は自分から視線を外す。湯呑みを見つめて、ギュッと両の手のひらを握り締めていた。きっと混乱させてしまったに違いない。出会って1ヶ月そこそこの人間の不気味な過去を押し付けられて、平静を装える方が難しい。
やはり話すべきではなかったのだろうか。
無性にいたたまれない気分になり、無意識に「すまない」と唇が紡いだ。それに彼女は弾かれたように顔を上げ、ひどく困惑した表情を浮かべる。それにますます罪悪感が増した。
今一度謝罪を口にして、静かに席を立とうとする。同時だった。


「ミナキさん」
「!」

意を決したように発せられる声は、鋭く響いた。向けた先にある瞳はさまざまな感情が混沌し、ゆらゆらと揺れている。

「私は正直親もいるし、ホウエンには友達もいます。だから、マツバさんの苦しみは想像するしかできません」
「ああ」
「それに、本当は少し怖かったんです。マツバさんが、あのポケモンを連れてるのを見たとき」
「……」
「ミナキさん、私はトレーナーとして弱いし、頭も良くないです。おまけに、どんなことに置いても人並みにできるか、それ以下です」
「……」
「でも」

身近にいながら、何もできないのはあまりに辛い

それがたとえ、「できる」などという傲りだとしても。
そう思わずにはいられない。

「苦しんでいる姿を見たくない」

彼女はそう付け足す。今にも泣いてしまいそうなほど、悲しげな笑い顔だった。
そしてその笑顔に何かが重なった。それはいつも、マツバがジュペッタを傍らに置くときの笑顔だった。彼はそれを亡くなった彼女だと言いながら、いつもいつも悲痛な色を瞳に宿して笑う。……彼は、頭のどこかでどうしようもないことを分かっているのだ。それでも尚、彼の感情はそれを許さない。不安定さを増す彼の世界は、悲痛な輪郭をかたどっていく。
それを、この人ならわかってくれるのだろうか。
いや、きっと分かる分からないの問題ではないのだろう。彼女は純粋にマツバを思ってくれている。悲哀を宿すのは、彼の苦しみを理解し助けたくてもどうしようもないもどかしさからだ。



でも、それだけで十分だった。







20100227
20101003:修正
20130109:再修正




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