ゲンガーが滑るように宙を移動し、ペルシアンの後を追う。僕はその後を息を切らしながら追う。一体どこまで行くつもりなのだろう。ゲンガーもペルシアンも止まる気配がない。こういう時に、ポケモンのバトルで動いているからこその持久力が発揮される。ゲンガーはよく耐久力がないと評価されがちだが、人間とは比べ物にならない持久力を持っている。既に体力的に限界の僕に対し、2匹はまるで疲労している様子がない。荒い呼吸を繰り返し、ひたすら走り続けた。
しばらくして街から少し外れて獣道に入る。
土の湿った匂いが鼻孔を満たし、心なしか体温が冷やされた。

「――!」

同時にゲンガーが止まる。それに一度立ち止まり、呼吸を整えた。ゲンガーの傍らに行けば、地面に座り込んで目を赤く泣き腫らしたツユキさんがいた。

「! ツユキさん」
「あ……」

こちらを見るなり、彼女の瞳がじわりと潤う。よく見ると、彼女の左の二の腕に何かに引っ掻かれたような跡があった。服が破れ、肌が覗いている。そこには3本の赤い筋が引かれ、血が滲んでいた。

「何があったんだい? とりあえずまず手当てを……」

言いながら傍らに行き、身を屈めて視線を合わせる。……体が小さく震えていた。

「ねこ、が」
「え?」
「猫が、猫の、鳴き声が聞こえて……着物の女の子が、笑って」
「!」
「に、逃げてたら、腕が、痛くなって、引っ掻かれて」

自身の腕を掴む彼女の手が、ガタガタと震えている。その震えを和らげるように肩に触れた。

「ここからだと、僕の家はそんなに遠くないから。そこで手当てしよう。あと、話を聞かせて」
「……!」
「何か、力になれるかもしれないから」





縁側で膝を抱えている彼女に視線を向ける。まだ出会って2日しか経っていない異性を、安易に家に通すのはどうだろうかと、今更ながら思った。
……使い終わった救急箱を押し入れの下の段に戻す。
彼女自身も、恐怖のあまり一々理屈なんて並べる余裕はなかったようだ。幼い子供のように泣きながら頷き、ただ黙って僕の後を付いてきた。
家に着いてからは、ひとまず彼女を居間に通し、腕の怪我の手当をした。それからゲンガーが彼女の恐怖を少しでも払拭しようと、ヤミラミを呼んでは悪戯や可笑しなことをやっている。彼女もそれを律儀に見ようと、中庭を舞台に動いているゲンガーたちがよく見える縁側に座り込んでいた。

「ツユキさん」
「! は、はい」

その背中に呼びかけると、彼女がビクリと震えて振り返る。その顔からは恐怖が薄れていて、内心で安堵の吐息を吐いた。中庭にいるゲンガーが得意気に歯を見せて笑う。それに笑って返し、用意したお茶とお菓子が乗ったお盆を挟んで隣に座った。

「それで、話の続きなんだけど」
「あ……でも」
「乗りかかった船だ。些細なことでも気にせず何でも言って」

そう笑って見せると、彼女は一度戸惑うように俯いた。そして意を決したように顔を上げ、口を開く。

――彼女の話の要点をまとめるとこうだ。葬儀の日に見知らぬ女の子に会い、その後家で妙な体験をした。そして先ほども、その女の子と猫の鳴き声がし、突然鎌鼬のようなものに襲われたらしい。
危害がないのなら放っておいても良かったのだけど、怪我をしたのなら無視はできない。
思い出して恐怖が蘇ったのか、彼女は小さく身震いした。

「幾つか聞いてもいいかな」
「あ、はい」
「ペルシアンは君のおばあさんのポケモンなんだよね」
「はい」
「おばあさんは、あまり、体調が良くない」
「……はい」
「それで、ペルシアンは夜に家を抜け出す」
「たぶん……」
「……」

今回のことに、彼女の祖母はおそらく関係している。問題は少女の方だ。

「こんなことを言うのは少し躊躇われるんだけど」
「?」
「おばあさんの若いときの写真とか、あるかな」
「探せば、たぶん見つかると思います」
「そっか、なら良かった」
「写真が、何か」
「うん。少し、手かがりになると思ってね」
「あ、あの、写真を今から探してきます」
「!」

突然立ち上がった彼女に、目を丸くする。確かに、早いに越したことはない。だが、そんなに急かすつもりもない。急ぐ必要はないと、その旨を伝えるが彼女は家に戻ると言い張ってきかなかった。……案外、頑固なのかもしれないな。そんなことを思っては小さく苦笑する。僕もついて行くと言って立ち上がると、彼女は一瞬だけ泣きそうな顔をして頭を下げた。






「ありました!」

彼女がそう声を上げたのは、彼女の家に来て、作業を始めて30分ほど経った頃だ。押し入れから出したダンボールやアルバムが、畳の上に無造作に散らばっている中、彼女は1枚の写真を片手にこちらにやってくる。ちなみに彼女の両親は運良く今は家にいない。父親は仕事で、母親は買い物に行っているらしい。
アルバムを捲っていた手を一旦止めると、彼女が隣に腰を下ろした。

「15歳くらい、だと思うんですけど。これで大丈夫ですか?」
「……」

写真は白黒だった。ずいぶんと古びて、くたびれた紙面には細かいシワが入っている。
写真の中心に写る少女はかすかに彼女の面影を持っていた。

「うん、大丈夫。ありがとう」
「いえ、私の方こそ」
「少し、借りても大丈夫かな?」
「はい、あの、本当にありがとうございます」

はにかむように彼女は笑う。それにつられて笑うと、ボールの中から出てきたゲンガーが出てきた。

「ああ、片付けしないとね」

畳に散らばったアルバムを抱えるゲンガーを見て、再び小さく笑った。


それから片付けを済ました僕たちは、お茶を飲んで一息ついた。彼女から写真を借り、何かあったらすぐに連絡をしてもらえるよう、携帯の番号を交換した。一応今のところはこれで予防ができたと思っていいだろう。

――僕が彼女の家を出るとき、台所の方で物音がした。怯えた様子の彼女と共にそこに向かうと、窓が開いていて、油が入ったボトルが床に倒れてこぼれていた。彼女には風で倒れたのだろうと言い聞かせ、家を出る。

鳴き声。襖。それを開け閉める猫。少女。油。


「化猫、か」


帰路の途中、赤く目を光らせるペルシアンが、少女と共に僕の真横を通り過ぎていった。
――その少女の顔は、写真のものと同じだった。








20110223




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