――見つけた。
見つけた。見つけた。見つけた。坊や。坊や。私の坊や。やっと見つけた。早くこちらにいらっしゃい。お外は危ないのよ。お家で大人しくしてなければだめでしょう。早くお母さんのところにいらっしゃい。ああ、そんなものいらないでしょう。不必要な繋がりなど、断ってしまいなさい。
ほら、その四角い窓を通り抜けたなら、そこには黒い安寧がある。
*
「おやすみなさい」
そう一言交わし、私は居間を出た。まだもう少し起きてると言って笑った彼は、寝間着の浴衣を纏ってぼんやりと中庭の方を眺めている。最近は夜になるとずいぶんと冷えるので、その格好だと寒そうだ。何か他に羽織るものはないのかと尋ねたが、彼はもう寝るから大丈夫だと笑うだけだった。
私はそんな彼に僅かな懸念を抱きつつも、以前泊まったときに利用していた部屋へと向かう。今回もこの部屋を借りたのだ。ここからなら廊下に出て斜め向かい側の位置に彼の部屋がある。前回の時もそうだったが何かあったときにすぐに駆けつけられるのだ。とは言っても、私は彼のような霊媒体質でも何でもない、万が一今回そういったものが関わっていたとき、駆けつけたところで果たして力になれるだろうか。下手をしたらまた足を引っ張ってしまうのではないだろうか。
……体調が悪い彼の手助けをするために来たのに、少しだけ情けなかった。
「……」
襖を隔てた向こう側から、虫の鳴き声が響いている。秋の夜と形容するのに相応しい冷たく澄んだ空気が、ゆっくりと呼吸器を満たしていった。
嫌な考えばかりを掘り起こす頭を振り、私は布団に潜り込んだ。
***
夢だという自覚はあった。
ただ、抜け出せない。
遠くで顔のない子供たちが謡っている。
――あの子が欲しい。
――あの子じゃわからん。
――相談しましょ。
――そうしましょ。
――決まった。
「 ≠ェ欲しい」
***
「――!」
耳元で響いた歌声に、意識が強引に掴みあげられた。ほとんど飛び起きるように目を覚ます。途端に頬を包んだひんやりとした夜気に、鼓動が不気味に鳴った。僅かに開いた襖の隙間からは、青白い月明かりが糸のように伸びている。
心配したジュペッタがボールから出てきて、私の周りを旋回した。
「ごめんなさい、大丈夫です」
不安げに顔を覗き込んでくるジュペッタに、苦笑混じりに返す。
……心臓がドクドクと嫌な鼓動を打っている。そのたびに血液に乗って不吉なものが全身に送られていくようだった。
目の前にいるジュペッタの頭をゆっくりと撫で、ただの夢だと言い聞かせるように頭を振る。
すると不意に廊下に通じる障子の向こう側から小さな物音が響いた。喉元を突いた悲鳴を飲み込む。反射的に身を強ばらせ、ジュペッタを抱き締めた。
「……」
ゲンガーだろうか。障子に映る影は、ゆっくりと移動していく。……ゴーストタイプのポケモンなのだから、夜に活発化するのは不思議なことではない。
込み上げてくる恐怖感を強引に押し殺し、布団から抜け出す。頭の奥深くで、障子を開けるなと警鐘が鳴っている。ジュペッタが私を止めるように腕にしがみついた。
あの子が欲しい
歌の一節が流れる。何故かマツバさんのもとへ向かわなければならない気がしてならなかった。
あの子じゃわからん
そうだ。顔を見て、安否を確かめないと。脳裏を彼の首や肩に浮かぶ痣がよぎる。心臓が波打った。
相談しましょ
それに何を怖がる必要があるのだろう。この家にいるのは私と彼とポケモンたちだけだ。
そうしましょ
障子に映っていた影が、宙に霧散するように消えた。
決まった
障子を開ける。やはり、そこには何もない。先の見えない暗闇が、廊下を飲み込んでいた。
「まつば≠ェ欲しい」
――彼が、彼が、連れて行かれてしまう。
息を呑み、黒く塗り潰された廊下の先を見詰めた。心臓が煩いくらいバクバクと鳴る。馴染みあるはずの廊下なのに、まるで知らない地に迷い込んだような気分になった。足の裏から伝わる冷たさが、漠然とした不安をよりいっそう緊迫させる。
「……マツバさんの部屋の近くまでいって、何もなければ大丈夫です」
寝ているかもしれない。ただどうしても、彼の存在だけは確認しておきたかった。何もなければそれだけで安心できる。嫌な夢を見たから嫌な想像が浮かんだに違いない。
前回遭った事件のせいで、神経質になっているだけだ。
……仄白い燐光を纏う腕が、真っ黒な廊下の先から手招きをしている。瞬き一つで消えてしまったそれを錯覚だと言い聞かせ、私は歩を進めた。
20101204