▽4

彼女から連絡をもらったのは昨日の夜のことだった。突然過ぎる電話は、けれども内心どこかで予感していたかのように納得してしまう何かがあった。そして同時に彼女の口からは友人の名前が語られた。その時電話越しに聞こえた声は動揺と不安に震えていたと、今更ながらぼんやりと思う。ああ、もしかしたら知ってしまったのかもしれない。そんな予感は案の定当たってしまい、できればこの時期の友人から彼女を遠ざけておきたいという思いはいとも簡単に破綻した。脳裏に浮かぶ友人の姿に、ひどく虚しい気分になる。

『明日の午後2時に、焼けた塔の近くの茶屋で』

そこで私の知る限りのマツバ≠ニいう人間を語ろう。彼女からの電話をその言葉で締め、静かに受話器を切った。




▽5

マツバは、強い一方でひどく脆い部分を持ち合わせる人間だった。
ジムリーダーを兼ねエンジュという街の治安を守り、次代へと繋がる子供たちを育て、またその血筋から鈴の塔の護役という大役を任されていても。彼自身はただの青年≠ノ過ぎなかったのだ。
いや、むしろその精神の一部は子供≠ニ呼んでもいい。彼の時間は幼少の時分で止まっていた。

彼は特異な子供だった。
異形を映す目を持つ故に同年代の子供は寄り付かず、よって孤独だった彼の精神は、本来子供の頃に形成されるはずだった何らかに欠けているのだ。また母親も父親も早くに亡くし、彼は与えられるはずだった無償の愛も知らない。唯一の肉親であった彼の祖母も、娘夫婦が亡くなって以来介護が必要になり、施設に入った。彼がジムリーダーという職に就く前後だった気がする。そしてその祖母も、2年近く前に亡くなってしまった。彼は純粋に孤独だった。どんなにその実力からジムリーダーに任され、存在を認められていても、彼の欠落は埋まることを知らなかった。

自分が見えているものは、果たして存在しているものなのか。他人と何も分かち合えない、共感を得られない不安定な彼の世界は確実にその精神を蝕んでいった。それでも彼が気丈に振る舞っていたのは、彼自身が『ひと』を好きだったからだと思いたい。私と友人になったことも、早くに亡くなってしまった両親の分まで祖母を愛し愛されていたことも、この街に献身的に尽くしていたことも。彼は健気に生きてきた。しかしそれでも、拠り所を持たない彼の心は、今にも霧散してしまいそうな危うさを常に纏っていたのかもしれない。


▽5

昔、マツバと会って間もない頃。一度だけ興味本位で聞いたことがある。「異形を見るとはどんな気分だ」と。その時彼は、薄く笑って答えた。

(体に風穴が空いてる気分だよ)
(今も見えるんだ)
(ほら、昨日駄菓子屋のおばあさんが亡くなっただろう?)
(今、その人が目の前を通っていったよ)
(ミナキ君、僕はやっぱりおかしいのかな)

曇りがかかった菖蒲色の瞳が揺れる。何もない空間の何かを眺めながら、彼はただ空虚な表情でそう答えたのだ。それが一体彼にとってどれほどの重荷だったのか。きっと私には一生かけてもわからない苦しみだろう。
それでも彼はずっ背負って生き続けていた。
しかしそんな彼に、ある日転機が訪れた。

それが『彼女』だった。

彼と彼女が出会ったきっかけは、皮肉なことに彼の祖母の葬儀だった。詳しいことこそ知らないが、その日に出会って以来、偶然に顔を合わせることが増え、親しくなったのだそうだ。聞いた話ではマツバの持つ特有の体質で、彼女はずいぶん危険にさらされたらしい。しかし彼女はそれでも彼のもとを去ることも、彼を恐れることもなかった。ひたすらに一人の人間として彼と向き合っていた。
そうしているうちに二人の距離が自然と縮まっていった。そこに男女間に生まれる感情があったかどうかは知らない。しかし彼女はマツバに穿たれた欠落を、確かに埋める存在だった。

彼女はよく笑う人だったと思う。だが決して勝ち気な性格ではなく、どちらかというと大人しい人間だった。
彼の異形を映す目を知っても顔色一つ変えず受け入れ、また彼が見えている異形の存在も受け入れた。彼にとって不安定だった世界を、彼女はただ静かに受け止め認めたのだ。また、彼女自身もそういった異形を呼び寄せる体質だったのか、何かをマツバを頼っていた。彼にとって一体どんなに救いになっただろう。
ゆっくりと流れていった時間は、確かにしあわせ≠ニ呼べる代物だった。




▽6

しかしそれは唐突に終焉を迎える。
不運な交通事故だった。霧の深い夜に、彼女がマツバを訪れた日の出来事だ。視界の悪さの為に一台の乗用車が彼女に無遠慮に突っ込んだ。弾き飛ばされた彼女はその衝撃と打ち所が悪く、ほぼ即死だと聞いている。
事故現場は、マツバの家の近くだったらしい。彼はその光景を目の当たりにしたかもしれない。一体どんな思いであの現場を見ただろう。大切な人が無惨に冷たくなっていく様を、彼はどんな思いで見つめていただろう。
救急車が来ても既に手遅れだった。まだ若い娘を失った彼女の両親は、ただただ不運な事故に嘆くしかなかったのだ。

それから数日間。マツバは姿を消した。彼女の葬儀も出なかった。それがいかに彼の憔悴を表しているのか、考えなくてもわかる。そんなとき、友人でありながら何もできなかった自分がひどく恨めしかった。
あの時彼を探していれば。
あの時彼を止めていれば。
後悔しか残らなかった。

数日後、久しぶりに見たマツバは、少なくとも彼の手持ちにはいないポケモンをつれていた。てっきり落ち込んでいるものと思っていた私は、彼が大して平生と変わりない様子に少しの安堵と、それ以上の違和感を覚えた。そして彼はそのポケモンを見て言うのだ。

(ミナキ君、彼女が帰ってきてくれたんだ)

正気の沙汰ではないと、全身を悪寒が駆け抜けた。空虚な瞳でそのポケモンを見つめる彼には、狂気以外の何も感じられなかった。
それは彼女のパートナーであったはずのポケモンだ。名前はジュペッタだったかぬいぐるみに人の思念が宿り、生まれるポケモンだと聴いている。

まさか、そんなわけ。

背筋に怖気が絡みつく。信じたくないという理性と、もしかしたらという恐怖が螺旋のように繋がった。





20100227
20101003:修正
20130109:再修正




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