「目覚め歌という」

嗄れた声が響いた。足下に落としていた視線を持ち上げると、暗がりに塗り潰された貌が笑みを浮かべるのが分かる。2分ほど前から淡々と冷たく流れ続けているオルゴールは、未だ終局に辿り着いていない。青白い月明かりが冷たく照らす路地裏には、自分と老婆しかいなかった。
暗がりの中で、老婆の瞳が月明かりに気まぐれに光を宿す。そのたびに息を潜め、オルゴールに視線を戻した。先ほど老婆が言った言葉を脳裏で反芻し、首を傾げる。

「子守唄ではないんだね」
「眠ってしまっては、夜は明けないでしょう」
「眠ってたって起きてたって、夜は明けるよ」
「夜は明けるが、朝は来ないかもしれない」
「変なことを言うね」

キリキリとオルゴールの櫛場が軋みを上げる。曲に合わせてくるくると回っている、古代の王族をモチーフにした少年の人形がぎこちなく一礼をした。不思議なオルゴールだと思う。月と太陽をあしらった絵が描かれた台に、その少年は立っている。少年の周りは柵のようなもので囲まれており、丸い屋根が付いている。小さな宮殿、と言えば良いのだろうか。
冷たい音楽は空気に溶けるように消えて止まる。青白い月明かりが風に乗って体温を攫っていった。冷えた空気が頬に張りつくのを感じながら、オルゴールから老婆に視線を戻す。彼女は今一度発条を巻き直し始めた。その動作を見るのは、何度目だろう。いや、初めてだったかもしれない。ボクは今日初めてここに来たのだ。その動作を見慣れている、というのは違和感がある。奇妙な既視感が思考の片隅に発露するも、それをやや強引に押し込んだ。
彼女が手を止める。
再び回りだす人形と音楽に、ボクは意識が遠退くような錯覚を抱いた。

「ここの王さまはね」
「!」

ふとしたように発せられた声に我に返る。ボクの反応を見て、返事を待つように間を置く彼女は、ゆっくりと息を吐いた。とっさに浮かんだぞんざいな問に、躊躇いながらもボクは言葉を紡ぐ。

「その少年は王さまなのかい?」
「そう、王さま。王さまだが、可哀想な王さまだ」
「可哀想?」
「何故だか分かる?」
「さあ。国が滅んだとか、妃に先立たれたとか?」
「はずれ」

彼女は擦れたような笑い声を漏らした。オルゴールは淡々と鳴り続けている。

「王さまはね、作り物なんだよ。作り物。偽物。まがいもの」
「利用されていた、ということかい?」
「いいや。作り物だから心がなかった」
「非科学的な話はあまり理解できないよ」

肩をすくめながら言うと、彼女はフードの縁から瞳を覗かせた。月明かりに青白く輝く瞳孔に肌が粟立つ。皺が深く刻まれた手が、オルゴールの少年の頭を愛おしげに撫でた。少年は常に空を見るように斜め上に頭が傾いている。今日は下弦の月がぼんやりと浮かび上がっていた。ちょうど、その位置からだと、少年が月を眺めているような姿になる。……少年は人形であるのに、その姿や憂いを帯びた表情が、何故だか生きているような、そんな生々しさがあった。

「ねえ、貴女はどこから来てるんだい?」
「唐突だね」
「だってボクは今日初めて君に会った。旅人、ではないよね」
「初めて?」
「!」
「本当に、初めてかな」
「……なに」
「わたしはずいぶんと永いこと、君とこうして過ごしている気がするよ」
「あり得ないよ。だってボクは今日初めて黙って、誰にも言わずに城を抜け出したんだ」
「……それが、君の『真実』かえ……」
「?」

老婆の不可思議な言葉に眉をひそめる。ふとしたように訪れた沈黙に、オルゴールの音色が嫌に輪郭を誇示していた。その時間はずいぶんと長く感じられたし、一瞬のようにも感じられた。気がつくとオルゴールの音は止まっており、老婆は緩慢な動作でオルゴールに蓋をした。そのまま大きなカバンの中にそれを入れ、ゆっくりとした動作で立ち上がる。ボクはその一連の動きを目で追いながら、躊躇うように立ち上がった。

「どこに行くの?」
「付いてくるかい?」
「そこには何かあるの?」
「何もない」
「……」
「何もないよ。あるのは、『朝焼け』だけ」
「……」

老婆は体を引きずるように、ゆっくりと路地裏の闇色に向かう。「朝焼け」があるはずなのに、どうして暗がりに進むのだろう。矛盾にも似たそれに違和感を感じながら、ボクはあとを追った。
――もし今ここに取り残されたら、夜に閉ざされてしまう。何故か、そんな詰まらない予感があった。






20110705

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