「会いたい」

ふざけるなよ。別れを切り出したのはそっちだろ。俺が引き止めたって振り返ろうともしなかったくせに。今更なんだよ。新しい男にふられたのかよ。だからまた俺に乗り換えるっていうのかよ。ふざけんな。知らねえよ。お前のことなんか知らない。
知らない。

『メールを削除しますか』
『はい』

携帯をベッドに投げ捨てた。ガンッと鈍い音が部屋に響き、電池パックが吹っ飛んだ。ベッドに投げたつもりが壁にぶつかったらしい。電源が落ちた真っ黒な画面が口を開け、ベッドから落ちて床に転がっている。舌打ちをして部屋を出ようとすると、一部始終を見ていたレントラーが鳴き声を上げた。そして電池パックが外れた携帯をくわえて俺の前に持ってくる。
しかし一瞥するだけで受け取らなかった。それだけすこぶる機嫌が悪かったのだ。

苛立ちに任せて昼間から飲んでしまおうと、行き着けのバーに向かう。途中オーバに会い、何故電話に出ないだの何だのと言われた。携帯をぶんなげた直後に電話をかけてきたらしい。そんなものタイミングが悪いオーバが悪い。俺は知らない。

「なんだよ、ご機嫌斜めか?」
「………」
「おいおい、半年前にアイツ≠ニ別れた時じゃあるまいし何かあったのか」
「………」
「え、マジ…」

一瞥だけくれてやれば、アイツ≠ェ絡んでいることくらい察することができるだろう。オーバは間抜けな顔をして静止した。そのあと苦虫を噛み潰したように、至極表情を歪める。コイツはそこまでアイツ≠ェ嫌いなわけじゃない。そもそも幼少の時分からの腐れ縁なのだから、むしろ友好的だ。第一アイツ≠ェ半年前に俺と別れるまではよく集まってバカ騒ぎしたんだ。何の懸念もなく遊んでいた。それをいとも簡単にアイツ≠ヘぶち壊した。
何が「私たちは終わってる」だ。
お前が終わらせたんだ。
以来連絡をいっさいよこさず、それどころかいつの間にか引っ越ししたらしい。

(そんなに俺が嫌いかよ…)

我が儘だった、自分勝手だった、冷たかったと言われれば、正直心当たりがないわけじゃない。しかし楽しいと思える時間は確実に過ごすことができた。何が彼女をそうさせたのか、俺にはわからない。

「あ、デンジさんにオーバさん」
「!」
「お、name」

不意に前から聞こえた声に顔を上げる。いつの間にかバーについていたらしい。ドアの前には、そこでバイトをしているnameがいた。そういえば彼女は二週間ほど前に地元であるキッサキに帰省したそうだ。見た感じ中から出てきたのではなく、今ちょうど帰ってきたのだろう。ほんの少しだけ息を切らしている彼女は、腕に何かをかかえている。

「ちょうど良かった。実は帰る途中で…えっとこの子を…」
「ムックルだな」
「はい」

そう言って彼女は腕の中のものをこちらに差し出した。オーバの言う通り、それはムックルだった。ただ様子が少しだけおかしい。目を閉じてピクリとも動かない。寝ているだけかと思ったが、それにしては違和感があった。

「弱ってるのか?」
「キッサキの帰りで拾ったんです。怪我をしてたみたいで。ナギサまで遠いから、ここに来るまでに何度か街によってポケモンセンターは寄ったんですが」

旅の疲労なのだろう。彼女が拾ったというムックルはだいぶ弱っていた。彼女はムックルを抱きかかえたまま困ったように笑った。

「だから荷物を置いてからまたポケモンセンターに行こうかと思いまして」

ならさっさと行くべきだ。彼女の手から荷物を剥ぎ取り、それをオーバに渡した。

「オーバ、荷物持て。name、早く行くぞ。」
「え、ちょっと」

オーバが何か言っているが、構わず彼女を引っ張って歩いていく。幸いここからポケモンセンターは遠くない。五分すれば着くだろう。
少しでもアイツ≠フことを頭の中から追い出したい俺は、とにかく気を紛らわせたかった。


***


「お気の毒ですが…」

そうジョーイさんの口から紡がれた言葉は、たとえそのムックルが自分の手持ちでもなくとも、残酷な事実だった。
医療に全く詳しくないから、説明されてもよくはわからないが、このムックルはもう飛べないらしい。片翼が完全にダメになってしまったそうだ。nameはそれを聞くなり泣きそうな顔をした。野生に返すにもこれでは返せない。なら自分が引き取ると、今にも泣きそうな顔で言った。

「大丈夫なのか?」
「大丈夫です」

透明な硝子の向こう側で眠るムックルを見詰めながら、彼女は頷いた。その上今夜はここに泊まるという。キッサキからここまででは疲労も溜まっているはずだ。しかし頑として帰ろうとしない彼女にため息が出た。

彼女とは知り合って半年になる。ちょうどアイツ≠ニ入れ違いで現れたのが彼女だ。バーのマスターの親戚だという彼女は、詳しいことこそ聞いたことはないがバーで住み込みで働いているらしい。オーバと二人で飲みに行くたび、よく話し相手になってもらったり愚痴を聞いてもらったりした。そういう面ではアイツ≠ニ真逆の位置にいたのがnameだった。今では親しくなったと思うし、彼女からもよく声をかけてくれるようになった。アイツ≠ノズタズタにされた俺にとって、いい安定剤だった。

