「出して」と叫ぶ声が聞こえる。

「ここは寒くて苦しい」
「きつくて狭い」
「冷たい匣の中」

小さく開いた四角い窓からは、時折魑魅が入ってくる。
出さなければと、救わなければと、僕は何度も胸に刻んだ。
早く母を、箱の中から出してあげなきゃ。

代償として、僕が箱の中に閉じ込められようと。




そっと隣に視線を向ける。黙って話を聞いている彼女は、ただひたすら痛みを耐えるように唇を噛みしめていた。その様子に、果たして続きを話しても大丈夫なのかと疑問がよぎる。
何も知らない、一般の家庭に生まれた、普通の女性なのだ。
自分とは見てきたものが違う。

――ならばこんな話は、ただ怖がらせるだけだ。

でも、それでも知ってもらいたかった。理由はわからない。もしかしたら期待してるのかもしれない。
彼女は優しいから、受け入れてくれるんじゃないか、と。

「大丈夫かい?」
「!」

俯いている視線を拾うように問いかける。彼女は続きを促すように、僕を見て頷いた。





母は、心臓麻痺という検死の結果の後、棺に横たえられた。
そしてあの祠が、暗殺された当主とその奥方の為に建てられたと知ったのは、母の葬儀の日だった。

ならば僕たちがあの祠に近付いたから母が殺されたのか。タマオさんは自分のせいだと泣いていた。僕は、祠の前から立ち去るとき、聞こえてしまった母の声が忘れられない。母が眠る棺を前にしても、そこには母がいないような気がした。そして確信した。

母はあの祠にいるバケモノに閉じ込められているのだと。

だから、僕が救わなければならないのだと。

それからは、ひたすら修行に明け暮れた。使い方もわからない得体の知れない目を使えるようになり、ジムリーダーになり、ホウオウを待った。ホウオウなら、焼けた塔の3匹のように、母を蘇らせてくれるのではないかと、一瞬でも考えたことがあったからだ。……今ではそんな浅ましい考えなど抱いていない。

父は母の後を追うように、一年後に亡くなった。祖母だけが唯一の家族になった。

それから、僕があの祠を訪れたのはジムリーダーに就任した秋のことだ。

「そこに、もう母さんはいなかった。代わりにヨマワルとサマヨールがいたんだ」
「え……?」
「彼らにとっては、ほんの悪戯のつもりだったんだろうね」
「!」

ただ単に驚かせて、一緒に遊びたかっただけなのだろう。
しかし2匹は力の加減を知らなかった。
結果人間1人の命を奪い、死後もその意志を現世に縛り付けていた。
そして皮肉にも、その2匹は件の当主のポケモンだったのだ。常世と現の狭間に生きる2匹には、おそらく死という概念はない。自分たちの遊びやすいように、器から中身を取り出した。その程度の認識だったのだろう。そのために、母は死んだのだ。

「馬鹿げた話だろう?」
「……!」
「だからあの時、君と僕を襲ったのは、長い間あの祠にいた僕の母さんなんだよ」
「でも、マツバさんの首を」
「死んでから49日を越えると、人間はだんだん自我や理性がなくなっていくんだろうね。かろうじて残っていた記憶を頼りに意味もわからずにここに来たんだ」

そして、最後の最期、母親≠ノ戻って消えた。

「じゃあ、あの小さなまつば君≠ヘ」
「……あれは、祠にいたヨマワルが僕に化けていたんだよ」
「!」
「実は僕のヨノワールは祠にいたサマヨールなんだ。見つけた時に、僕の後をついてきて……そのままに手持ちに入れたんだ。だから、祠にヨマワルだけが残されたんだよ」
「それじゃあ、寂しくて……」
「そうだね。君は何度もあの辺りを訪れているし、おそらくジュペッタの事件も見ていたと思う。それで君を知って、きっと遊んで欲しかったんだよ」

今度は誰も、傷つけないようにと。だから何度も助けてくれたのだ。そして仲間に入れて、もらいたかったのだろう。

ただ、寂しくて。

遠い昔に主を失った。仲間が欲しかっただけなのに、傷付けただけだった。共にいた友人も祠を去った。たった1人、その場に置き去りにされた。

「僕ね、悪い子なんだよ」
「悪い、子?」
「うん、だから、いっぱい良いことするの。そしたらお母さんが迎えに来てくれるんだ」


――いつかは、自分にも仲間できると信じて。


「……今回の事件の仕掛けは、こんな感じだね」
「マツバさん……」
「ただ君を巻き込んでしまった。――怖い思いばかりをさせて、本当にごめんよ」
「そんなこと」

言いかけて、彼女は頭を振った。その瞳は濡れている。

「本当は、僕はずっと、母さんを助けるために、母さんを解放するのと引き換えに、あの祠に閉じこめられたっていいと思ってた」
「!」
「でも、母さんは助かった。やっと、自由になれたんだ」

彼女がこちらへと手を伸ばしてくる。その手は僕の服の袖を掴んだ。

「僕は」
「……マツバさんは、たまに、どこか遠くへ行ってしまうようなことを言いますね」
「!」
「行か、ないでください……」
「……」
「行かないで、くださいね」

ボロボロと彼女の頬を水が滑り落ちる。途端に喉の奥がギュッと絞めつけられた。苦しい。苦しい。とても。

「僕は……」

「何故マツバはんまで、あんさんの母様と同じ末路を辿ろうとするんどすか」

「それがスズの塔の守り人の役目だなんて、都合のいい言い訳でっしゃろ」

「守り人は人柱どす。エンジュを守るために、この街で天命を全うする」

「自ら死にゆくなんて、許されるわけありまへん」


――僕だって、死にたくなんかないよ。

しがみついてくる体温を、縋るように抱き締める。

「行かないよ」
「……」
「ちゃんと、ここで生きていくよ」


死ぬ理由がなくなって、初めてそれがどんなに悲しいことかわかった。





20110106




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