ここ1週間くらいだろうか。マツバさんの家から、見知らぬ人が出てくるのをよく見かける。
最初に見た人物は臙脂色の和服に身を包んだ老爺だった。その人が私がマツバさんの家を聞かれた男性だ。そしてその次の日に、スーツ姿の壮年の男性と女郎花の色の着物を来た老婆を見かけた。2人は別々に出てきたので、特に関連があるわけではないのだろう。さらに2日後には紺の着物を着た10歳前後の少年とすれ違った。3日後に再びあのスーツ姿の男性。4日後には浅葱色の和服の成人女性。
そして今日、再びあのスーツ姿の男性とすれ違った。すれ違いざまに互いに小さく会釈をし、さり気なくその横顔を覗き見る。無表情に徹したその顔色は、心なしか青白いものに見えた。

今更ながら、こうして直接接することはあの老爺以来だと思う。今までは彼の家から出ていく姿を遠巻きに眺めるだけだった。ただ、これほど頻繁に人が出入りするということは、彼もきっと忙しいのだろう。そんな思いから、彼の家の近くまでは行くものの、実際は躊躇いから顔を合わせずに帰ってしまっている。そのため今日彼を訪れるのは4日ぶりほどになるのだ。
玄関の前まで行くと、足下から黒い影スルリと現れる。ゲンガーだ。最近での現れ方に慣れたが、慣れるまではしょっちゅう驚いては悲鳴を上げた。そのたびに彼が慌てて駆け付ける、という事態によくなったものだ。
現れたゲンガーに挨拶をすると、間もなくして玄関の戸が開く。その向こう側で揺れた金糸に、無意識に表情が綻んだ。

「こんにちは」
「やあ、いらっしゃい」

とりあえずあがって、と微笑む紫紺の瞳に促されながら私は玄関を抜けた。
居間に向かいながら、何気なくここ1週間の間に見かけた見知らぬ人の顔が思い浮かぶ。それに特に意味もなく最近は忙しかったのかと問いかけた。彼はそれに一瞬立ち止まっては目を丸くし、そんなことはなかったかなと曖昧に笑ってみせた。
居間に着くと、いつも通り縁側に腰を下ろす。ほとんど定位置のようになったその場所は、今では特等席のようなものになっていた。そしていつものようにマツバさんがお茶やお菓子をお盆に乗せてやってくる。お盆を挟んで隣に座る彼の姿を確認してから、白い湯気を伸ばす湯呑みに手を伸ばした。

「ツユキも、ここ1週間くらい見かけなかったけど、仕事が忙しかったのかい?」
「私はいつも通りですよ」
「そっか」
「でも、マツバさんは実際大変だったんじゃないですか? 私、何度か近くまで来ましたが、毎日お客様が出入りしてましたよね」
「え?」

大きく見開いた瞳が向けられる。どこか戸惑うようなその表情に、つい首を傾げた。もしかしたら、外部には知られてはいけない依頼を受けていたのだろうか。脳裏に発露する考えに、反射的に思考が怯む。いくらなんでも不用心すぎたかもしれない。気まずそうに言葉に躊躇うマツバさんの姿に、「すみません」とぎこちなく頭を下げた。すると、取り繕うように彼は首を振る。

「いや……。それより、君が見かけた人たちって、どんな?」
「あ、えっと、和服のおじいさんとか、女の人とか、男の子とか。あとスーツ姿の男人ですかね」
「和服?」

訝しげに眉をひそめるその顔を見ながら頷く。彼は少しだけ考えるような仕草を見せた。そしてどこかよそよそしい態度で言葉を続ける。

「大した仕事でもないよ」
「そう、ですか。あまり無理をしないでくださいね」
「大丈夫。そういうツユキこそ、顔色があまり良くないよ。疲れているんじゃないかい?」
「あはは、確かに最近は残業ばかりです」

おどけたように返すと、彼はおかしそうに「残業か」と笑みを零した。
――日は少しずつ傾いてきている。足元に迫る西日を蹴るように、爪先で地面を突いた。肌に触れる風が嫌に冷気を孕んでいる。

「ごめんください」

ふと、どこか遠くから嗄れた声が響いた。玄関の方だ。ああ、もしかしたら、ここ数日彼に相談を持ちかけている客人かもしれない。そうならば、私は早めにお暇した方がいいに違いない。
今一度響いた「ごめんください」という声に、私は急かされるように立ち上がった。

「ツユキ?」
「あ、今日はもう帰りますね。ごちそうさまでした」
「そう、なのかい? 気をつけてね」
「はい、お邪魔しました」

愛想笑いを浮かべ、手早く退席するべく立ち上がる。玄関まで見送ると言ってくれた彼と共に、廊下を進んだ。玄関まで行くと、戸の向こう側でぼんやりと影が揺れている。
戸をゆっくりと開ければ、和服を纏う老婆が玄関前の門の前に立っていた。
もう一度マツバさんに頭を下げ、靴を履いて玄関を抜ける。真っ直ぐ歩いた先にいる老婆に、小さく会釈をした。
――するとすれ違いざまに、老婆は私を振り返る。私は反射的に足を止めた。
まるで小面のような、無機質な笑みを浮かべた老女だった。
目が合うなり背骨が軋む。老女は唇でゆっくりと弧を描き、言葉を紡いだ。

「拝見しまする」
「!」
「貴女さまの体から、枯れ木が生えていまする」
「え……」
「青行灯が灯火を灯しましたところ、枯れ木は瞬く間に灰となり塵となり失せるでしょう」

青行灯が、見ていまする。

心臓がごとんと沈むように蠢く。手のひらがじっとりと汗ばんだ。吹き抜ける風が生温い。
老女はゆっくりと私の横を通り過ぎ、背後に消えていった。背筋を走る怖気に息が詰まる。言われた言葉の意味など理解できない。だが、不気味で不穏であることは直感で感じた。

「あお、あんどん……?」

赤く染まる夕陽に照らされ、黒い影が長く長く伸びる。どこかで子供の笑い声が響いていた。






20110710




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