「最近、可愛らしいお嬢さんが出入りしているそうどすなあ」
「!」

何の前触れもなく、背中に触れた声に傍らにいたゲンガーがピクリと反応した。玄関の戸を開けようとしていた手が止まる。ゆっくりと振り返ると、着物を着た女性が立っていた。着物の裾を引き、だらり帯に赤襟の襦袢。見慣れたその姿は歌舞練場でよく見るものだ。細められた瞳が怪しい色を放っている。

「タマオさん、久しぶりだね」

久々に見た女性は、歌舞練場にいる時と寸分変わりなく、舞妓≠ニいう皮をかぶっていた。ゆっくりと弧を描く紅をさした唇は、妖しい笑みを象る。自分と同様にエンジュの伝承に深い繋がりを持つ彼女とは、少なくとも縁があるのだ。

「先日の夏祭りをサボりはったようですな。……その割に、その顔を見る限りだいぶ楽しんだようどすが」
「あはは」
「これで3年連続も……まったくだらしないジムリーダーはんですわ」
「来年はちゃんと出るよ」
「頼んますえ。私ら舞妓も、街の伝統のため舞を舞うんですからな」
「……」
「ところで一つ気になったんどすが。先日スズの塔でえらい目にあったと、風の噂で聞きまして」
「……!」

ドクリと心臓が波打つ。何故それを知っているのか。目の前の女性に対し、焦燥感が込み上げた。この女性だけには知られてはいけないと、頭の奥で警鐘が鳴っている。必死に平静を装い、表情に笑みを貼り付けた。
あの時、彼女以外の人間はスズの塔にはいなかった。ならあの夜あったことは外部に漏れるはずがない。何故この人は知っている?
いや、だがあの時塔に舞い降りたのは。

「スズの塔の守役にしろ、あの瑞鳥との関係者にしろ、マツバはん、あんさんだけでないこと……わかっておりましょう?」
「もちろんわかってるよ」
「あの夜、たいそう大きな光が塔に降り立ちはった。あれはホウオウ……ではないのかと思っとります」
「……」
「あんさん、あの場に居てはったんじゃありまへんか?」
「まさか。ホウオウが再来するなら、誰よりも先に僕は駆けつけるよ」
「……そうどすか」

剣呑に細められた目を、苦笑気味に見つめ返す。彼女はそれにそっと口元を袖で隠し、クスリと笑った。

「勘違いなされるな、マツバはん」
「……」
「あんさん、何のために修験道を極めはった?」
「それは君が一番知っていることじゃないのかい?」
「なら目的を忘れなはるな。外のモノ≠ノ興味を持つのは致し方ありまへんが、あんさんの役目を忘れなはるな」
「……」
「時が来て苦しみはるのはあのお嬢さんどすえ。下手に馴れ合いなさるなら、私らが手を打ちましょか?」
「そう、あの人たちに言われたのかい?」
「はて」
「タマオさん、彼女は」
「わかっているならいいんどす。私はこの後用事がありますから失礼しますわ」
「そう」
「マツバはん」
「……」


人柱としての、あんさんの役目を忘れなさるな





不安げにこちらを見詰めてくるゲンガーの頭を撫で、縁側に腰を下ろした。
タマオさんが来てから少しだけゲンガーの様子がおかしい。昔からこの子は彼女を苦手にしているらしく、会うたびによく不機嫌になる。ただ今日は話した内容が内容だからか、心配させてしまったのだろう。
風鈴が風に揺れ、涼しげな音を立てた。
言い難い虚しさに襲われるのは、単なる甘えなのだろうか。目を伏せ深く息を吐き出すと、不意にゾクリと寒気が背骨に絡み付く。奇妙な視線が項を突き刺すような感覚に、部屋の中を見回した。

