ごりっと鈍い音が後頭部の辺りからした。同時にそれほどひどくはないが痛みが走り眉をひそめる。
私の視線は依然として外に向けられたまま。いや、正式には無遠慮に後頭部に突きつけられる金属が痛く、頭を動かして背後を見る気にはなれなかったのだ。とりあえず抵抗をする気はない。両手を上げてそれをアピールすれば、少しだけ突きつける力が弱まった。

辺り一面硝子張りの玻璃の部屋は、見下ろす夜景が綺麗だというのに。物騒なこの状況には心底呆れてしまう。
黒い街並みには極彩色のネオンが輝く。車のランプに民家やビル、マンションの灯り。大都市ならではの夜の輝きは、平穏が壊されない限り消えることはないだろう。

背後に立つ人物に眼球だけを向ける。色素も感情も乏しいその瞳を視界に収め、小さく息を吐き出した。その態度が気に入らなかったのか、再び頭に突きつけられた銃口に力が籠もった。


「何を考えているのです」
「止めてくださいよ、それは愚問ってやつでしょう?」
「ふざけるのは止めなさい」


カチリと小さな音が確かに鼓膜を揺する。引き金に手をかけたのか。いよいよ相手も本気のようだ。組織の下層に住み着いた人間に、幹部がわざわざ自ら銃を突きつけるなんて。そうまでしないと人手が足りないなんてこの組織も末だ。再びごりっと嫌な音とともに痛みが走った。次いで聞こえた震えた吐息。それに少しだけ笑みを浮かべ、揶揄するように慣れないものを持つからだと呟いた。彼は持った拳銃を握り直しながら私に問う。何故組織を裏切るのかと。
理由なんて、単純だろうに。

眼を伏せて一番わかっているのは貴方だと返した。
彼は表情を寸分も変えずに、それは妄想だと吐き捨てる。

「お前の臆病さを、万人が抱く劣等感とイコールで結ぶのは間違いですよ」
「……」

繰り返す悪業。確かに募るのは罪悪感だけ。それに耐えきれず逃げ出しただけの私のことなど、無視してくれればいいのに。もともとただの下っ端だった。存在価値においては低いし何よりいてもいなくても、同じだろう。私は自分がそうだと知っていた。
それがまさかの最高幹部自らのお出ましだ。向けられた銃口に一体どれほどの感情が含まれているのだろうか。


「裏切りはどの世界においても決して許されはしない所業です」
「知っています」
「それでもお前は去るというのですか」
「私の代わりはいくらでもいる」
「それを判断するのは、果たしてお前でしょうか」
「アポロさん」
「……」


後頭部に押し付けられる銃口の力を押し返すように、私は彼と向かい合う。一瞬だけ拳銃を握る指先が、ブレた。しかしそれはすかさず額に押し付けられ、冷たく固い感覚に不快感を覚える。
夜景の灯りに、彼の薄い色の瞳が揺れた。


「もう、戻る気はないようですね」
「はい」


言えば引き金にかけられた指先に、ゆっくりと力が込められた。
哀れむような瞳の色は、皮肉にも悲しげに揺れる。結局彼も人間なのだ。ただ価値観や求めるものが倫理観をずれた場所にある。それだけだ。
彼は夢を見ても、きっと叶えられはしない。社会はそれを許さない。それがひどく悲しい。
もっと違う世界に生まれて、違う夢を見ることができたならどれだけ良かっただろう。

彼の中に息づく感情は、殺しきれなかった彼の人間性をくすぶらせる。罪を重ねれば、ただ罪悪感に苛まれるのは間違いなく彼だ。しかし皮肉なことに、彼はそれ気づいていない。きっと、認識できない。

ゆっくりと息を吐き出して、私は部屋の片隅に視線を向けた。
同時に突風が吹き荒み、硝子窓が一気に割れていく。けたたましい破砕音と共に宙を舞う鋭利な破片は、彼の磁器のような肌に紅い筋を作った。


「! 待ちなさい!」
「さよなら。アポロさん」


声を無視し、窓硝子が割れた宙の向こうへと背中から倒れる。重力に従い落下していく感覚を感じながら、斜めに傾いていく景色に眼を細めた。

そして視界に揺れた彼の緊迫した表情に、私は薄く笑った。



***



突然吹き荒れる突風に、とっさに庇うように腕を翳した。破片が舞い上がり、頬にピリッとした痛みが走る。

女は背中から身を投げ出した。とっさに声をあげるが、彼女はひどく悲しげに笑う。何故そんな顔をするのか。僅かな疑問は混乱にかき消される。

思えば彼女は奇妙な人間だった。組織の下層を担いながらも実力は確かにあり、また優秀とまでいかなくても使える部下だった。アジト内では頼りない人間を演じ、外に出れば優秀なトレーナーとなる。悪の組織に在りながら、その所業に胸を痛めるという矛盾。
何故ここにいるのか。
見る場所によって変わる彼女の印象は不気味だった。まるで彼女という人間が複数いるようにすら錯覚したほどに。


「……」


風が収まったところで、ゆっくりと辺りを見回す。硝子を踏み砕く音を聞きながら、この破砕は彼女のブラッキーが起こしたものだろうと落ち着きを取り戻した頭で考えた。厄介にもあのブラッキーはサイコキネシスが使えていた。おそらく部屋の片隅に潜んでいたのだろう。

ゆっくりと歩を進め、彼女が身を投げた窓の縁に立つ。見下ろした先には、真っ黒な中に揺れる極彩色の灯りが見えた。


「!?」


それと同時だった。突如として大きな何かが目の前を、舞い上がるように通り過ぎる。再び風が吹き、髪が揺れた。


「挑戦状ですか。いいでしょう」


バサバサと上空を旋回する影。その背に乗ってる小さな人影。それが何であるかなんて、考えなくてもわかる。初めから死ぬ気など、なかったということだ。視界舞う羽根を睨む。しかし手に持った銃を投げ捨て、不適に笑んだ。
同時にそれはどこかへと飛び去っていく。


どこからともなく、鵺の泣く声が聞こえた。







(できるものなら捕まえてみろ)




20100221
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