懐かしい匂いがした。

優しく肩を揺する体温に、甘えるように身を丸くする。外気に触れる頬がひやりと冷たい。目元をくすぐる前髪を払うように寝返りを打った。頭の中が、ごうごうと吹雪いている。吹雪いている? まだ、意識の半分は夢に浸っているようだ。枕に顔を埋める。
――まだ声音は優しい。もう少しだけ、微睡んでいよう。
柔らかな毛布に深く身を沈め、瞼を堅く閉じた。すると再び肩に体温が触れる。今度は少し困ったようにその声は響いた。

「レッド君、今日はポケモンもらうんでしょ。早く起きて」

肩を揺する力が僅かに強くなる。

「お母さんが怒るよ。博士だって待ってるし。ほら、グリーン君も」

ああ、そうだ。ポケモンをもらうんだ。生まれて初めて。テレビや本で見る作り物のようなモノではなく、本物の生き物を。
重い瞼をゆっくりと持ち上げる。また、頭の中でごうごうと真っ白な風が鳴った。まだ夢の余韻が消えない。そっと薄暗い毛布の中から外界を覗いた。視界には、困った顔をした彼女が映る。それを見ると同時に、頭の中の吹雪は凪いだ。僕はゆっくりと口を開く。

「……起きてる」
「早く支度して。遅刻しちゃうでしょ」
「……ん、わかってる」
「もう、目を覚ましてっ」

ぐしゃぐしゃと頭を掻き撫でてくる彼女の手をぺちんと払う。軽く睨むが、彼女はクスリと笑うだけだった。

「遅刻なんかしたらパートナーになる子だって呆れるんだからね」
「……キミ、遅刻したんだよね」
「よ、余計なことを掘り返さなくていいの」
「……呆れられたんだ」
「今は仲良しだから心配ない」

そう言って、彼女は自慢げにモンスターボールを前につきだした。ボールがカタカタと揺れる。

「レッド君も今日からトレーナーかあ」
「なに……」
「うん、あっという間に追い抜かれちゃうんだろうな」
「……」
「なんて、でも、やっぱり先輩としては追い抜かれるのが楽しみだよね」
「……ふうん」
「と、とりあえず、頑張ってね」
「ねえ」
「!」
「旅をしてれば、キミと偶然どこかで、会う?」
「……バトルなら、私だって負けないよ」

彼女は苦笑混じりに言った。緩慢な動作でベッドから降りる。彼女は朝食の準備を手伝ってくると、階段を下りていった。

――遠い親戚の女の子だった。
僕より幾つか年上で、ポケモントレーナーとして世界中を旅するのが夢だと昔語ってくれた。幼い頃はよく僕の家に来て、グリーンも一緒に3人で遊んでいた。今では彼女は僕たちより一足早くトレーナーになり、こうしてたまにしか会いには来られなくなっている。
それが、幼心ながら気に入らなかった。
だから、トレーナーになったら一気に追い付いてやると、小さなライバル心があったのかもしれない。

着替えを済まし、足早に階段を駆け下りる。
パンの焼ける匂いが鼻孔を満たした。

「おはよう、レッド」

穏やかに微笑みながら、母さんが朝食をテーブルに並べている。それに挨拶を返しながら、辺りを見回した。彼女の姿が、ない。母さんがテーブルに運んでいる朝食の数も、何故か2人分だけだった。
彼女がいるのだから、3人分では?
訝しげに眉をひそめた。

「ママ」
「どうしたの?」
「彼女の、分は?」
「彼女? ふふ、寝ぼけてるの?」
「……!」
「この家にいるのは私とレッドだけよ? お客様も来てないし」

いない=H
ゴトンと、心臓の音が鈍く耳の奥で響いた。
じゃあ、僕を起こしにきたのは?
頭の中でまた吹雪がごうごうと鳴りだした。
途端に寒くなる。凍えるような冷たさが体に絡み付く。吐き出す息が無意識に震えた。
ぐらりと世界が揺れる。目の前がブレる。

視界が暗転した。



懐かしい匂いがした。

優しく肩を揺する体温に、甘えるように身を丸くする。外気に触れる頬がひやりと冷たい。目元をくすぐる前髪を払うように寝返りを打った。頭の中が、ごうごうと吹雪いている。吹雪いている。頭の中ではない。外の世界が。

「……大丈夫」

重い瞼を持ち上げる。視界に映る黄色の小さな肢体が、不安げにこちらを見つめていた。その背中をそっと撫でながら、息を吐く。真っ白に染まった吐息が唇から零れた。
――夢を、見ていたようだ。
胸の内を冷たい風が吹き抜ける。そのたびに凍みる肌は、寒さに軋みを上げた。

懐かしい、匂いがする。
彼女の匂いだ。

黄色の体を抱き締め、僕は白く塗り潰された世界を臨んだ。ごうごうと吹雪いている。
――彼女とは、マサラを出てから会っていない。彼女の消息は、僕が旅立つ1年以上前から不明になっていたのだ。

「ここに、いるのかな」

繰り返し繰り返し、見る夢の轍を辿るように今日も白い景色に身を沈める。
吹雪のその向こう側で、彼女が笑っている気がした。





20110107
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