「!」

部屋の隅の影から、クスクスと笑う声が聞こえた。襖と箪笥によってできている角の影からだ。ザワリと肌が粟立つ。黒い影に白い一筋が走り、それが割れるように丸く広がった。白くぬらぬらとした球体だ。中心に黒い瞳孔が現れる。
部屋の隅の影に、一対の目玉が現れた。

うふ、フフ、ふ

また雑鬼だ。
忌々しさに唇を噛み締める。傍らにいるゲンガーが臨戦態勢を取った。

鬼、おニダ
ふふふ
違う、違ウ
アレは人の子
出来損ナいノ人の子

ゲンガーが威嚇する。そして何の躊躇いもなく黒い塊をそこにぶつけた。
同時にジュウッと焼けるような音が響き渡り、そこから黒い靄のようなものが立つ。しかし一瞬でそれは空気に溶けるように消えてしまった。キイと金属音のような断末魔が響き渡る。目玉は実に呆気なく灰となって消えてしまった。

「ははは」

―――ざまあみろ。

頭の奥深くで、雑鬼に嘲笑を投げかける自分が鎌首を擡げた。歪に歪んだ口元が笑みを作る。ドクリドクリと不吉な脈を打つ心臓が、全身に暗い感情を送った。頭の芯がボロボロと崩れていく。泥ついた感情に思考が埋もれていく。
そんな自分に、吐き気がした。

そんな、自分に

「マツバさん!」
「!」

不意打ちにも近い声に、意識が強引に引き戻される。声は中庭からだった。ハッとしてそちらに視線を向けると、紙袋を抱えた彼女がヨノワールと共に立っている。
今のを見られただろうか。
思わず肝を冷やした。自分でもわかるほど表情が強張っている。背筋を這い上がる怖気にも似たものに、心臓がゴトンと重く脈を打った。
しかし彼女は、いつもと変わらずに小走りでこちらまで来て、笑いながらそれを差し出した。

「葛餅です。ここに来る途中で買いました。一緒に食べようかと思って」

見られなかったのか。少しぎこちなく礼を言いながら受け取った。首を傾げる彼女に、なんでもないと首を振る。

「また顔色悪いですよ。ご飯ちゃんと食べてますか?」
「毎日毎日言われてるんだから、ちゃんと食べてるよ」
「じゃあちゃんと寝てますか?」
「大丈夫」

眉をひそめながら隣に座る彼女に、苦笑する。するとゲンガーが僕の手から紙袋を奪い取り、それを両手で掲げながら彼女に向かって首を傾げる。それに彼女は笑いながら「食べていいですよ」と返した。ゲンガーは嬉しそうに葛餅を取り出す。こちらに寄ってきたヨノワールはそれに呆れたようにため息をついた。

「みんなで食べるのにいっぱい買ってきたんです」
「みんな?」
「はい。マツバさんの手持ちのみんなの分も」
「ダメだよ。調子に乗るから」

咎めるように彼女に言うと、隣にいるゲンガーがムッとした表情をした。すでに封を切って葛餅を食べている。葛餅を頬張るゲンガーに、彼女は苦笑しながら葛餅を一切れ受け取った。そしてヨノワールにみんなを呼んでくるよう頼み、僕も葛餅を口に運ぶ。

「ツユキ」
「何ですか?」
「いや、君が来ると、平和だなって」
「エンジュは毎日平和ですよ?」
「そうだね」
「あ、そうそう。この間怒りの湖で大変なことがあったそうですよ」
「そうなの?」
「はい。私も詳しくは知らないんですけど、赤いギャラドスが……でも本当なんですかね」
「色違いのポケモンか……珍しいね」
「あ」
「!」

突然頭上からフワリと現れたフワライドに、彼女が声を上げる。フワライドの上にはヤミラミが乗っている。後ろからムウマージもやって来た。

「何だか、毎日のようにこうして集まってるね」
「まあ、楽しいからいいじゃないですか」
「……」

涼しげな風が吹く。風鈴が鳴る。陽が暮れ始め、赤く染まった空を見上げた。


遠くにスズの塔が見えた。




20100819




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