痣が。

鏡を見て眉をひそめた。日増しに広がっている。数日前まで首筋から肩口にかけて彫ったように浮き上がっていた痣は、今は二の腕を呑み込まんばかりに肥大していた。
これではTシャツでは痣が見えてしまう。小さく吐息をついた後に、中途半端に身にまとっている浴衣の襟元と帯を締め直した。

この痣を付けられてからもう数日が過ぎた。日増しに体に広がっていくそれは毒々しい色合い増しながら肌に咲いている。ただ痣が広がる以外に、特に変化はない。
彼女にも同じような痣があったが、痣に気付いた様子すらなかった。もしかしたら見えないのだろうか。彼女の痣は、特に広がっていったような様子はなかった。とはいっても、もう五日前の話だ。会っていないので今がどうかはわからない。
なんて質が悪いのだろう。
あの妖が一体何をしようとしているのかは分からないが、望んでいる結果は「死」に違いないだろう。この痣がそれに向かうためのカウントダウンなら、あれは間違いなく挑発したいだけだ。
それに何か方法はないかと調べてはいるが、皮肉にもなかなかめぼしいものがない。

彼女についても、数日前から仕事先に言い渡されてた夏休みが終ったらしく、ここ五日は姿を見ていない。彼女はコガネのラジオ塔で清掃員として働いているらしい。何もなければいいのだけど。
体内で波打つ不安感を抑え込むように鏡から視線をそらした。

「……」

縁側にぶら下がっている風鈴が揺れた。寂寥感と物悲しさを孕んだ音が鼓膜に波紋する。
もう夏も終わるのだから、外さなければ。





「ツユキちゃん、今日ゴミ捨ての当番だったわよね。こっちはやっておくからゴミ捨て行ってきちゃいなさい」

荷台に大きな袋が2つ乗せられる。作業の手を止め声の方へと視線を向けると、人懐っこい笑顔があった。私と同じ、清掃員として働いているおばさんだ。おばさんは私の手からモップをするりと抜き取る。そして「今日は早めに上がっちゃいなさい」と柔らかい口調で続けた。

「夏休み終わってから毎日遅くまで働いてるでしょう?」
「い、いいですよ、そんな。私別に……」
「でも最近顔色良くないわよ? 今だって本当は具合悪いんじゃない?」
「あはは……」

顔色が良くない。否定はできなかった。最近夢見が悪く、睡眠不足がちだったのだ。何が原因なのかはわからない。ただ、あのまつば君≠ノ会ってからのような気もした。
それに夢の内容を全く覚えてないのだ。ただ夜中に唐突に飛び起き、嫌な動悸と得体の知れない恐怖感、焦燥感に襲われる。そして現実に戻ったと同時に安堵と倦怠感を抱く。ただ実際にはそれだけで、特に何があるわけでもない。仕事も始まり平坦な毎日が続いている。
……きっと、休暇中にいろいろあったからだ。
それに休暇中は毎日と言っていいほど、マツバさんの家に遊びに行っていた。自堕落に過ごしていたような部分もある。だから疲れてしまうのだろう。

ゴミ袋が乗ったカートを押して職員専用の裏口に向かう。途中何人かの関係者やメインパーソナリティーを担当している人とすれ違い、挨拶を交わした。局長をはじめ、ここで働いている人たちは皆気さくで社交的だ。時給もそこそこ良く、申し分ない仕事だった。

そして角を曲がれば出口、というところで私は人にぶつかってしまった。よそ見をしていた訳ではないが、まさか勤務時間真っ只中のこの時間に裏口から入ってくる人がいるとも思っていなかった。そのせいで少しだけ不注意になっていたのだ。

「すみません、大丈夫ですか?」
「ん? ああ大丈夫大丈夫」

慌てて頭を下げると、少し上の方から飄々と声が落ちてきた。ゆっくりと頭を上げると、二藍色が視界に映る。
見ない姿だと、思った。一般の人だろうか。

「あの……」
「お嬢ちゃんはここの清掃員か何かか?」
「あ、はい。あの、一般の方は正面入り口から……」

壮年の男性だった。二藍の髪と瞳、目元に泣き黒子がある。男性は私の言葉を聞くなり「局長の友人なんだ」と苦笑しながら言った。

「久しぶりに飲まねえかって誘われてな。あいつに呼ばれてんだよ」
「そう、なんですか。すみません」
「ところでお嬢ちゃん、局長室までの行き方わかる? あいつ人のこと呼んどいてこれでさ」
「局長室なら、ここを曲がったところに階段があります。その階段を上って五階にありますよ」
「おう。サンキュー」
「いえ。あ、ただ二階に警備の方がいるので、こっそり会われるなら気をつけた方がいいかもしれません」
「ははっわかってるねえ。お礼にこの俺様がいいこと教えてやろうじゃないの」
「え?」
「二ヶ月後の今日は、ここに来ない方がいいぜ」
「?」
「じゃあな」

首を傾げると、男性は笑いながら去っていった。その時男性が言った「演技は下手だが嘘は得意だ」と呟いた言葉の意味を、私は知らない。
特に気にとめようとはせずに、その日は早めに帰宅した。
ただ上がった時間が夕方だったので、帰りにマツバさんの家に寄っていこうと思う。

五日といえど、休暇中毎日のように顔を会わせていたからずいぶと久しい気がする。
最後に会った日には夏バテだったのもだいぶ調子も戻ってきたようだが、今は元気にしてるだろうか。ジムリーダーの仕事もあるそうだし、また体調を崩していないか心配だ。
八月も後半にさしかかったのに、日中照りつける太陽に容赦はない。だが日が沈んでからはずいぶと涼しくなってきたので、やはり夏も終わりに向かっているのだろう。
改めてそう思うと、少しだけ寂しい気もした。
脳裏に彼の顔を描く。途端に無意識に足が速くなった。どうせなら、何か和菓子でも買っていこう。


その帰り、偶然通りかかった花屋に季節外れの菖蒲が並んでいた。紫紺の花弁が綺麗だった。狂い咲きだと苦笑した店員さんの言葉に、つられて苦笑しながらも私は購入した。
色が。そうだ。花弁の色が、彼の瞳の色に似ているのだ。そう思うと無性に花が愛おしく思えて、思わず表情が綻んだ。

日が傾き始め、空が赤らんできた時間のことだ。







20100912




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