▽海原と墓標


サザナミ湾と言うと、真っ先に思い浮かぶのは海底遺跡だ。
かつてイッシュに現れた王家の墓場とも言えるだろう。ポケモンの言葉を解し、伝説のポケモンを倒し、手懐け、国を統一したとされる王家が眠る神殿。
しかし後の世ではイッシュ建国の神話通り、王家に生まれた双子の英雄は争い戦争を起こした。伝説のポケモンは2つの存在に分かれ、国は滅んだ。
この遺跡には、双子の英雄伝説やイッシュ国建設以前、つまりその王家にまつわる伝説が眠っているのだ。

「戦争を起こした人間を、英雄などと称える時点でこの国の神話には欠陥があるのですが」

彼が眼前に現れた蒼い海原を眺め、自嘲するように言った。彼の萌黄の髪が潮風に揺れて散らばる。
サザナミタウンに着くなり、彼は街から少し離れた空き家に入っていった。何でも昔ここで奥さんと暮らしていたのだそうだ。棚と、ベッドとテーブル、椅子。家具はあるのに、ずいぶんガランとした空間だった。必要最低限のものしかない。カーテンや家具自体も色褪せていて、色彩に著しく乏しい部屋だった。
それに、正直彼が過去にまつわることを引き出したことに驚いた。亡くなったという奥さんについても、てっきり思い出したくないものだと思っていたから。だがよく考えれば、大切に思っているのなら忘れてはいけないし、忘れることは許されない。
例えそれが自分を苛むことになったとしても、抱えなければならない。そう思うと、どうしようもなく苦しくなった。

彼は閉ざされていたカーテンと窓を開ける。ちょうどここからは海が一望できるようだ。
冷たい潮風が、僅かに層になった埃を散らす。

「王は生きとし生けるもの総てのものの言葉を解していた」
「だから、伝説のポケモンを従えることができたんですよね?」
「……いいえ」
「!」
「彼らは王に従ったのではありません。王を監視していたのです」

彼はこちらを見ず、海に視線を向けたまま言葉を紡ぐ。窓から見える海は、波も立てずに静寂を保っていた。空気が冷える。指先から熱が抜け落ちていった。

「血族は、その言葉を解する力故に忌み嫌われ迫害され、イッシュに辿り着きました。そして偶然、天災とすら謳われた伝説のポケモン、キュレムを封じることに成功し、偶然王家≠ネどと謳われるようになったのです」
「キュレムって、境界の?」
「ええ、あれは或る対立する2つのものを分かつ境界そのものです。光と影、善と悪、白と黒、或いは――理想と真実」

それは、双子の英雄が戦争を起こした原点だ。

「分かつ境界すら受け入れ、世界は均衡を得る。キュレムは王を監視するために傍らに身をおいた。人間の行く末でも見届けたかったのでしょう。しかし双子の英雄によりその2つは明確にした境界線からさらに引き離された。対立するそれらは互いを拒絶する。拒絶は争いを生んだ。激情を招き、それにキュレムの体は引き裂かれた」

だから白と黒の龍が生まれた

「引き裂かれ、2匹になったそれはそれぞれ兄と弟につく。力を得たことに、争いは更に肥大し、過激さを増した。やがて国は戦禍に呑まれる。龍たちは、大地を焼き、雷を落とし、国を滅ぼした。そしてその原因たる王家に呪詛を遺した」
「呪詛?」
「血族の中でも王家の寿命は、平均して30代前後……短命なのです」
「それが、呪い?」
「死因は、何だと思いますか?」
「え……病気、とか」
「自殺」
「!」
「もう一度、伝説の再現を。ポケモンと人間の完全なる和の世界の再現を。それが叶わぬ王は皆自ら命を絶った。それまでの人生を不幸に過ごしたわけでなくとも。皆、何故か死を望んだ」

いっそう冷たい風が、吹き荒む。心臓が大きく脈打ち、呼吸が止まった。彼が私を見る。赤い瞳が、出口のない暗闇を称えていた。

「王が、王であるためには、独りでなければならない。そして王は、独りであるが為に精神的に未発達だ。感情を知らない。幸せを知らない。不幸を知らない」

彼がゆっくりと私の方へと歩いてくる。床板がギシギシと鳴った。

「途方のない孤独の中で生きなければならない」
「何故……ですか」
「王は、総ての言葉を解するという奇妙な力を持ったバケモノ≠セからですよ」
「……おかしいですよ、そんなこと」
「英雄というのは、その瞬間だけです。血族の中でもソレは忌み嫌われた。近づきたくなどないからこそ、王という位置にそれを置いて遠ざけたのです」

――汚物。
触れたくないから触れなくてすむ場所に置く。
関わるのが厭だから、関わらなくてすむ場所に置く。
接しなくてすむように。
遠い場所に。
目に付かないように。
もっとも効率の良く、第三者からの体裁もいいように。
孤絶した世界に放り込まれたバケモノ。
それをしつらえる名前が王。
バケモノの代名詞が王。
残酷な、神話の裏側だ。

「中でも、13の数を受けた王は特に嫌われました。13は昔から忌み数と呼ばれるのも相まって、血族は疎外した」

疎外して。
嫌って。
疎んで。
貶して。
侮蔑して。
軽蔑して。
生きる価値を剥奪して。

「それでも彼らは何食わぬ顔で謳う。『偉大なる王、ハルモニア』と」

眼前にある赤い瞳が揺れて、瞼が震えた。背中に回された腕に息が詰まる。冷たいその体に、何故かどうしようもなく苦しくなった。いとも簡単に振りほどけてしまう腕は、力無く身を寄せる。同時に、底無しの暗闇を覗き込むような、そんな耐え難い不安があった。その体幹にしがみつくように腕を回す。今、離したら、彼が消えてしまうような気がしてならなかった。

「詰まらない、話をしてしまいましたね」
「そんなこと……」
「……ここは自由に使ってしまって構いません」
「――あの」

彼が離れる。
ただ呆然と、その青白い貌を見詰めた。背を向ける彼の姿に、慌てて口を開く。

「私……」
「何か」
「あの……何でも、ないです」
「……そうですか。今日はゆっくり休みなさい」

伸びてきた手が髪を梳く。
冷えた風がカーテンを揺らし、部屋の隅に影を作った。
私はこの時、彼にかけるべき言葉を持たなかった。見つけることができなかった。胸中で肥大する不安に、私はただ口を噤むしかできなかった。

それが後に、自分を苛むことになるとは、まだ知らない。







20110320
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