鳴き声が聞こえる。あれは獣の鳴き声だろうか。勇ましく力強い鳴き声だ。猛禽類かもしれない。しかしその中に繊細で透明な音色が伺える。綺麗な音だ。そうだ。これはきっと、鳳笙の音だ。

澄み渡った音色が、ずっと遠くから響いている。





「ああ、起きた?」
「……」

眩しさに瞼を持ち上げた。どうやら夢を見ていたらしい。しかしそれはどんな夢だったろうか。響いた声に安堵が染み渡る。だが何故彼がここにいるのか。そんなことが頭を過ぎるが、突然現れたフワライドに驚いて疑問は一瞬で消えてしまった。覚醒しきらない頭のまま体を起こす。何故かひどい倦怠感が全身にまとわりついていた。

「マツバさん、あの」
「ムウマージだけじゃ不安だったから見張りしてたんだよ」
「見張り……」
「うん」

欠伸を噛み殺しながら返事をした彼に、少しだけ笑ってしまった。寝間着用の浴衣を着ている彼はいつもと雰囲気が違うように見える。寝癖がついてはねた金糸の髪が、彼が動くたびに揺れた。
「着替えてくるね」と眠そうな顔で立ち上がる彼に、私もまた自分がパジャマ姿であることを思い出す。廊下へと消えていく姿を見届けて、私も慌てて着替えに取りかかった。
そして着替えながら、ふと思う。見張っていたということは、寝ている私のそばにいたということだろうか。

「……」

私は変な寝言や寝相は特にないはずだが、大丈夫だっただろうか。変な心配が頭をよぎり、一人意味もなく焦ってしまった。
それを必死に振り払おうと持ってきた荷物を弄っていると、違和感を覚える。
持ってきたはずの鏡がない。
確かに入れたと思ったのだけど、忘れてきてしまったのだろうか。これでは髪を整えるのも大変だ。ひとまず衣服だけでも着替えながら思案する。洗面台に鏡があったと思うから、そこで借りればいいだろうか。着替え終わり洗面台に向かった。

しかし鏡の前に立つなり、ゲンガーが鏡の中から現れる。鏡を使いたいからそこを退いて欲しいと頼むのだが、彼は遊びか何かだと思っているのか、鏡の前から退いてくれない。
幸い寝癖はないので、仕方なしに櫛で梳くだけ梳いて、適当に整えた。

朝食はマツバさんが作ってくれるというので、私はその手伝いをした。その最中、彼のポケモンたちが落ち着かない様子で家の中をうろうろしていたように思う。私がいるからだろう。時折廊下をバタバタと走るような音が聞こえ、そのたびに彼がひどく険しい顔をしていた。

「マツバさんのポケモンはやんちゃな子が多いんですね」

朝食を食べながら言った私に、彼はひどく複雑な顔をした。それに何ともいえない感情にとらわれる。
でも、そういえば、今日は妙に気分が楽な気がする。昨日まではあの赤い女の子が恐くて、ひどく張り詰めていたのに。やはり素直に人に話すのが効いたのだろうか。それにここにはゴーストポケモンがたくさんいるから、よけいだろうか。

朝食を終えて、借りている部屋に今日はヨノワールと共に戻る。ヨノワールは何故か部屋の入り口の、障子の前で中庭を注意深く見つめていた。
部屋にいながら、やはり昨日までのような奇怪なことに対する不安がない。
もしかしたら、今までのは彼の言うとおり本当に勘違いだったのかもしれない。何ともない今の感覚に、怪訝な表情を作った。
……なら、今日はもう、家に帰った方がよいかもしれない。
しかしそれはそれで一件落着だ。後でお礼にスイカでも持ってこよう。

そんなことを思いながら荷物を整理していると、廊下をバタバタと走っていく音が鼓膜を突いた。ゲンガーだろうか。特に気にせず荷物の整理を続けていると、再び足音が聞こえる。
それに後ろを振り返ると、いつの間にかヨノワールの姿が消えていた。
また足音が響く。

「?」

姿を消して遊んでいるのだろうか。思いながら廊下を見てみるが、やはり姿がなく足音だけが響いている。
首を傾げ、しかしゲンガーだろうと結論付けた。
また足音が聞こえる。

「!」

足音。
足音、が。
足音が、今後ろから。
後ろ?

とっさに振り返る。後ろにあるのは押し入れだ。
不意に、心臓が強く鼓動を打つ。

「ゲンガーですか?」

不安を打ち消すように、押し入れを凝視しながら口にした。
一瞬無音に包まれる。
また足音が響いた。
ゆっくりと廊下を振り返った。

同時に、ひとりでに障子が閉まった。

外界に繋がる入り口が遮断される。障子に駆け寄り開けようとするが、まるで鉄扉のように重く開かない。
体感温度が急激に下がる。

「どうして、なんで……なんで開かないの」

全身が震えた。
背後でスウっと押し入れが開く音が聞こえる。
そちらを見るなと、本能が警鐘を鳴らした。しかし体が言うことを聞かない。ゆっくりと、押し入れを見た。

「―――っ!!」

悲鳴が喉にからみついて、唇からは空気が漏れる音だけが零れた。
恐怖に絡め取られた心臓がバクバクと鳴る。全身が震えて、頭の中が真っ白になった。
5センチほど開いた押し入れの隙間から、何かがをこちらを見ている。
そこから真っ白な腕が伸びてきた。身動きが取れない。声も出ない。
真っ白な腕は畳を這い、徐々にこちらへと伸びてくる。腕だけが、有り得ないほど長い腕が。
足首を、首を、掴んだ。

「ぉ かあ さ ん」

押し入れの隙間から覗いている目が笑いながら、言葉を紡いだ。
ミシリと音を立てて首が絞められる。
刹那。

「!!」

背後の障子が勢い良く左右に開いた。突如として現れたヨノワールが、躊躇いもなく押し入れに向かう。しかし彼が押し入れを開けると同時に、白い腕は空気に溶けるように消えてしまった。
途端に全身の力が抜けて、畳に座り込む。不安げに寄ってきたヨノワールにお礼を言い、私はあの手に掴まれた足首を見た。

真っ赤な手形が、ついていた。





「座敷童なんて、可愛いものじゃないよな」

和綴じの本の1ページを捲りながら苦笑した。
傍らにいるヤミラミが水晶のような瞳をこちらに向け、首を傾げる。それに「何でもないよ」と答え、本に視線を落とした。今朝の彼女の様子を見るに、あの少女は間違いなく彼女に目を付けている。彼女の首にある手形が獲物の印だ。あれに気付いて彼女がますます怯えるのではないかと、鏡やそういったものが視界に映らないよう随分と苦労した。
ゲンガーなどはいたずらをするからそういった面ではまさに適任だった。

「年をとらない少女なら大禿。1つの場所に縛られる子供なら座敷童」

あの少女が仮に妖だとして、それがどうなるわけではない。しかし何かわかることがあるなら、少女から彼女を守ることはできる。思い書斎に入ってみたが、結局何もわからない。
ヤミラミも手伝ってくれていて、古い本を書棚から1冊取っては僕の隣に置くのを先ほどから繰り返していた。
「もう大丈夫だよ」と作業を中断させ、それから隣で本を覗いている彼は不意にビクリと体を震わせた。

書棚の扉が開き、ヨノワールが青ざめた顔の彼女を連れてきた。






20100804
修正 20110710




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