手紙を書いておこう。
いつお別れになっても、思いを精一杯伝えられるように。
思いを残しておこう。
独りじゃないと、わかってもらえるように。
形にしておこう。
幸せを願っていると。




「夕飯、食べていきなよ」

暮れ始まり、赤々と染まる空を眺めていた私に、彼はポツリと言った。時刻は5時に差し掛かる。外の空気はいっそう冷え込んできた。今まで家のあちこちに自由にいた彼のポケモンたちも、寒いのか、ストーブが効いたこの部屋に集まっている。ちなみにジュペッタとヨマワルは、ゲンガーを真ん中に炬燵に潜り込んで寝息を立てていた。
1日ももうじき終わろうとしている。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

断ってしまうと、やっぱり困った顔をするのだろう。そう思い、笑いながら答えると、彼は「いたこさんからうどんをもらったんだ」と苦笑した。彼のジムにいるジムトレーナーの人たちは、何かと面倒見が良い。こんなふうに食材を分けてくれることはしょっちゅうだし、たまに買い出しなども代わりにやってくれることがあるそうだ。かく言う私も彼にはお世話になっているとよく食べ物をお裾分けする。もしかしたら周りが面倒見が良いのではなく、彼自身が無意識にそうさせたくなる人間性を持っているのではないだろうか。最近ふとそんなことを思うようになった。

「じゃあ、早速準備始めましょう」

炬燵の暖かさが惜しく感じられたが、なんとかそれを振り切り、抜け出して立ち上がる。そのまま彼と2人で台所に向かった。……やはり廊下は凍えるように寒い。身震いする私に、彼は少しだけ可笑しそうに笑った。そんな彼に咎めるような視線を送れば、軽い謝罪が降ってくる。子供扱いそのものの、頭を撫でるという動作に私は少しだけムッとした。

思えばここ3週間、彼の家に休まず通っているな、などと今更ながら気付く。もちろん仕事も週休2日制でほぼ毎日ある。だが夜だろうと彼の家に必ず顔を出していた。というのも、ヨマワルが彼のヨノワールにべったりな状態なのだ。もともとはあの祠に2匹でいた、兄弟のような存在だ。それが長い間引き離されていたのだから、一緒にいられるときは一緒にいさせてやりたかった。結果、彼の家にヨマワルを仕事に行く前置いていき、仕事が終わったら迎えに行く、ということが習慣になりつつある。

だったらいっそのこと彼にヨマワルをあげた方がいいんじゃないのかと思ったのだが、ヨマワルは私がこの家に置いていこうとすると、必ず泣きそうな顔で後をついてくるのだ。
だったらここに置いてもらって、少しバトルの練習などしてもらったり、勉強させてもらったりした方が効率が良い。
そのせいで最近疲れている、と言われると否定できない。だが毎日が楽しいことには変わりない。

沸騰したお湯にうどんの麺を放り込む。白い湯気が視界を包み、思わず一歩だけ後退する。最近では彼と夕飯を作るのも当たり前になりつつある。
しかし両親は人付き合いに関しては特に口出しするような素振りは見せない。聞く限りでは私がマツバさん宅に通っていることはそれなりに噂になっているらしい。おそらく両親も知っているのだろう。今までも何度もあったことだから、敢えて黙っていてくれるのかもしれない。
ただやはり私はまだ嫁入り前の娘なのだから、夕飯くらい家で食べるようにはした方がいいだろう。毎回母が「夕飯は?」と問いかけてくるたびに「食べてきたからいらない」と断ることにも罪悪感が募りつつある。
明日はヨマワルには申し訳ないが、きちんと早めに家に帰ろうと思う。

なんて思案を巡らせているうちに、夕飯は出来上がった。丼に移して居間に運ぶ。今日のように寒い日にはちょうど良い。体が芯から温まる。ポケモンたちにも夕飯を与えて、他愛のない会話をしながら麺を咀嚼した。
後片付けをするときは、ポケモンたちも食器を運ぶのを手伝ってくれた。これがこの家では暗黙の了解らしい。

一通りやることを終えたら、再び居間に戻り、お茶を一杯飲んでひと息つく。
実は私はこの時間が好きだ。お茶を飲みながら、明日は晴れるかなとか、朝ご飯は何にしようかなとか、紡がれる会話は柔らかく、優しい。
時折暖かな微睡みにゆったりと飲まれて、このまま眠りに就きたくなってしまう。夢心地に似たそれに身を浸しながら、私はそろそろ帰ろうと立ち上がる。

「それじゃあ気をつけてね」
「はい、お世話になりました」

玄関先まで見送りに来てくれた彼に頭を下げ、私は帰路を辿る。

外はすっかり暗くなっていた。その上霧まで立ちこめている。街灯だけが頼りだった。

「……視界が悪いから気をつけないといけませんね」

腕に抱いたジュペッタに呟く。……ヨマワルはボールの中で眠っている。
私はいつもの調子で自宅へと向かっていた。しかし途中で彼の家に携帯を忘れたことに気付いた。明日も仕事があるから、そのままというわけにはいかない。

少しの思案のうちに道を引き返した。

あまり遅いと両親も心配してしまうだろうと、無意識に早足になる。

――霧が深い。
だんだん濃くなってきている。
視界が著しく悪く、僅か先すら見ることができない。本来なら漆黒を称える空間は白濁色に遠くの景色を濁し、ただ不気味な世界を形作っていた。唯一頼りとなるのはぼんやりと浮かび上がる街灯だけだ。転々と視界に映るそれらを目印に、彼の家を目指した。冷えたアスファルトを踏みしめ、不気味な空間を進んでいく。

彼の家が見えてきた。途端にゾクリと背筋に悪寒が走る。

耳元で、不気味な声が響いた。


 見えてる? 


「!?」

視界が真っ白になる。
耳をつんざくクラクションが鳴り響いた。腕の中のジュペッタが金切り声を上げた。ヨマワルが悲鳴を上げる。私が何が起ころうとしているのか分からなかった。――体が動かない。
すると視界が大きく揺さぶられ、暗転した。ドンッと鈍い音が全身に響いて、意識が一瞬だけ途切れる。

間を置いて、頭の中に笑い声が反響した。体を動かそうとするが、まるで鉛のように重くなって動かせないことに気づく。いまいち均衡すら掴めない体は、深海に沈められたようだった。
どうしたのだろう。
息が上手くできない。視界には白く濁った空が広がっている。寒い。苦しい。

サイレンが。救急車のサイレンが木霊した。


――ああ、事故、だ。


視界に赤が映る。人だかりが映る。彼が、遠くに彼が、ひどく蒼白した顔の彼が移る。

どうして私の嫌な予感は当たるのだろうか。
あの時鏡で見た、真っ赤な自分の姿が脳裏に蘇る。赤く染まっていたのは鏡ではない。私自身だ。

彼が私の傍らにやって来る。腕にジュペッタを抱えていた。呼んできて、くれたのか。嫌だな。こんな怖い姿見せたくない。こんな情けない姿見せたくない。体中が痛い。
私、まだ。

「死にたく、ない、なあ」

せっかく仲良くなれたのに。
「さよなら」はなんて残酷なのだろうか。
でも、良かった。

ちゃんと手紙書いて置いて良かった。




20110108




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