「疲れてるなら帰った方がいい」
「平気ですよ。デンジさんこそ、ジムのお仕事で疲れてるなら帰った方がいいですよ。挑戦者はいつ来るかわからないし」
「お前なあ」
「私はこの子を見守ります」

そう言って、彼女は先ほどから変化するわけでもないムックルに視線を戻した。
ああ、そういえばアイツ≠焜ックルを持っていたっけ。
どうでもいいことが頭をよぎる。あとでもう一度来るとだけ彼女に告げて、俺は一度バーに戻った。


***


アイツ≠ヘ、別れを切り出す前日、俺に奇妙なことを言った。今ではよく思い出すことはできない、いや、思い出したくないのが正解だろうか。ある意味あれは別れを示唆する言葉だったのかもしれない。

「自由になりたいと思うのは、きっと生きたくないのとイコールだと思うの」
「は?」
「ううん、別に今の生活が辛いとかそういうのじゃないの。デンジといるのは楽しいから」
「何だよいきなり」
「デンジはさ、幸せになれると思うんだ。だから辛い顔をして欲しくない。幸せになって欲しいの。」
「まるで遺書みたいだな」
「そうだね。死ぬ気はないけど、遺書でも書いておこうかな」

苦笑しながら言ったアイツ≠ノ、俺はバカだ何だと言った気がする。彼女はその瞬間まで何も変わらなかった。しかし翌日突然別れを口にして、そのまま姿を消してしまった。
彼女は俺が嫌いだったのだろうか。
何故彼女は俺に何も言ってくれなかったのだろう。
何か辛いことがあったなら頼ってくれれば良かったのに。
どうして何も言わずに姿を消してしまったのだろう。
疑問の答えは見つからず、代わりに苛立ちが募っていった。


***


バーでオーバと長々と無駄話をしながら飲み、日が暮れてきた頃、俺はコンビニに寄って彼女のもとへ向かった。たぶん何も食べていないであろう彼女の為に、お握りとコーヒーを買った。
辺りは日が沈み、いつの間にか暗くなっている。右手に持ったビニール袋がガサガサと鳴るのを聞きながら、ポケモンセンターへの道を辿った。
しかし道中、ふと、自分以外の足音が背後から聞こえて立ち止まる。同時にしんとなった。コンビニからポケモンセンターまでの道は比較的人気がなく、今も俺以外の人間は歩いていない。気のせいだろうか。しかし歩き出すと再び足音が聞こえる。
男なのだからストーカーだとかそんなものはないだろうが、なんとも不快な気分だ。
一応振り返って見るが、そこには誰もない。
しかたなしに再び歩き出す。
また足音がする。もう一度振り返るがやはり姿はない。
代わりに鳥の鳴き声が響き渡った。

なんて気味が悪いのだろう。

あまり長々とそんな空間に浸っているのに嫌気が差し、走って彼女のもとへ向かった。


***


「寝てやがるし」

着くなり視界に映ったのは、椅子に座り込み寝ているnameの姿だった。しかしムックルの方は起きたらしく、体を起こして彼女を見ている。そんな様子にため息をつきながら椅子に座り込んだ。

「お前は起きたのか」

ムックルを見ると、それは小さく鳴き声をあげた。動きが少しぎこちない。それに口元を緩ませると、ムックルは突然大きな鳴き声を上げる。思わず驚いて慌てるが、彼女は起きる様子はないし、ムックルは鳴き止まない。

「静かにしろよ」

チイチイと片翼をばたつかせてムックルは鳴いた。己の体がもう飛べないことを察し、もがいているのだろうか。ひたすら鳴き声を上げて暴れているムックルに、途方に暮れた。
しかし次の瞬間、突然窓が開き風が吹き込む。風の音にムックルの鳴き声がかき消される。あまりの強風に腕で顔を庇うと、風はすぐに止んでしまった。意味がわからない。息を吐き出し彼女の無事を確認しようと振り返る。しかし同時に思考は混乱に陥った。

「いない……」

おかしい。彼女は眠っていた。起きた様子も動いた気配もなかった。とっさに部屋の中を見回すが、やはり彼女の姿はない。
いや、それどころかムックルもいない。

わけがわからず呆然と立ち尽くすと、鳥の鳴き声が聞こえた。
窓の向こう側に、白い着物のようなものが見える。ムックルを抱えたユキメノコだった。


***


翌日、改めてマスターを訪れると、nameとドアの前で会った。昨日はどうしたのかと問うと、今日帰ってきたのだと言って、彼女は首を傾げた。

そしてその日の夕方、ニュースが流れた。なんでもキッサキの近くで雪崩が起きたらしい。それにより女性が一人行方不明になった。また、その女性のものと思われるモンスターボールが二つ、空になって雪に埋もれていたらしい。
行方不明者の女性の名前は、アイツ≠フものだった。




どこかでまた鳥の鳴き声がした。






20100821
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