僕≠フ家族の話をしよう。

僕の記憶にある限りでは、母は優しい人で、父は厳格な人だった。母は、エンジュの中でもスズの塔の守り役を務める名家の生まれだった。しかし母は一人っ子であったから、父はそんな母の家に婿養子として入った。父の厳格さは、もしかしたら婿養子≠ナありながら当主である重責の上で出来上がったものなのかもしれない。
そして母は特別な目を持っていた。この世のものではない何かが見えていたらしい。そしてそれは見事なまでに僕に遺伝した。
父は見えない。だが父は母のその目を知って結婚をし、共に生きることを選んだのだ。

――それだけ。
たったそれだけの家族だ。僕や母には奇妙な目が備わっていたが、それを除けば少し裕福なだけの家庭だった。

確かに昔はよく見分けがつかず、見えないものがいると言い張っていた僕は同世代の子供から敬遠されていた。友人などいなかった。だからといって幼少期を不幸に感じたことはない。それを埋めるように両親が愛情を与えてくれたことも知っていたからだ。
僕は少なくとも、独りではなかったし、辛くもなかった。ただ成長するにつれ、突き付けられる自分の異端さが少しだけ、寂しかった。
ならば僕と同じ目を持ち、先に生まれた母も同じ境遇に遭っていたに違いない。
鬼たちが怖い。壁のシミが人の顔に見えて怖い。近所の子がいじめる。夜が怖い。暗いのが怖い。
そうぐずる僕を、母は決まって抱き締めながらあやした。

「大きくなれば、きっと怖くなくなるから」

今は、そのためにうんと怖がっておきなさい。
将来友達や恋人ができたときの、素敵な思い出話になるから。
母はそう言って、何度も何度も僕を抱き締めた。

それから僕が、タマオさんと会ったのは母が亡くなる1ヶ月ほど前の話だ。
彼女は僕の家の分家にあたる家に生まれた。この血筋は総じてスズの塔の関係者であったから、彼女は幼い頃から舞妓として歌舞練場に出入りしていた。

スズの塔の守り人。ホウオウを祀る一族。エンジュの名家。伝承を継ぐ血筋。
――呪われた一族。

エンジュには遠い昔、少女を生け贄に捧げるという悪習があった。ホウオウが塔から姿を消すと共に、カネの塔に眠っていた3匹のポケモンたちが暴れたのだろう。落雷、暴風雨、火事。災厄は絶えずエンジュを襲った。それを回避するために、ホウオウの帰還を人々は願った。もちろんそれは見当はずれな手段に違いない。人々の過ちをたった一人の少女に、毎年毎年込めて、スズの塔に捧げた。少女たちは大勢の人間の罪をたった一人、その身に背負い塔の中で餓死していく。

――だからそんなやりきれない死に方をする娘を思い、反感を抱く人間が出てきたのは必然だった。

その怒りの矛先はスズの塔の守り人である一族に向いた。当時の当主と奥方は、それによって暗殺されたらしい。しかしそれにより混乱に陥ることを予測した一部の人々は、殺されたその2人を弔うこともせず、スズの塔のそばに葬った。
誰に殺されたのかは今でもわからない。
また、殺された彼らのゴーストポケモンたちも、それきり行方を眩ませたらしい。

以来スズの塔付近には奇妙な噂が立つようになった。
鬼が出る。生け贄になった娘たちの怨念だ。神隠しが起こる。殺された当主たちの恨みだ。只人が塔に近付いてはならない。あそこは黄泉への入り口だ。
噂が立つようにになってから、スズの塔の守り人の一族以外が近付かなくなった。そのことが自然と修行を積んだものでなければ立ち入ることを許されない、認められた者しか入ることができない、という伝統になっていった。
今ではそれがジムバッチの所有が条件ということに繋がっている。

だが一方では血族ならば自由に出入りができた。

だから、僕の母は死んだのだろう。

紅葉が真っ赤に染まった季節だった。
幼い僕は、初めての友人を、タマオさんを連れて、母と共に塔を訪れていた。紅葉狩りだった。
赤く染まった楓の葉の並木道を歩き、他愛ない話をしては笑い声を響かせる。たったそれだけのことかひどく楽しくて、浮かれていたのだろう。

塔の奥の茂みに行ってはいけないという母の言葉を無視し、僕と彼女は、獣道へと歩を進めた。紅葉した木々や、常緑樹に囲まれた薄暗い小さな小道。枯れ葉を踏む音。
思えばそれで止めておけば良かったのだ。
まるで絵本の中に入ったかのような好奇心に駆られ、僕たちはさらに歩を進めた。

そこで、小さな祠を見つけたのだ。苔むした冷たい石の匣は、ただ鬱蒼と茂る世界で沈黙していた。
――ザワリと、百足が背を這うような怖気が走る。
僕はタマオさんに早く帰りたい旨を伝えた。しかし彼女に怖いのかと揶揄され、むきになっていたのだ。祠を興味深く観察している彼女に無意識に焦る。早くここから離れろと本能が警鐘を鳴らす。

すると母の自分たちを呼ぶ声が、タイミング良く辺りに響いた。それを機に、彼女も帰ると言い出した。母が向こうからひどく狼狽した様子でやってくる。
母が、何か叫んでいた。

ほんの、一瞬だった。

僕たちのところに辿り着いた母は、未だに祠のそばにいたタマオさんと僕を遠くへ突き飛ばした。枯れ葉の上にドサリと尻餅をつく。手を近くの木の枝で引っ掻いて血が滲んだ。ジンジンとした痛みに涙が浮かぶ。訳も分からず、その場に尻餅をついた僕たちは非難の念を母に向けた。

――だが、視界に映ったのは、目を見開き青白い顔で仰向けに倒れた母の姿だった。

僕たちは悲鳴を上げた。聞きつけた大人たちがやってくる。母の体に触れた僧の1人が、「脈がない」と蒼白した顔で言った。何が起きているのかわからなかった。動かない母は、駆けつけた大人たちが病院に運んだと思う。
放心状態だった僕は、おそらく父の手によって家まで運ばれたのだろう。
その場から離れる時、僕は祠の中から「出して」と泣き叫ぶ女の声を聞いた。

僕にはそれが、母の声に思えてならなかった。






20110106




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